自分の思考を使って招き入れない限り、他人は自分の体験に入って来れない。
~「引き寄せの法則 アブラハムとの対話」エスター・ヒックスほか。ソフトバンククリエイティブ。
久しぶりに電車内で読みました。
強い言葉です。
この本は、アブラハムという目に見えない存在との対話形式という、表現形式さえ気にしなければ、学ぶところの多く、大変に役に立つ本です。
なぜ、自分だけこんな目に遭うのか。うまく行かないのか。
あの人だけうまく行くのか。平気なのか。
うまく行く人とそうでない人を分けるものは何なのか。
出発点は思考。
人は自分の考えているとおりの人になる。~アール・ナイチンゲールの著書名。旧約聖書、釈迦の言葉にもあるらしい。
思考を変える、しかない。自分の求めるもの、ことにふさわしい思考に変える。
それは、欲求レベルの思考、信念レベルの思考、を問わず、考えただけで、楽しくなる、元気が出る、心が明るく軽くなる、そんな思考に変える。
中村天風師が、楽しいことだけ考えなよ、と語られたとおり。
よい思考を、正しく思考をしているかどうかは、そのときの感情でわかるとヒックスは言います。
だから、天風師は、逆に、考えるだけでわくわく楽しくなることを考えなさい、と言われたのです。
もとは自分。
他人のせいではない。
他人のせいばかりにしていると、苦しくなります。
自分のせいではないと言い張っても、事実を知る自分が苦しいし、親身になって手助けしようという周りの人は誰もいなくなります。
もとは自分ということは、それまでの思考の結果は変えられないかも知れないが、これからのことはなんとかなる、ということにつながります。
主体的に選択し、行動することでこれからの未来を変えることができるということです。
どうせだめ、という思考からは、結果も予想できます。
コントロールを手放せという本を読んだことがありますが、それは確かに真実を含むと思うけれど、コントロールしてきたとが前提になるし、ことこまかにコントロールしようとせず、オープンマインドで予想外の遭遇を楽しもうというのがその本の趣旨だったと思います。
もとは自分と多少なりとも思えなければ、無気力になるか、他人に寄生し、他人を利用つくそうとするようになるか、どちらかではないかという気がします。
加藤諦三先生の本では、そういう無気力な善人と寄生癖のある人はしばしば出会い、不幸が生まれるという話がよくでてきます。
但し、表現の上では、確か、心が傷付いた、貧しい、愛された経験のない善人、同じような人でありながらずるさと毒を持った人、のように書かれていたようにも思います。
わたしは、もとは自分と思えない善人と同じようにもとは自分と思えないずるさと毒を持った人、とも理解できるのではないかと思います。
ただ、諦三先生の本では、心の病気や性格など身体的な問題や家庭環境などの問題まで含めて深い洞察をされていますので、わたしの今の考えは、まだ上つらを並べて比較しただけに過ぎません。
いつか、諦三先生のお考えとヒックスほかの考えについて、わたしなりのまとめをしたいとは思います。
人生は自分の手で切り開くもの。~アラビアのロレンス。
昔、この言葉に何度も感動しましたが、何度も何度も忘れてしまいます。
もとは自分です。
そう言えば、長渕剛さんの歌にも、肝心なことは自分がどうするかってこと、というフレーズがありました。
まとまりがありませんが、もとは自分ということを今朝も改めて考えてしまいました。