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愛知県名古屋市中区丸の内 弁護士加藤英男の日々是精進日記(ツィッター:@BengoshiKH)
by bengoshi_358
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書面があれば大丈夫か
【現実には「書面があっても裁判に負ける場合もある」し、「書面がなくても裁判に勝つ場合もある」】

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「契約書を作成すれば大丈夫!」

「書面があれば裁判でも勝てますよ!」



そう、思っている方も多いと思います。
それは間違いではありません。

裁判は、証拠がとても大切です。
書面は、その当時作成されたものであれば、重要な証拠となるものです。


なぜ、書面が重要な証拠となるかというと、
書面が、双方当事者の、当時の意思の内容(が合致していること)を証明するものとなるからです。


法律効果がなぜ発生するか、権利が認められるか、というと、「当事者がそう決めた」からです。
自由主義国家では、私的な事柄については、国民ひとりひとりが、双方の話し合いで、原則として自由に決めることができます。
自由主義国家では、「当事者がそう決めた」ならば、原則として、その決めたとおりの法律効果、権利の発生・変更・移転・消滅を認めてあげましょう、という建前になっています。

「当事者がそう決めた」と書かれている書面は、その書面が作成された当時、後日、第三者の立場から見ても、まさに「当事者がそう決めた」のだろうと納得させられる証拠となります。


裁判では、「当事者がそう決めた」かどうか、その内容はどんなだったのか、が 争われます。


「当事者がそう決めた」といえるためには、双方当事者の考えていることが「一致」していなければなりません。
「一致」していることは、外形上(言葉の上で)一致しているだけでなく、実質的にも一致していなければなりません。


『工作機械を3億円で買う・売る』という場合、双方当事者の話した言葉の上で、また、書面上の記載において、『A型工作機械』を『3億円』で『売買』すると合致していれば、契約としては一応、成立しているといえます。
しかし、売主が『A型工作機械(中古品)』を売るつもりであり、買主が『A型工作機械(新品)』を買うつもりであった場合には、不一致があることになります。
この不一致は、「錯誤」といって、契約に問題があることになり、一定の条件の下で、取り消すことができるとされています(民法第95条)。

また、会社間の取引では考えられないことですが、契約の一方当事者が、たとえば認知症などの病気により、正常な判断ができない状態であった場合(意思能力が欠如していた場合)には、そもそも契約は無効となります(民法第3条の2)。
遺言などでは、せっかく専門家に頼んで作成してもらったにもかかわらず、認知症(とくにまだらぼけと言われる症状)を見落としていて、結局、無効な書面となる、という事例は多々あります。

書面があるにもかかわらず、「負ける場合」です。


逆に、書面がなくても、双方当事者の、当時の意思の内容(が合致していること)を証明することができたならば、書面がなくとも、勝てることがあります。

「書面の記載内容と当事者の意思の内容が相違する」場合、
「全く書面がない」場合、
その契約当時のファックス、メールのやり取り、会話の内容、双方の事情などの間接事実を丹念に証明することで、双方当事者の意思の内容を認定し、その合致する範囲内で契約の効力を認められることがあります。

それが、書面がないにもかかわらず、「勝つ」場合です。



書面は重要な証拠ですが、それが全てではない、ということです。



by bengoshi_358 | 2019-03-29 17:19 | その他法律関連
監修本第1弾「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)
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法律実務本シリーズの監修を依頼されていたのですが、少し前に原稿チェックが終わった、その第1弾が発売になるそうです。

「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)

この「徹底理解!」シリーズ、今後は、売れ行きにもよるのでしょうが、あと何冊か予定されています。

また、随時ご紹介させて頂きます。




by bengoshi_358 | 2016-10-14 13:39 | その他法律関連
2016.5.29 講演録(早録) 〜薬物依存・依存症について

平成28年5月29日(日曜日)
午後2時〜

名古屋市昭和区御器所・れんが家サロン
「昴の会」例会
テーマ:依存症について

3名の講師のうちの1名として、約30分、お話をさせて頂きました。

①薬物依存症者との関わり、

②どうして依存を止められないのか、

③依存症とビジネス(治療ビジネス及び依存を生むビジネス手法)、

④依存症に陥る心理的メカニズム(時間割引率とマシュマロ実験)、

⑤今後の展望らしきもの、       について考えたことをシェアしました。

原稿なしに、自作のジョブズ調の短いフレーズだけを書いたスライドをもとに、国選刑事事件で出会った薬物事犯の被告人との関わりから始め、最後は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の一節に至りました。

精神科医やお役人、依存症に苦しむ人々の支援者といった専門家もみえる中で、全く予定調和を考えないで、剣と槍を投入する覚悟で、挑戦的な問題提起をさせて頂きました。

厳しいご批判もあるかとも思いましたが、長年真摯にこの問題に取り組んでみえる筋金入りの専門家は、限りなく寛大でした。
門外漢の挑戦的な問題提起にも、真摯に耳を傾け、受け止めて頂けました。

これから、原稿起こしをし、また改めて公開させて頂くつもりですが、以下に、私が至った最終的な結論部分をアップしておきます。

※「昴の会」は、専門職の勉強会で、精神医学や労働、経営問題についての研究をしています。私は、入会をお許し頂いてから約1年ですが、いつもわくわくするような知的刺激を頂いています。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

依存症は、高度化した資本主義経済の下で不可避的に生じる構造的問題です。

高度化した資本主義経済は、生活必需品や、特に生活必需品以外の商品を大量に継続的に売らんがために、行動心理学・行動経済学の知見をも動員し、巧妙な宣伝で購買意欲を高め、購買行動に出させ、それを継続させようとします。コーラのCMをサブリミナルで流すような実験も実験だけではないかも知れません。

そして、顧客ロイヤリティを高め、お得意様にし、依存させます。
依存させることで、利益を拡大、維持できるからです。
営業経費を節約、著しく低減させることが可能だからです。

社会全体が、依存を生むシステムになっています。

そして、一定数の人々が、一定の依存から進んで行って、依存症となってしまい、「自分自身ないしは周囲が苦しむ」状態となってしまうのです。

構造的問題なのですから、社会全体で、特に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンら(※専門職も例外ではない)が責任を負うべきです。
報償責任の考え方からもそれが自然です。

また、自身の人生の意味を考えることを止めた人は自分以外の物・人(関係)・こと(過程)に自分を投入(=依存)する予備軍。

自分の人生の意味を考えようとせず、自分の人生の意味を考えることを若い世代に教えなかった人も、依存症予備軍であると同時に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンと同様、依存症を生みだしている共犯者(幇助者)でもあります。

私も、時に買い物依存だったり、カフェイン依存だったり、「依存症」(それによって自分もしくは自分の周囲が苦しむ状態)の手前にいるなぁと気づくことがあります。

依存症の問題には、第三者はいません。
すべてが、関係者です。
いつ何時誰が当事者となる(糾弾される)かわかりません。
社会構成員全員が関係者なのだと思います。


by bengoshi_358 | 2016-05-31 15:11 | その他法律関連
次回テーマ「依存症と法律」の準備
5月に依存症について、人前でお話をします。


お題が「依存症」であり、合計3人の講師がいます。

私は、主に「薬物依存と法律」についてお話をします。


今、少しずつ準備をしていますが、依存症については、なかなか興味深い発見が多いです。



何かをして欲しい、話をして欲しい、説明して欲しいと頼まれて、「めんどうだな。」「嫌だな。」と思うのはごく普通の反応ですし、私もそうでした。

しかし、昨年末に決めた今年の抱負の1つは、「頼まれごとはできるだけ断らない。」です。

その抱負を決めて、初めて口にした、その場にいらした方々からのご依頼での、今年初の講師役。

心を決めて、準備を始めたら、とてもおもしろいです。
ここで少しだけ、シェアさせて頂きます。



依存症とは、どんなものでしょうか?

ウィキペディアによれば、「依存症とは、世界保健機関(WHO)の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと。」です。


そして、アメリカ依存学会によれば、「依存症とは、脳内の報酬、動機、記憶、及びそれらに関連する回路における原発性の慢性疾患である。」(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」より)です。



いかがでしょうか。
お気づきになられましたか?

ウィキペディアでは、『状態』なのです。

アメリカ依存学会の定義では、『疾患』です。

『状態』なのか。

『疾患』なのか。


「そんなこと、どっちでもよいではないか!」

そうおっしゃる方は、もう一度、考えてみてください。

『疾患』となると、それは、お医者さんにかかる分野になります。
保険適用があるというお話になり、厚労省の取扱範疇になります。

『状態』であれば、それは、個々人の責任分野であって、それが原因で何か問題を起こしたならば、法務省の取扱範疇になります。


依存症には、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存があります。

(1)物質依存では、薬物、アルコール、タバコ等。
(2)過程依存では、ギャンブル、買い物、インターネット、ゲーム等。
(3)関係依存では、恋愛、ドメスティック・バイオレンス、モラハラ等。

この中で、(1)物質依存の薬物依存では、『状態』説が明確に優位的ではないかと思います。

薬物依存の状態で犯罪を犯して、「病気なんだから、仕方がないではないか。責任無能力ではないか。」というのは通用しないことになっています。


ネットでぐぐってみましょうか。
「依存症」「病気か」等で検索をしてみます。

すると、「依存症は病気です」と書かれた、『疾患』説のサイトがいくらも出てきます。



法律家は、お人好し過ぎてはダメなので、いつも、「誰得?」ということを考えます。
法律家は、性格が悪いです。

法律家は、議論をするのが仕事なので、議論が有意義になるよう、議論の対象を絞込みます。

その議論を絞り込むのに用いるのが、カテゴライズ、範疇化です。
範疇化には、定義です。

法律家は、定義を大切にします。

定義から始め、議論の対象を絞込み、議論を始めます。


しかし、時に、「定義が騙す」ということも知っています。
法律家は、定義を大切にしつつ、「あらゆる定義は価値的である」ということも知っています。

定義は、それ自体、客観的事実のようで、人々の、意図や意欲や意味付け、バイアス、つまり、主観に色付けされた価値が加味されているのです。

争いのない定義は、その定義を支える価値が、普遍的で、万人が、少なくとも、一般人の殆どが争いなく首肯できるようなものだけで構成されているものです。



「依存症は病気です」そう書いているサイトの管理人や、記事の作成者の肩書は、お医者さんだったり、薬剤師さんだったり、医療関係者、周辺の方々であることが多いのです。


人は、自身の得意分野、あるいは自身が関与できる方に引き寄せた定義付けをしたがるものです。

ここは、慎重に検討してみるのが良さそうです。


そもそも、『疾患』とは何でしょうか?


『疾患』、すなわち『病気』と言い換えができますが、『疾患』『病気』とは何でしょうか?


『疾患』『病気』とは、最も争いのない最小の定義付けは、「生体組織の器質的異常、もしくは、機能的異常のこと。」です。


ここで、「生体組織の器質的異常」とは、生体組織における病理的・解剖的な異常により惹起される異常のこと。

「生体組織の機能的異常」とは、解剖学的・病理的な異常が不見当であるにも関わらず、生体組織の働きや能力が低下することで生じる異常のこと。


そして、「生体組織の器質的異常」と、「生体組織の機能的異常」とで共通することといえば、これらには、
(1)客観的検査方法が存在すること、
(2)不随意活動であること、です。


『疾患』『病気』は、例えば、お医者さんにかかるとして、治療を受け、投薬されることになるには、客観的検査によって、『疾患』『病気』を具体的に特定しなければなりません。

『疾患』『病気』と治療方法は、明確に関連付けられており、関連しない治療は、有害無益であり、また、保険適用できなくなりかねません。

そのために、客観的検査方法が存在しています。

また、『疾患』『病気』であると言えるためには、自発的意思によらない、自身でコントロール不可能であることが必要でしょう(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」参照)。


依存症ではどうでしょうか。


「生体組織の器質的異常」や「生体組織の機能的異常」が認められるのでしょうか。

(1)客観的検査方法は存在するのでしょうか、(2)不随意活動なのでしょうか。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」によれば、
どうやら、(1)客観的検査方法の存在、(2)不随意活動性については、疑問符がついたままのようです。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」(デイミア・トンプソン著、中里京子訳)は、依存症サバイバー、克服者が原著者であり、示唆に富んだ本です。

お医者さんが書かれた、『疾患』説の本も読みましたが、この本がきっかけで、性格の悪い法律家らしく、ニュートラルで、幅広く、様々な文献に当たっていこうと思うようになりました。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」では、『疾患』説ではなく、どうやら『状態』説で一貫して書かれています。

『疾患』説の良い所は、依存症で苦しむ人に対して、「あなたが悪いのではない。病気なのだから、仕方がない。あなたに必要なのは、意思を強くすることではなく、治療なのだ。」と慰めてくれることです。

『状態』説の良い所は、一般人に対して、「依存症は、人が偶然かかる病気だったり、特別の人がかかる病気なのではなく、誰でもがなりうる状態であって、依存させることで多くのビジネスが成り立っている現代社会では、あなたも、わたしもなりうる危険がある。」と教えてくれることです。


私は、『疾患』説が正しくない、『状態』説が正しい、と言うつもりはありません。

ただ、基本的には、『状態』であって、『疾患』となっている患者さんもいるのではないかという気がしています。

個々の依存症で苦しまれている具体的な人によっては、『状態』から『疾患』に転化していることもあるのではないかと考えています。


それよりも、関心があるのは、やはり、「依存症にならないためにどうしたらよいか。」ということであり、「依存症を克服するためにはどうしたらよいのか。」ということです。



ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」には、「依存症の人々の最たる特徴は、もっとも親密な一次的関係を、人とではなく物と築くこと」(p.18)とあります。

そして、以前、私が読んだ本の中に、「アルコール依存症を克服した人々の多くは、克服の過程で、あるいは、克服後に、利他的、スピリチュアルになっていた。」という一節がありました。



人との関係性を築けない人。

人との関係性が壊れてしまった人。


そういう人との関係が希薄になってしまった人が、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存に陥ってしまうであろうことは想像に難くありません。


とするならば、古くから、断酒会なので執られていた、依存からの離脱メソッドは、やはり有効性があったのだと思わされます。


現代では、その離脱メソッドを用いて、セレブやお金持ちの依存者から法外な報酬を取っている業者がいるという指摘もありますが、「他者との良好な関係性を形成、維持することが、依存症を克服する、重要な鍵になる。」ということは、間違いなさそうに思えています。


さて、私のお話では、どこまで研究して、どこまで触れるか。

まずは、あと1~2か月、目一杯広げて、最後の1~2週間で、絞るようにとしたいです。
by bengoshi_358 | 2016-03-07 17:50 | その他法律関連
次のテーマ 〜 依存症
「うつ病」についての講演を行って、「うつ病」についての勉強も一区切り。春頃に、臨床心理士の先生方とコラボして、勉強会をリードすることになりそうです。テーマは、「Addiction 〜依存症」です。メイン講師は臨床心理士の先生で、私は、法的な側面についての補足で終わると思うのですが、…ここは、やはり生来の好奇心で、ひととおり勉強しておきたいと思っています。講師側に立つ以上は責任を自覚しないといけません。知らないでは、それが顔に出てしまって講師側メンバーとしては情けないですし、頷くのもうそ臭くなります。「備えよ常に」の精神から、やっぱり、備えて勉強しておくべし、です。

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by bengoshi_358 | 2016-01-20 11:29 | その他法律関連
うつ病に関する講演録 その2
3.「うつ病」を取り巻く問題状況
ア.「うつ病」患者は増加している。
イ.心療内科施設数は増加している。
ウ.抗うつ薬市場規模は拡大している。
これらには何らかの関係がある、としか思えない。
このことを端的に指摘したのが、野田正彰著「うつに非ず」(講談社)です。
この本をきっかけに、次から次へと、ビジネス書、ポピュラーサイエンス書、医師向け専門書を約20冊読み進みました。
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 そして、「本当にそうなのか?」と思い、確認するべく、自分でも「うつ病」についてデータを調べてみると、厚労省のHPなどに私の欲しかったデータが殆ど公開されていました。
・うつ病を含む気分障害外来患者数

・心療内科施設数


・      抗うつ薬市場規模の拡大
※これは、株式会社シーマ・サイエンスジャーナルが、<ai Report サンプル【 ai Report 2011 10章 抗うつ剤市場 】> という題名でサンプルとして公開して下さっているPDFで確認できます。

そして、自分自身で、
①「うつ病」患者数の増加、
②「心療内科」施設数の増加、
③抗うつ薬市場拡大という事実、
の元データに触れることができたのです。


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これら①〜③をグラフにしてみたのですが、ほぼ重なります。
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4.何が問題なのか?
 医師や臨床心理士らの最近の調査研究によると、
(1)「うつ病」と診断されるものの多くは、いわゆる「新型うつ病」であり、実は「双極性障害」であること、
(2)「新型うつ病」に「うつ病」治療薬を投与するミスマッチが病気の難治化、自殺リスクを高めること、
(3)新型抗うつ薬、急性期に投与される睡眠薬のベンゾジアゼピンも奇異行動や自殺を招きやすいこと、が判明しました。
(新型抗うつ薬については、英国精神科認定医、カーディフ大学精神医学部ウエールズ副部門教授デヴィッド・ヒーリーの著書が詳しい)
(ベンゾジアゼピンについては、ニューカッスル・アポン・タイン大学精神薬理学名誉教授ヘザー・アシュトンの論文、著書が詳し)※両薬剤とも、海外では訴訟になっている

抗うつ薬は、読んで字の如し、「抑うつ状態に対抗して、気分をアップさせる」薬です。
本来の「うつ病」では、気分は下がったまま。
そのままでは、日常生活が送れないし、厭世的な気分になり、自殺念慮は深くなってしまいかねない。
眠れない。
そのため、精神状態はますます悪くなる。
だから、「気分をアップさせる」薬を飲ませるのです。
抗うつ薬、特に新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬は、多幸感をもたらし、非常に効果が高いといわれています。
気分は下がったままで、このままでは危ない。
だから、「気分をアップさせる」薬、中でも良く効く新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬が用いられるわけです。
但し、新型抗うつ薬は、効き過ぎ・過効能、賦活作用が問題となり、依存性が高く、かつ、奇異反応を引き起こすことがあるといいます。

それから、睡眠薬のベンゾジアゼピン。
こちらも、熟睡感、多幸感がもたらされる、非常に良く効く睡眠薬です。
不眠が続くと、やはり良からぬことを考えてしまいます。
とにかく、眠らせねばらない。
そんな急患に用いられる薬です。
ただ、ベンゾジアゼピンも、依存性や奇異反応を招く危険が高いといわれいます。

新型抗うつ薬にせよ、ベンゾジアゼピンにせよ、急性期の「うつ病」患者には、自殺リスクを軽減するために投与するのは有用です。

しかし、本来の「うつ病」=単極うつではない「新型うつ病」患者に、これらを投与することは、有害です。

「新型うつ病」患者は、抑うつと、上機嫌・軽い興奮をいったり来たりしています。

好きではない仕事で落ち込む。
嫌なことがあったら落ち込む。(←この時点で、本来の「うつ病」とは違うことがわかる。本来の「うつ病」では、嫌なことがなくても、たとえ良いことがあっても落ち込んだまま)
しかし、趣味や、やりがいのある仕事では上機嫌。
批判されたり、意見されて落ち込むけれど、何かのきっかけで攻撃的になったりする。

上機嫌だったり、怒っているときは、本人も、周囲も、誰も病気とは気づかないで、落ち込んだときに、本人は辛いので、病院に行きます。
そこで、抗うつ薬、場合によったら、新型抗うつ薬を処方されます。
抗うつ薬はよく効きます。
幸せな気分になり、また、次に落ち込んだ時に、通院します。
本来は、上下する気分の安定を図らねばならないはずなのに、落ち込んだときにだけブーストする薬を服用する。
ところが、その薬には、依存性もあり、かえって気分不安定を悪化させる可能性があるのです。
そして、常時落ち込んでいる、本来の「うつ病」患者ではないのですから、抗うつ薬の効き過ぎを起こしやすいわけです。

気分の上下サイクルで、気分が上昇し始めたときに、「まだ気分が少しすぐれないので、抗うつ薬を飲もう」ということをすれば、上方に気分・感情が振りきれてしまうわけです。

ネットで、新型抗うつ薬、ベンゾジアゼピンと、自殺や犯罪との関連を検索すると、いくらも情報が得られます。

(1)
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(2)
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(3)
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5.終わりに

ここまで学び、長年の疑問が解けました。

わたしは、法廷で、数々の「うつ病」患者の方々と出会いました。
「うつ病」と闘い、苦しいのに、辛いのに、法廷まで出てきて証言して下さる患者さんたちに、時には相手方関係者に、立場が違えど、敬意を感じていました。

ところが、敬意と配慮をもって接しようとするのですが、その次の瞬間、普通の事件関係者以上の割合で、興奮し、感情的に、むき出しの敵意をぶつけて来られる方が多く、いつも釈然としない物を心に溜め込んでいました。

ああ、そうだ、あの方たちは、「うつ病」ではないのだ。
もしかしたら、「新型うつ」なのだ。

今はそうわかります。

本来の「うつ病」ならば、自罰的で、他罰的にならず、興奮することもない。
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恐ろしいのは、「うつ病」と「新型うつ病」とでは、原因も、病態も、治療法も全く違うことです。

「うつ」はココロの風邪、などといって、気軽に内科や婦人科で診察を受け、抗うつ薬を処方されて安心してしまうと、かえって病状は悪化していき、さらに問題は根深くなるということです。

しかも、この悪循環は、先ほどの、グラフでみたとおりの構造的な問題を孕んでいるということです。

とある自治体では、不眠→うつ病→精神科医という自殺防止キャンペーンを行いましたが、キャンペーン実施後の成果は芳しくないといいます。
この点は、冒頭でご紹介した、野田さんの著書に詳しく、また、同著書で紹介された医師・保健衛生コンサルタント櫻澤博文(産業医大医学部卒)さんによる「自殺予防事業を考える」と題するPDFがウエブ上で公開されています。

「うつ病」と「新型うつ病」を峻別し、「うつ病」の確定診断を経ずに、漫然と抗うつ薬や睡眠薬を服用し続けることは危険です。
「うつ病」と「新型うつ病」、この「新型うつ病」に多くの割合を占める双極性障害(Ⅱ型)は、確定診断を得られるまでに期間を要し、「うつ病」と誤診され続けて、正しく双極性障害障害と診断されるまでに数年かかるケースが少なくないそうです。

患者さんは、通常、辛い、抑うつしか主張しません。
しかし、家族や周囲の目から見て、「好きなことはできる」「趣味がある」「時に攻撃的になる」といった特徴があったならば、専門の精神科医にかかり、厳密な診断を得るようにされるべきです。

ノーモア・ミスマッチ。
「うつ病」患者も辛いです。
また、「新型うつ病」患者も辛いです。

「うつ病」は、適切に治療すれば寛解しやすいといわれています。
また、「新型うつ病」も適切な治療で、安定させられる病気です。

辛い抑うつの症状だけをみて、見誤ることにないようにと願うばかりです。



by bengoshi_358 | 2016-01-15 19:37 | その他法律関連
うつ病に関する講演録 その1
1.弁護士の仕事について
 弁護士の仕事は、突き詰めれば、『個人・企業間の権利自由の衝突』を調整することにあり、その最たるものは、裁判であり、その中でも、損害賠償請求訴訟が中心です。
損害賠償請求訴訟は、損害の公平な填補が図られるようなしくみになっています。
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2.「うつ病」と裁判(電通事件より)
 損害賠償請求訴訟のなかで、最近目立つのが、従業員のうつ病の責任を勤務先会社の問う、という事件です。過重労働があり、うつ病と診断されてしまえば、直ちに会社の責任が肯定されてしまう、という傾向にあります。
電通事件は、気の毒にも、真面目な将来ある若者がついには自ら命を絶つという悲しい事件でした。
かなり無理な勤務状況で、会社側の責任が認められても仕方ない事件であり、そのとおりの判決が下されました。
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『明らかな過重労働があるにもかかわらず、会社として何ら配慮もせず、漫然稼動させていた』という事情があれば、会社側が責任を問われてもやむを得ないと思います。

しかしながら、いくつか事件を担当すると、そもそも「本当にうつ病か?」「本当に会社に責任があるのか?」という事件に遭遇します。
一定の残業はあっても過重労働は存在しない。
業務上の指導はあってもハラスメントもない。
そして、「うつ病」の主張があるのですが、不思議なことに、趣味など仕事以外の活動は案外活発にされていたりするのです。
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by bengoshi_358 | 2016-01-15 19:09 | その他法律関連
平成27年11月22日(日)名古屋・金山名古屋都市センター「うつ病に関する講演会」開催
再度のご案内ですが、

11月22日(日曜)午後に、金山・名古屋都市センター14階会議室にて、弁護士の立場から、「うつ病」について1時間半ほど、お話をさせて頂くこととなりました。

まだ、原稿は確定していませんが、概ね、下記のような内容でお話します。

<「うつ病」について>

1.厚労省の統計資料に基づく客観的データ
・「うつ病」患者の増加
 「うつ病」を含む気分障害患者は、平成8年頃に4万人弱だったのが、平成14年には8万人強へと倍増しています。
伝染病でもないのに、どうしてそんなに増加するのでしょうか?

・「心療内科」の増加
  いわゆる専門の精神科ではなく、もともとは内科であったり産婦人科であったりする医師のうち、「うつ病」なども診療するという、「心療内科」施設数は、平成8年には117施設であったのが、平成9年には185施設、平成25年には627施設と、5倍強に増加しています。

・「抗うつ薬」市場の拡大
  日本における抗うつ薬の市場規模は,平成10年(1998年)には,年間145億円であったものが、それ以降急速に拡大し、平成22年には年間1000億円の規模と、10倍になっています。

2.データから読み取れること
 <「うつ病」患者の増加=「心療内科」の増加=「抗うつ薬」市場規模の拡大>は、上昇カーブと、上昇時期が概ね整合しており、相互の関連を疑わざるを得ません。
つまり、「うつ病」患者を含む気分障害患者患者の増加は、病気本来の性質によるものではなく、患者をとりまく社会環境にも原因がある、と言えそうです。

3.データをもとにさらに検討する
・「うつ病」とは、どんな病気なのか?

・「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気にはどんなものがあるか?

・「うつ病」と「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気の治療は同じでよいのか?

・「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気の患者に、「うつ病」の治療を続けるとどうなるか? 

・本来的な「うつ病」は、適切な治療により、寛解、治癒する病気であるはずなのに、なぜなかなか治らない患者が多いのか?

・新型「抗うつ薬」(SSRIなど)の効能と弊害が問題とされているが、どういうことなのか?

・薬効の高いベンゾジアゼピン系の睡眠薬の弊害が問題とされているが、どういうことなのか?

・処方される適量でも依存性や奇異反応が起こるというけれど、それはどういうことなのか?

4.難治性「うつ病」、症状の深刻化、最悪の事態を回避するためにどうしたらよいのか

5.「うつ病」は裁判でどう扱われているのか
  (一般人を対象としていますので、ここに重点が行くかも知れませんが、私の弁護士であるにも関わらず、科学関係の団体主催の講座でお話させて頂ける理由、USPは、上記1.〜4.だと思います)

※ご存知ない方が少なくないかと思いますので、ここで少しだけ内容の一部をお知らせしておきます。

「うつ病」 ≠ 「新型うつ病」(「躁うつ病」が主要という有力説あり)

「うつ病」= 抑うつ状態。楽しいことがあっても、楽しめない。自罰的。
「新型うつ病」=抑うつ状態と躁状態もある。楽しいこと、自分の好きなことはできる。他罰的。

「うつ病」と「新型うつ病」、特に双極性障害とでは、病気の原因も、治療も異なっており、ミスマッチがあると、治癒しないで悪化する。

参考:厚労省HP
双極性障害について
「この病気は精神疾患の中でも最も脳やゲノムなどの身体的な側面が強い病気だと考えられており、ストレスが原因となるような「こころ」の病気ではありません。」(← 労災民事事件では原告被告とも、主張の仕方においては、いささか工夫が必要になります)

非常によく効く、「新型抗うつ薬」、「ベンゾジアゼピン系睡眠薬」には問題も多く報告されており、今日では、医学界の中でも、取扱い注意と強く意識されている。

最悪の事態は、他者からは唐突に起こるが、一定の心理プロセスをたどってそこに至り、そこに至るまでに、いくつかのサインも出ている。

第1部は、一般社団法人・生命科学文化推進機構の理事長であられる、早川あけみ先生が、「うつ病」を含む精神医学について、科学的なご説明をして下さいます。

私は、「うつ病」に関わる裁判事件を10数年前から、何件も受任し続けています。

そこで、いろんな医師や専門家に相談し、医学書やポピュラー・サイエンス本を20冊強読みました。

また、精神科医や、臨床心理士による講演会や勉強会に参加し、一部の講師にご相談したりしてきました。

早川あけみ先生も、そんなリサーチ活動の中で面識を頂いた方です。

そして、私のリサーチに大変興味を持って頂いて、「今度、コラボしましょう!」とお励ましを頂きました。

私は、てっきり冗談、お世辞であろうかと思っておりましたが、現実になってしまいました。

以前もご案内したのですが、
今回、他に予定していた講師が参加できなくなったことなどもあり、「うつ病」という単一テーマに絞られたこともあり、小会議室での開催となりました。

人数の関係もありますので、もし、関心がおありの方がいらっしゃいましたら、早めにお申込みを頂けますと幸いです。

今週末か来週には、中日新聞への広告もされるそうです。

私の名前では人は集まりませんが、早川先生のわかりやすくてためになるお話には定評がありますので、来週半ばには定員がきてしまうかも知れません。
講師特権(?)もありますので、直接、私宛に参加下さる旨のご連絡を頂けますと、受講料減額もできると思いますので、ぜひ、お早めに私まで、ご連絡下さいませ。m(_ _)m

「うつ病」の問題は他人ごとではありません。
社会一般に蔓延する深刻な病気です。

「うつ病」によって長く辛い状態に置かれる人が減って行くように、悲しい事件や事故が無くなるようにと心から願っています。

そのためには、広く情報を得て、自分の頭で考え、身体で感じ、自分のできる小さなことを行っていくしかないと思います。
今回、無謀にも、講師の1人となることをお受けしてしまったのも、私にとっては、そういう小さな行いのひとつです。


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by bengoshi_358 | 2015-11-13 17:03 | その他法律関連
民法416条について 〜通常損害・特別の事情による損害の内容とその効果
昨年末ころから、民事損害賠償論について考えていました。

私は、実務家であり、今は刑事事件は扱いませんが、勉強中は刑法も大好きでした。

刑法では、犯罪者とされると、自由を拘束され、名誉を奪われるという大変な不利益があるので、どんなことをしたら、どんな罪に該当し、どんな刑罰を科されるのか、予め明確にすること、つまり予測可能性が大切です。
そうでないと、行動の自由が保障されないからです。
憲法では、人権、人としての思想信条の自由と行動の自由をも保障しています。

では、民法では違うのか。
やっぱり、どんなときに損害賠償請求を受け、どの範囲で損害賠償義務があり、一体いくら支払わなければならないのか、予め明確にされないと、やっぱり、安心して経済活動できないのではないか、行動できないのではないか、と思います。

民法でも、刑法と同じように、やっぱり予測可能性は守られなければなりません。

しかし、それにしては、民法の不法行為論、損害賠償論は、刑法ほどにはしっかり議論されていないように、司法試験勉強中は感じていました。

平井宜雄先生の保護範囲説以降、損害賠償論の議論は進んでいます。
私は、田山輝明先生の基本書、参考書が好きですが、田山先生も、平井先生の立場を受けて、論を展開されています。
最近では、刑法の曽根威彦先生も論文を書かれています。

どれも、とても参考になります。

私は、偉大な先生方の書かれたものを読み、感動しつつも、もう少し、踏み込んでもいいのではないか、はっきりさせてしまってもよいのではないかという感想を持っていました。

それは、この十数年関わってきた、いくつかの深刻な損害賠償請求事件、大気汚染公害事件や企業間取引での損害賠償請求事件における、共同不法行為・債務不履行の競合、特別事情による損害の拡大、拡大損害の発生と個々の当事者(行為者、企業)の負うべき損害ないし賠償義務の範囲について、頭を悩ませるうちに、やはり明確な行為基準になるような、立法、立法がすぐにはできなくても、予測可能性を担保できるような、解釈論が示されることは不可避ではないかと確信しました。

そして、最近、私が関わっている事件のいくつかについて、裁判例を調査検討するうちに、裁判例に示される、個々具体的な事案での妥当な結論を導ける、解釈論らしきものを思いつきました。

刑法好きの私らしく、刑法における実行行為論や因果関係論を、民法の損害賠償論に移植しただけ、といわれればそれまでですが、刑法では徹底できなかった、客観的相当因果関係論(純客観説)が、民法では、公平妥当な結果を導くために利益調整をする、416条2項の存在により、徹底できるということで、刑法の通説・有力説を移植したわけではありません。


浅学非才で、頭の血の巡りも良い方ではありませんが、約20年のこれまでの実務経験から、「このように考えたら、妥当な結論が安定的に導け(多くの裁判例の結論を合理的に説明でき)、当事者間の公平も保てるのではないか」といえそうな考えを思いつきましたので(もっとも、田山先生の基本書と「特別事情による損害」の当てはめ部分が違うだけ ~されど、2項「特別事情による損害」と1項の損害の区別基準を一応は打ち立てています ~これは刑法の実行行為論を参考にしています)、ツイッターでシェアさせて頂きました。

以下に、再掲します。


【416条第1項の意味】「これに『よって』通常生ずべき損害の賠償をさせる」とあり、『よって』とは、因果関係を意味する。 ここでの因果関係は、事実的因果関係である。 『これ(=債務不履行)』と『通常生ずべき損害』との事実的客観的な結びつきがあること、関連あることを要求する。

事実的因果関係という、客観的に存在するか、しないか、を求めるものであると同時に、それが法的判断であることから、その判断は、①当事者の主観的事情の如何にかかわらず、②事後的に、純客観的になされなければならない。

刑法上の因果関係論における純客観説の判断構造と同様に、「当の債務不履行から、当の結果が発生することが①客観的、科学的見地から相当といえる場合には因果関係有りとし、②その判断の基礎とすべき事情は、行為当時から結果発生までに客観的に存在した事情の一切とする」というべきである。

事実的因果関係の問題であるから、その存否は、当事者の主観的事情とは無縁である。たとえ、当事者が認識していても、していなくても、意欲しても、意欲しなくても、存在するものは存在するし、存在しないものは存在しない。 「目をつぶっても世界は消えない」。

同様に、基礎とすべき事情は、およそ当の結果に原因力を及ぼす事柄であれば、行為時に存在したものに限られず、結果発生までの間に生じたものは考慮に入れざるを得ない。このように解しても、責任範囲は、416条2項により合理的に画されるのであって、債務者に不測の損害を与えることにはならない。

416条1項は、債務不履行と、事実的因果関係の存在が認められる「通常生ずべき損害」の範囲において責任を認めるということを定めており、当該損害を発生せしめた事情についての「予見可能性」の有無を検討するまでもなく、債務者に対して当然に責任を負わせるということを定めたものである。

問題は、「通常生ずべき損害」とは何か、ということであるが、素直に考えれば、「通常生ずべき損害」とは、「当該債務不履行それ自体が債務不履行時に具有する危険性が現実化したものといえる損害」である、ということができよう。

多くの学者は、「通常生ずべき損害は、契約類型ごとに判断するほかない」とし、「文字通り通常生ずる損害である」という(内田Ⅲ、p.158など)が、抽象的ではあるも、一応、上記の様に規範的に定義付けておくのが、個々の具体的事案についての具体的適用上、便宜であり、予測可能性を担保できる。

【416条第2項の意味】 「当該債務不履行それ自体が債務不履行時に具有する危険性が現実化したものといえる損害」を超えた損害が発生した場合、その損害は、当該債務不履行それ自体からは発生しえないのであって、「特別の事情」が存在したからこそ、発生したものである。

そして、そのような「特別の事情によって生じた損害」が発生した場合においても、「当事者」が「特別の事情」を予見できたときには、「特別の事情によって生じた損害」についても、債務者は責任を負う、ということを、416条2項は定めたものである。

民法の大原則である、意思自治の原則(=人は自らの意思に基いてのみ拘束される)のコロラリーである過失責任主義からして、予見可能性をもって責任範囲を画するということを宣言したものと解すべきである。

なお、予見可能性の主体である「当事者」の意味と「予見可能性の判断時期」この問題は、以上に述べたことは関連しない。『契約を破る自由』(内田貴Ⅲp.160)を承認するか、契約をした以上、契約は守るべしという原則を大切にするか、いずれの立場によるかで決せられる。

…以上(以下、裁判例の分析、事例への当てはめ例などの予定ですが、いつかどこかでまとめて発表できるようにしたいです)



長文になってすみません。
by bengoshi_358 | 2015-02-14 11:32 | その他法律関連
離婚家庭の子どもの支援
離婚家庭の子どもの支援という視点で活動する「NPO法人あったかハウス」

弁護士や家裁で解決できることは多く無い。

こうした活動が根付き、広まって欲しいと思う。
by bengoshi_358 | 2012-04-16 19:30 | その他法律関連
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