子ども時分は、イチジク同様、ギンナンも、買うものではありませんでした。
同居していた祖母の出身が、ギンナンの産地で、かつ近所の神社には銀杏の木が沢山あり、神主と祖父が仲良しでもあり、神社で拾ったギンナンは毎年今でいうごみ袋サイズの袋に自家用分だけで1袋はあり、冬から春先まで、一家6人のほぼ毎日に近いおやつと茶碗蒸しの具になっていました。
だから、わたしは今でもギンナンが大好きです。
今晩も肴のひとつはギンナンでした。
この翡翠のような緑がたまらないです。
見て美しく、食べて美味しく、栄養豊か。
子ども時分は、歳の数だけ、と決まっていました。
今は歳の数も食べられません。
あの頃は、沢山食べらる大人が羨ましくて仕方ありませんでした。