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愛知県名古屋市中区丸の内 弁護士加藤英男の日々是精進日記(ツィッター:@BengoshiKH)
by bengoshi_358
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「バカの壁」を超える梯子の作り方(3)〜動画解説版

動画音声解説版:「バカの壁」を超える梯子の作り方


「バカの壁」とは、養老孟司先生が書かれた、2003年のベストセラーの題名です。


「バカの壁」とは人と人との話が通じない場合を意味する造語です。


『話せば分かる』でなく、『話しても分かり合えない』状態です。




この「バカの壁」は、SNS時代、ますます多く存在し、かつ、それらは高く、厚くなりました。



どうして、「バカの壁」は生まれるのでしょう?




実際、「バカの壁」は、純理性的な説得の場である、裁判においても起こっています。



原告と被告、原告代理人と被告代理人、地方裁判所と高等裁判所、高等裁判所と最高裁判所との間で、全く物の見方が変わっている事件があります。



私は、裁判では、不思議な勝ちも不思議な負けも、あまり経験してきませんでしたので、


裁判において「バカの壁」をどうにかしてやろうと思ったことはありませんでした。



しかし、この数年間で、何件か、ほぼ主張証拠が出尽くしたにもかかわらず、


相手方代理人と全く見立てが違う、


あるいは、裁判官と見立て違う、深刻な事件に遭遇しました。




そこで、初めて真剣に、「バカの壁」について考え、悩みました。





裁判の場で、「バカの壁」が顕在化する、最高裁判所の破棄(差し戻し・自判)裁判例を検討することにしました。


古いものは、後藤勇「続・民事裁判と経験則」「民事裁判と経験則」の2冊(両者それぞれ7〜80件の破棄裁判例があります)を中心に、


新しい平成年代のものは、判例データベースを検索して数十件を拾い出し、自分で図を書きながら読み、メモをしました。




その作業を通じて、「バカの壁」が裁判においてなぜできるのか、理解できました。





そして、その「バカの壁」を、どう超えていくのか。




どんな梯子を使えば良いのか、おおよそ分かりました。





そして、「バカの壁」が裁判においてできるメカニズムと、一般社会で、「バカの壁」ができるメカニズムとは、同じであると気づきました。




その超え方も。






実は、私は、養老孟司先生の「バカの壁」を読んでから、


ずっと「もし『バカの壁』があるなら、それを超える方法だってあるはずだ。その方法を教えてくれないのは不親切ではないか。」と思っていました。





また、SNSなどで、相当に知的レベルが高い人同士が、「バカの壁」に遭遇し、互いに相手を汚い言葉で罵倒し合う様子を目にし、「なぜ、『バカの壁』ができているのに気づかないのだろうか。



なぜ、『バカの壁』を超える努力をしないのだろうか。」と残念に思いもしていました。



私が気づいた、裁判における「バカの壁」を超える方法、梯子は、恐らく、ずっと多くの人の議論、交渉、説得にも役立つのではないかと思い、公開させて頂くことにした次第です。



by bengoshi_358 | 2020-04-21 22:06 | その他法律関連
議論、交渉、説得の理想形

議論、交渉、説得は、何のために行うのでしょうか。


なぜ、力づくで無理やり言うことを聞かせないのでしょうか。

基本的に、人は個人として尊重され、自由が保障されているからですね。


その自由、権利、利益は、法律で保障されています。

つまり、いざとなったら裁判所で守ってもらえる、ということです。


なら、法律に反しないすれすれのところで、脅し、騙し、泣き落としをすればよいかというと、昨日書いたとおり、いつかリベンジされる恐れが生まれます。

自分でなくても、他の身内、仲間、会社にとって、リスク要因を抱えることになります。


私達は、社会に生きています。

社会は広いようで、狭くもあります。

情報社会ですから、悪い情報はすぐさま全世界に共有されます。

脅し、騙し、泣き落としの手口までバレてしまいます。


社会にあって、相互依存して生きているのが人です。


潰し合いでなく、お互いの関係を補い、共存し、共栄、共生する。

そのために生み出された工夫が、議論、交渉、説得の技法ではないかと思います。


その意味で、脅し、騙し、泣き落とし的な議論、交渉、説得術は、同じ相手からは、また、手口がバレている社会内では、二度目の成功がないというだけでなく、原理的にもあってはならないものだと言えそうです。


by bengoshi_358 | 2020-04-10 12:41 | その他法律関連
交渉術
脅し、騙し、泣き落としに負ける交渉者はジュブナイル。

脅し、騙し、泣き落としで勝てると思う交渉者もまた同じ。
by bengoshi_358 | 2020-04-09 11:06 | その他法律関連
「バカの壁」を超える梯子の作り方

私は、平成7年登録の愛知県弁護士会登録の弁護士です。弁護士生活も25年を超えました。

弁護士の仕事は、対人交渉であり、説得ですが、一番大切な交渉先、説得相手は、裁判官です。法治国家の日本では、紛争の解決は法に則って行われます。当事者間での交渉、解決が行き詰まったとき、紛争を解決してくれる制度が裁判制度です。

裁判所はどんなところでしょうか。一般の取引社会、学校と、どう違うのでしょうか。
裁判所とは、私が習った憲法の教科書には、「純理性的な法原理機関」である、とされていました。
「純理性的な法原理機関」とは、多数決の民主主義で決めるのではなく、あくまでも法と理性に則ってどうなのか、法に則ってどちらが正しいのかを決定する機関だというのです。

民主主義は時には残酷になり得ます。
民主主義には歯止めがなく、無実の人を死刑場に送ることもできます。
民主主義は、独裁(独裁も実は民主主義の1つの形なのですが)に比べたら素晴らしい制度ですが、その時々の多数決に従っていたら、「何が正義か」を見誤る危険があります。

そこで、正義公平の観点から、憲法により、民主主義を適度にコントロールするための「純理性的な法原理機関」として裁判所を置くことにされているのです。
裁判官は、その裁判所の重要な構成要素です。

裁判官は、多数決やら、泣き落としで動かされません。もし、そんなことがあれば、「純理性的な法原理機関」の意味をなさなくなってしまいます。

そんな裁判官を説得するには、どうしたらよいでしょうか。裁判官が最終的に下す判断、判決や決定は、期待も込めて、権力や人情に左右されない、「法原理的決定」と呼ばれます。
そうした「法原理的決定」を引き出す、しかも、自分の依頼者側に有利なそれを引き出すにはどうしたらよいでしょうか。

やはり、それは、「純理性的な法原理」によらねばなりません。

日本の世の中の普段の生活は人情が支配する世界です。様々な有形無形の力関係も働いています。しかし、「いざ裁判」となったら、紛争となったら、「純理性的な法原理」が全てです。

「純理性的な法原理」、簡単な言葉で言えば、「真実ないし事実と論理」です。

ビジネスの世界ではどうでしょうか。
ビジネスの世界でも、大きな取引をするときとか、長期的な契約関係を結ぶ際など、「いざというとき」には、やはり似たような状況なのではないでしょうか。

大きな取引をするときとか、長期的な契約関係を結ぶ際、情に流されて判断を誤らないために、論理的、理性的に考え、合理的な判断をするはずです。自分がそうしたいわけですから、相手も同じはずです。
基本は、論理的、理性的に考え、合理的な判断をする、つまりは、「純理性的な法原理」的決定を行うことにあります。

それでは、普段の日常生活での判断についてはどうでしょうか。
やはり、まずは、感情、願望、本能に汚染されていない「純理性的な法原理」的決定を行い、どこまでその決定を動かすことが許容できるかを冷静に考えることが間違いを回避するのに役立ちます。

ここでは、「真実ないし事実と論理」「純理性的な法原理」的決定を導く技術が主題なのですが、その前提となる基礎的能力として、論理的推理力や、論理的表現力がどうしても不可欠です。

そういった論理に係る良書はたくさんありますので、ここでは、論理的推理力や、論理的表現力についても触れつつ、その先にある技術をご紹介したいと思います。

その先にある技術とはどんなものか。
なぜ、私がその先にある技術について考えるようになったか。どうして、一般にお伝えしようと思うようになったか、について、少しだけ述べます。

みなさんは、日常生活で誰かに何か伝え、共同で意思決定をするような場合、うまく伝わらないという経験をしたことはありませんか。

例えば、会話の中で、「そんなつもりで言ったわけではないのに。」とか、相手は「なんで分かってくれないのだろう。」「理解力が低すぎないか。」と感じたことはありませんか。


不思議なことに、相手も、同じように感じているのか、こちらを感情的に罵倒してくる。
そんな場面の当事者になったり、傍観者になった経験はありませんか。

どちらも真剣になって、突き詰めて理性的に相手を説得しようとしているけれど、全く平行線で、そのうちに感情的な対立になる。「話せば分かる。」ではなく、「話せば、話すほど、分からなくなる。」

そんな経験はないでしょうか。
これは、双方向参加型SNSでよく起こっていることですね。

私も、当事者になりかけたことがあります。
議論は無駄なので、すぐに降りました。バカだの、不勉強だの、弁護士なんてこのレベルだとか、さんざん言われました。

論理的、理性的に考え、合理的な判断を行い、相手に伝えているつもりでも、伝わらないことはあります。養老孟司先生がおっしゃった、目に見えない「バカの壁」がそこに存在します。

実は、これは、一般社会でだけでなく、感情、願望、本能に汚染されていない「純理性的な法原理」的決定を行っている裁判所の中ででも起こっています。

弁護士も、裁判所の職責、判断の手法をよく知っていますから、「純理性的な法原理」的決定を引き出せるよう、論理的、理性的に考え、法律に則った合理的な弁論を行います。
弁護士は、それが自然にできるように、訓練されていますし、日々勉強しています。

それでも、裁判官が、弁護士が考えていたような判決を下すことばかりではありません。原告がいれば被告がいて、敵対相手の弁護士がいて、訓練された者同士が知力を尽くして争いますから、片方が負けるということは当然ではあります。

しかし、そんな中で、やはり、時々、不思議な勝ちがあり、不思議な負けがある。相手の弁護士にとっても、同じように考えているのが伝わることがあります。技量が変わらない者同士ならば、判定結果の筋読みは変わりません。

不思議な負けで負けた時は、もちろん控訴してひっくり返すことを考えます。それが、様々な事情で難しい時には、やむを得ず方向を変えて、和解に持ち込み、負けを小さくします。

この不思議な負けを経験した際に、多くの弁護士が思うことは、実は、SNSで罵倒し合う人々と大して変わりません。

「酷い裁判官に当たった。」「頭はいいんだろうけど、社会性がない裁判官。」「人間というものの理解がない、未熟な人間。」

…つまり、「バカの壁」にぶつかっているのです。

私が駆け出しの頃、弁護士会の談話室では、そんな愚痴を先輩の弁護士らがぶつぶつと言い合っている姿を目にしました。脇で聞いて、ふんふん頷いていたり、感心していると、機嫌を良くした先輩方から珈琲をごちそうになったりして、とても楽しかったです。

幸い、私は、個人的には、不思議な勝ちも、不思議な負けもあまりないままに年数を重ねました。


しかし、最近になって、不思議な負けを予感する事案に遭遇してしまったのです。

勝つべき事件なのに、一向に裁判官がこちら側の説明に理解を示してくれません。勝てるはず、筋からして、こちら側が断然有利なはず…でも、裁判官は、どこか上の空。


初めて真剣に悩みました。

そして、初めて真剣に法廷技術について学ぶことにしました。
特に、書面技術、説得技術です。
様々な本を読みましたが、求める答えはありませんでした。
そこで、司法試験合格後に学んだ、司法研修所の教本を学び直してみました。

そこに答えがありました。

その答えは、もしかしたら、裁判だけではなく、ビジネスでも、日常生活でも、SNSでも役に立つのではないか。


そう思って、一般の方にも分かりやすいよう、まとめてみようと思いました。

50年ほど前に、ハンス・セリエ博士は、ストレスの研究を行い、ストレスが起こる仕組みについて論文を発表し、有名なストレス学者となりましたが、ストレスを回避・軽減する方法を明らかにはされませんでした。

同じ頃、日本の中村天風師は、セリエ博士に会い、同博士からストレスを回避・軽減する方法を教えられなかったことを非常に残念に思い、自ら、ストレスを回避・軽減する方法を探求し、ついには教えられるようになられたといいます。

私も、「バカの壁」があることを前提に、それを超える方法を探求しました。


その結果、これがそれだ、というものを掴めた気がします。
それをご紹介したいと思います。

お越し下さったみなさまが、少しでも容易に「バカの壁」を超えられますよう、少しでもお役に立てられるならば幸いです。


by bengoshi_358 | 2020-04-07 21:53 | その他法律関連
書面があれば大丈夫か
【現実には「書面があっても裁判に負ける場合もある」し、「書面がなくても裁判に勝つ場合もある」】

書面があれば大丈夫か_e0026495_16543226.jpeg


「契約書を作成すれば大丈夫!」

「書面があれば裁判でも勝てますよ!」



そう、思っている方も多いと思います。
それは間違いではありません。

裁判は、証拠がとても大切です。
書面は、その当時作成されたものであれば、重要な証拠となるものです。


なぜ、書面が重要な証拠となるかというと、
書面が、双方当事者の、当時の意思の内容(が合致していること)を証明するものとなるからです。


法律効果がなぜ発生するか、権利が認められるか、というと、「当事者がそう決めた」からです。
自由主義国家では、私的な事柄については、国民ひとりひとりが、双方の話し合いで、原則として自由に決めることができます。
自由主義国家では、「当事者がそう決めた」ならば、原則として、その決めたとおりの法律効果、権利の発生・変更・移転・消滅を認めてあげましょう、という建前になっています。

「当事者がそう決めた」と書かれている書面は、その書面が作成された当時、後日、第三者の立場から見ても、まさに「当事者がそう決めた」のだろうと納得させられる証拠となります。


裁判では、「当事者がそう決めた」かどうか、その内容はどんなだったのか、が 争われます。


「当事者がそう決めた」といえるためには、双方当事者の考えていることが「一致」していなければなりません。
「一致」していることは、外形上(言葉の上で)一致しているだけでなく、実質的にも一致していなければなりません。


『工作機械を3億円で買う・売る』という場合、双方当事者の話した言葉の上で、また、書面上の記載において、『A型工作機械』を『3億円』で『売買』すると合致していれば、契約としては一応、成立しているといえます。
しかし、売主が『A型工作機械(中古品)』を売るつもりであり、買主が『A型工作機械(新品)』を買うつもりであった場合には、不一致があることになります。
この不一致は、「錯誤」といって、契約に問題があることになり、一定の条件の下で、取り消すことができるとされています(民法第95条)。

また、会社間の取引では考えられないことですが、契約の一方当事者が、たとえば認知症などの病気により、正常な判断ができない状態であった場合(意思能力が欠如していた場合)には、そもそも契約は無効となります(民法第3条の2)。
遺言などでは、せっかく専門家に頼んで作成してもらったにもかかわらず、認知症(とくにまだらぼけと言われる症状)を見落としていて、結局、無効な書面となる、という事例は多々あります。

書面があるにもかかわらず、「負ける場合」です。


逆に、書面がなくても、双方当事者の、当時の意思の内容(が合致していること)を証明することができたならば、書面がなくとも、勝てることがあります。

「書面の記載内容と当事者の意思の内容が相違する」場合、
「全く書面がない」場合、
その契約当時のファックス、メールのやり取り、会話の内容、双方の事情などの間接事実を丹念に証明することで、双方当事者の意思の内容を認定し、その合致する範囲内で契約の効力を認められることがあります。

それが、書面がないにもかかわらず、「勝つ」場合です。



書面は重要な証拠ですが、それが全てではない、ということです。



by bengoshi_358 | 2019-03-29 17:19 | その他法律関連
監修本第1弾「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)
監修本第1弾「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)_e0026495_13383413.jpg

法律実務本シリーズの監修を依頼されていたのですが、少し前に原稿チェックが終わった、その第1弾が発売になるそうです。

「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)

この「徹底理解!」シリーズ、今後は、売れ行きにもよるのでしょうが、あと何冊か予定されています。

また、随時ご紹介させて頂きます。




by bengoshi_358 | 2016-10-14 13:39 | その他法律関連
2016.5.29 講演録(早録) 〜薬物依存・依存症について

平成28年5月29日(日曜日)
午後2時〜

名古屋市昭和区御器所・れんが家サロン
「昴の会」例会
テーマ:依存症について

3名の講師のうちの1名として、約30分、お話をさせて頂きました。

①薬物依存症者との関わり、

②どうして依存を止められないのか、

③依存症とビジネス(治療ビジネス及び依存を生むビジネス手法)、

④依存症に陥る心理的メカニズム(時間割引率とマシュマロ実験)、

⑤今後の展望らしきもの、       について考えたことをシェアしました。

原稿なしに、自作のジョブズ調の短いフレーズだけを書いたスライドをもとに、国選刑事事件で出会った薬物事犯の被告人との関わりから始め、最後は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の一節に至りました。

精神科医やお役人、依存症に苦しむ人々の支援者といった専門家もみえる中で、全く予定調和を考えないで、剣と槍を投入する覚悟で、挑戦的な問題提起をさせて頂きました。

厳しいご批判もあるかとも思いましたが、長年真摯にこの問題に取り組んでみえる筋金入りの専門家は、限りなく寛大でした。
門外漢の挑戦的な問題提起にも、真摯に耳を傾け、受け止めて頂けました。

これから、原稿起こしをし、また改めて公開させて頂くつもりですが、以下に、私が至った最終的な結論部分をアップしておきます。

※「昴の会」は、専門職の勉強会で、精神医学や労働、経営問題についての研究をしています。私は、入会をお許し頂いてから約1年ですが、いつもわくわくするような知的刺激を頂いています。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

依存症は、高度化した資本主義経済の下で不可避的に生じる構造的問題です。

高度化した資本主義経済は、生活必需品や、特に生活必需品以外の商品を大量に継続的に売らんがために、行動心理学・行動経済学の知見をも動員し、巧妙な宣伝で購買意欲を高め、購買行動に出させ、それを継続させようとします。コーラのCMをサブリミナルで流すような実験も実験だけではないかも知れません。

そして、顧客ロイヤリティを高め、お得意様にし、依存させます。
依存させることで、利益を拡大、維持できるからです。
営業経費を節約、著しく低減させることが可能だからです。

社会全体が、依存を生むシステムになっています。

そして、一定数の人々が、一定の依存から進んで行って、依存症となってしまい、「自分自身ないしは周囲が苦しむ」状態となってしまうのです。

構造的問題なのですから、社会全体で、特に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンら(※専門職も例外ではない)が責任を負うべきです。
報償責任の考え方からもそれが自然です。

また、自身の人生の意味を考えることを止めた人は自分以外の物・人(関係)・こと(過程)に自分を投入(=依存)する予備軍。

自分の人生の意味を考えようとせず、自分の人生の意味を考えることを若い世代に教えなかった人も、依存症予備軍であると同時に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンと同様、依存症を生みだしている共犯者(幇助者)でもあります。

私も、時に買い物依存だったり、カフェイン依存だったり、「依存症」(それによって自分もしくは自分の周囲が苦しむ状態)の手前にいるなぁと気づくことがあります。

依存症の問題には、第三者はいません。
すべてが、関係者です。
いつ何時誰が当事者となる(糾弾される)かわかりません。
社会構成員全員が関係者なのだと思います。


by bengoshi_358 | 2016-05-31 15:11 | その他法律関連
次回テーマ「依存症と法律」の準備
5月に依存症について、人前でお話をします。


お題が「依存症」であり、合計3人の講師がいます。

私は、主に「薬物依存と法律」についてお話をします。


今、少しずつ準備をしていますが、依存症については、なかなか興味深い発見が多いです。



何かをして欲しい、話をして欲しい、説明して欲しいと頼まれて、「めんどうだな。」「嫌だな。」と思うのはごく普通の反応ですし、私もそうでした。

しかし、昨年末に決めた今年の抱負の1つは、「頼まれごとはできるだけ断らない。」です。

その抱負を決めて、初めて口にした、その場にいらした方々からのご依頼での、今年初の講師役。

心を決めて、準備を始めたら、とてもおもしろいです。
ここで少しだけ、シェアさせて頂きます。



依存症とは、どんなものでしょうか?

ウィキペディアによれば、「依存症とは、世界保健機関(WHO)の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと。」です。


そして、アメリカ依存学会によれば、「依存症とは、脳内の報酬、動機、記憶、及びそれらに関連する回路における原発性の慢性疾患である。」(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」より)です。



いかがでしょうか。
お気づきになられましたか?

ウィキペディアでは、『状態』なのです。

アメリカ依存学会の定義では、『疾患』です。

『状態』なのか。

『疾患』なのか。


「そんなこと、どっちでもよいではないか!」

そうおっしゃる方は、もう一度、考えてみてください。

『疾患』となると、それは、お医者さんにかかる分野になります。
保険適用があるというお話になり、厚労省の取扱範疇になります。

『状態』であれば、それは、個々人の責任分野であって、それが原因で何か問題を起こしたならば、法務省の取扱範疇になります。


依存症には、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存があります。

(1)物質依存では、薬物、アルコール、タバコ等。
(2)過程依存では、ギャンブル、買い物、インターネット、ゲーム等。
(3)関係依存では、恋愛、ドメスティック・バイオレンス、モラハラ等。

この中で、(1)物質依存の薬物依存では、『状態』説が明確に優位的ではないかと思います。

薬物依存の状態で犯罪を犯して、「病気なんだから、仕方がないではないか。責任無能力ではないか。」というのは通用しないことになっています。


ネットでぐぐってみましょうか。
「依存症」「病気か」等で検索をしてみます。

すると、「依存症は病気です」と書かれた、『疾患』説のサイトがいくらも出てきます。



法律家は、お人好し過ぎてはダメなので、いつも、「誰得?」ということを考えます。
法律家は、性格が悪いです。

法律家は、議論をするのが仕事なので、議論が有意義になるよう、議論の対象を絞込みます。

その議論を絞り込むのに用いるのが、カテゴライズ、範疇化です。
範疇化には、定義です。

法律家は、定義を大切にします。

定義から始め、議論の対象を絞込み、議論を始めます。


しかし、時に、「定義が騙す」ということも知っています。
法律家は、定義を大切にしつつ、「あらゆる定義は価値的である」ということも知っています。

定義は、それ自体、客観的事実のようで、人々の、意図や意欲や意味付け、バイアス、つまり、主観に色付けされた価値が加味されているのです。

争いのない定義は、その定義を支える価値が、普遍的で、万人が、少なくとも、一般人の殆どが争いなく首肯できるようなものだけで構成されているものです。



「依存症は病気です」そう書いているサイトの管理人や、記事の作成者の肩書は、お医者さんだったり、薬剤師さんだったり、医療関係者、周辺の方々であることが多いのです。


人は、自身の得意分野、あるいは自身が関与できる方に引き寄せた定義付けをしたがるものです。

ここは、慎重に検討してみるのが良さそうです。


そもそも、『疾患』とは何でしょうか?


『疾患』、すなわち『病気』と言い換えができますが、『疾患』『病気』とは何でしょうか?


『疾患』『病気』とは、最も争いのない最小の定義付けは、「生体組織の器質的異常、もしくは、機能的異常のこと。」です。


ここで、「生体組織の器質的異常」とは、生体組織における病理的・解剖的な異常により惹起される異常のこと。

「生体組織の機能的異常」とは、解剖学的・病理的な異常が不見当であるにも関わらず、生体組織の働きや能力が低下することで生じる異常のこと。


そして、「生体組織の器質的異常」と、「生体組織の機能的異常」とで共通することといえば、これらには、
(1)客観的検査方法が存在すること、
(2)不随意活動であること、です。


『疾患』『病気』は、例えば、お医者さんにかかるとして、治療を受け、投薬されることになるには、客観的検査によって、『疾患』『病気』を具体的に特定しなければなりません。

『疾患』『病気』と治療方法は、明確に関連付けられており、関連しない治療は、有害無益であり、また、保険適用できなくなりかねません。

そのために、客観的検査方法が存在しています。

また、『疾患』『病気』であると言えるためには、自発的意思によらない、自身でコントロール不可能であることが必要でしょう(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」参照)。


依存症ではどうでしょうか。


「生体組織の器質的異常」や「生体組織の機能的異常」が認められるのでしょうか。

(1)客観的検査方法は存在するのでしょうか、(2)不随意活動なのでしょうか。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」によれば、
どうやら、(1)客観的検査方法の存在、(2)不随意活動性については、疑問符がついたままのようです。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」(デイミア・トンプソン著、中里京子訳)は、依存症サバイバー、克服者が原著者であり、示唆に富んだ本です。

お医者さんが書かれた、『疾患』説の本も読みましたが、この本がきっかけで、性格の悪い法律家らしく、ニュートラルで、幅広く、様々な文献に当たっていこうと思うようになりました。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」では、『疾患』説ではなく、どうやら『状態』説で一貫して書かれています。

『疾患』説の良い所は、依存症で苦しむ人に対して、「あなたが悪いのではない。病気なのだから、仕方がない。あなたに必要なのは、意思を強くすることではなく、治療なのだ。」と慰めてくれることです。

『状態』説の良い所は、一般人に対して、「依存症は、人が偶然かかる病気だったり、特別の人がかかる病気なのではなく、誰でもがなりうる状態であって、依存させることで多くのビジネスが成り立っている現代社会では、あなたも、わたしもなりうる危険がある。」と教えてくれることです。


私は、『疾患』説が正しくない、『状態』説が正しい、と言うつもりはありません。

ただ、基本的には、『状態』であって、『疾患』となっている患者さんもいるのではないかという気がしています。

個々の依存症で苦しまれている具体的な人によっては、『状態』から『疾患』に転化していることもあるのではないかと考えています。


それよりも、関心があるのは、やはり、「依存症にならないためにどうしたらよいか。」ということであり、「依存症を克服するためにはどうしたらよいのか。」ということです。



ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」には、「依存症の人々の最たる特徴は、もっとも親密な一次的関係を、人とではなく物と築くこと」(p.18)とあります。

そして、以前、私が読んだ本の中に、「アルコール依存症を克服した人々の多くは、克服の過程で、あるいは、克服後に、利他的、スピリチュアルになっていた。」という一節がありました。



人との関係性を築けない人。

人との関係性が壊れてしまった人。


そういう人との関係が希薄になってしまった人が、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存に陥ってしまうであろうことは想像に難くありません。


とするならば、古くから、断酒会なので執られていた、依存からの離脱メソッドは、やはり有効性があったのだと思わされます。


現代では、その離脱メソッドを用いて、セレブやお金持ちの依存者から法外な報酬を取っている業者がいるという指摘もありますが、「他者との良好な関係性を形成、維持することが、依存症を克服する、重要な鍵になる。」ということは、間違いなさそうに思えています。


さて、私のお話では、どこまで研究して、どこまで触れるか。

まずは、あと1~2か月、目一杯広げて、最後の1~2週間で、絞るようにとしたいです。
by bengoshi_358 | 2016-03-07 17:50 | その他法律関連
次のテーマ 〜 依存症
「うつ病」についての講演を行って、「うつ病」についての勉強も一区切り。春頃に、臨床心理士の先生方とコラボして、勉強会をリードすることになりそうです。テーマは、「Addiction 〜依存症」です。メイン講師は臨床心理士の先生で、私は、法的な側面についての補足で終わると思うのですが、…ここは、やはり生来の好奇心で、ひととおり勉強しておきたいと思っています。講師側に立つ以上は責任を自覚しないといけません。知らないでは、それが顔に出てしまって講師側メンバーとしては情けないですし、頷くのもうそ臭くなります。「備えよ常に」の精神から、やっぱり、備えて勉強しておくべし、です。

次のテーマ 〜 依存症_e0026495_11284715.jpg

by bengoshi_358 | 2016-01-20 11:29 | その他法律関連
うつ病に関する講演録 その2
3.「うつ病」を取り巻く問題状況
ア.「うつ病」患者は増加している。
イ.心療内科施設数は増加している。
ウ.抗うつ薬市場規模は拡大している。
これらには何らかの関係がある、としか思えない。
このことを端的に指摘したのが、野田正彰著「うつに非ず」(講談社)です。
この本をきっかけに、次から次へと、ビジネス書、ポピュラーサイエンス書、医師向け専門書を約20冊読み進みました。
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 そして、「本当にそうなのか?」と思い、確認するべく、自分でも「うつ病」についてデータを調べてみると、厚労省のHPなどに私の欲しかったデータが殆ど公開されていました。
・うつ病を含む気分障害外来患者数

・心療内科施設数


・      抗うつ薬市場規模の拡大
※これは、株式会社シーマ・サイエンスジャーナルが、<ai Report サンプル【 ai Report 2011 10章 抗うつ剤市場 】> という題名でサンプルとして公開して下さっているPDFで確認できます。

そして、自分自身で、
①「うつ病」患者数の増加、
②「心療内科」施設数の増加、
③抗うつ薬市場拡大という事実、
の元データに触れることができたのです。


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これら①〜③をグラフにしてみたのですが、ほぼ重なります。
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4.何が問題なのか?
 医師や臨床心理士らの最近の調査研究によると、
(1)「うつ病」と診断されるものの多くは、いわゆる「新型うつ病」であり、実は「双極性障害」であること、
(2)「新型うつ病」に「うつ病」治療薬を投与するミスマッチが病気の難治化、自殺リスクを高めること、
(3)新型抗うつ薬、急性期に投与される睡眠薬のベンゾジアゼピンも奇異行動や自殺を招きやすいこと、が判明しました。
(新型抗うつ薬については、英国精神科認定医、カーディフ大学精神医学部ウエールズ副部門教授デヴィッド・ヒーリーの著書が詳しい)
(ベンゾジアゼピンについては、ニューカッスル・アポン・タイン大学精神薬理学名誉教授ヘザー・アシュトンの論文、著書が詳し)※両薬剤とも、海外では訴訟になっている

抗うつ薬は、読んで字の如し、「抑うつ状態に対抗して、気分をアップさせる」薬です。
本来の「うつ病」では、気分は下がったまま。
そのままでは、日常生活が送れないし、厭世的な気分になり、自殺念慮は深くなってしまいかねない。
眠れない。
そのため、精神状態はますます悪くなる。
だから、「気分をアップさせる」薬を飲ませるのです。
抗うつ薬、特に新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬は、多幸感をもたらし、非常に効果が高いといわれています。
気分は下がったままで、このままでは危ない。
だから、「気分をアップさせる」薬、中でも良く効く新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬が用いられるわけです。
但し、新型抗うつ薬は、効き過ぎ・過効能、賦活作用が問題となり、依存性が高く、かつ、奇異反応を引き起こすことがあるといいます。

それから、睡眠薬のベンゾジアゼピン。
こちらも、熟睡感、多幸感がもたらされる、非常に良く効く睡眠薬です。
不眠が続くと、やはり良からぬことを考えてしまいます。
とにかく、眠らせねばらない。
そんな急患に用いられる薬です。
ただ、ベンゾジアゼピンも、依存性や奇異反応を招く危険が高いといわれいます。

新型抗うつ薬にせよ、ベンゾジアゼピンにせよ、急性期の「うつ病」患者には、自殺リスクを軽減するために投与するのは有用です。

しかし、本来の「うつ病」=単極うつではない「新型うつ病」患者に、これらを投与することは、有害です。

「新型うつ病」患者は、抑うつと、上機嫌・軽い興奮をいったり来たりしています。

好きではない仕事で落ち込む。
嫌なことがあったら落ち込む。(←この時点で、本来の「うつ病」とは違うことがわかる。本来の「うつ病」では、嫌なことがなくても、たとえ良いことがあっても落ち込んだまま)
しかし、趣味や、やりがいのある仕事では上機嫌。
批判されたり、意見されて落ち込むけれど、何かのきっかけで攻撃的になったりする。

上機嫌だったり、怒っているときは、本人も、周囲も、誰も病気とは気づかないで、落ち込んだときに、本人は辛いので、病院に行きます。
そこで、抗うつ薬、場合によったら、新型抗うつ薬を処方されます。
抗うつ薬はよく効きます。
幸せな気分になり、また、次に落ち込んだ時に、通院します。
本来は、上下する気分の安定を図らねばならないはずなのに、落ち込んだときにだけブーストする薬を服用する。
ところが、その薬には、依存性もあり、かえって気分不安定を悪化させる可能性があるのです。
そして、常時落ち込んでいる、本来の「うつ病」患者ではないのですから、抗うつ薬の効き過ぎを起こしやすいわけです。

気分の上下サイクルで、気分が上昇し始めたときに、「まだ気分が少しすぐれないので、抗うつ薬を飲もう」ということをすれば、上方に気分・感情が振りきれてしまうわけです。

ネットで、新型抗うつ薬、ベンゾジアゼピンと、自殺や犯罪との関連を検索すると、いくらも情報が得られます。

(1)
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(3)
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5.終わりに

ここまで学び、長年の疑問が解けました。

わたしは、法廷で、数々の「うつ病」患者の方々と出会いました。
「うつ病」と闘い、苦しいのに、辛いのに、法廷まで出てきて証言して下さる患者さんたちに、時には相手方関係者に、立場が違えど、敬意を感じていました。

ところが、敬意と配慮をもって接しようとするのですが、その次の瞬間、普通の事件関係者以上の割合で、興奮し、感情的に、むき出しの敵意をぶつけて来られる方が多く、いつも釈然としない物を心に溜め込んでいました。

ああ、そうだ、あの方たちは、「うつ病」ではないのだ。
もしかしたら、「新型うつ」なのだ。

今はそうわかります。

本来の「うつ病」ならば、自罰的で、他罰的にならず、興奮することもない。
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恐ろしいのは、「うつ病」と「新型うつ病」とでは、原因も、病態も、治療法も全く違うことです。

「うつ」はココロの風邪、などといって、気軽に内科や婦人科で診察を受け、抗うつ薬を処方されて安心してしまうと、かえって病状は悪化していき、さらに問題は根深くなるということです。

しかも、この悪循環は、先ほどの、グラフでみたとおりの構造的な問題を孕んでいるということです。

とある自治体では、不眠→うつ病→精神科医という自殺防止キャンペーンを行いましたが、キャンペーン実施後の成果は芳しくないといいます。
この点は、冒頭でご紹介した、野田さんの著書に詳しく、また、同著書で紹介された医師・保健衛生コンサルタント櫻澤博文(産業医大医学部卒)さんによる「自殺予防事業を考える」と題するPDFがウエブ上で公開されています。

「うつ病」と「新型うつ病」を峻別し、「うつ病」の確定診断を経ずに、漫然と抗うつ薬や睡眠薬を服用し続けることは危険です。
「うつ病」と「新型うつ病」、この「新型うつ病」に多くの割合を占める双極性障害(Ⅱ型)は、確定診断を得られるまでに期間を要し、「うつ病」と誤診され続けて、正しく双極性障害障害と診断されるまでに数年かかるケースが少なくないそうです。

患者さんは、通常、辛い、抑うつしか主張しません。
しかし、家族や周囲の目から見て、「好きなことはできる」「趣味がある」「時に攻撃的になる」といった特徴があったならば、専門の精神科医にかかり、厳密な診断を得るようにされるべきです。

ノーモア・ミスマッチ。
「うつ病」患者も辛いです。
また、「新型うつ病」患者も辛いです。

「うつ病」は、適切に治療すれば寛解しやすいといわれています。
また、「新型うつ病」も適切な治療で、安定させられる病気です。

辛い抑うつの症状だけをみて、見誤ることにないようにと願うばかりです。



by bengoshi_358 | 2016-01-15 19:37 | その他法律関連
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