孔雀は、毒虫でも食べてしまうらしいです。
でも、その毒に当って死ぬことはありません。
また、その毒を体内に貯めて他の存在を脅かすこともありません。
そういう孔雀は、鳥の中で最も美しい鳥です。
人も同じこと。
厳しい運命にある、いわれのない仕打ちを受ける、いろんな辛い経験をさせられます。
人生に毒を投げ込まれます。あるときは自分から進んで受ける毒もあります。
そこで、それを周囲の人、とりわけ弱い立場の人にぶつけるなら、その人は孔雀ではありません。
孔雀となる人は、受けた毒を、ストレスを、逆境を、すべて自分の中で消化し、外部にまき散らすことはありません。すべて、自分の中で処理します。自分が悪くても、悪くなくても責任を引き受けます。
そういう孔雀となる人は美しく豊かな人になれます。いろんな奇跡のような良いことが起こるようになります。
…これが、孔雀のお話です。斎藤一人さんの講演(CD「覚悟の話・無から有を生む話」)で語られ、ネットでもいろんな方が取り上げている有名なお話です。
でも、人間だから、逆境にはどうしても不平不満愚痴悪口泣き言を言いたくなってしまいます。
わたしは、それも仕方がないと思います。
だって、言いたいんだから。
人間だから。
だけども、それを人前で、家族や他人の前ではやらない方がいいということ。
害毒をまき散らすことがいけないということなんだと思います。
自然とそういう不平不満愚痴悪口泣き言が出なくなるようになるまでは、そういうことを、自分1人のときには言ったっていいんじゃないかと思うのです。
その方が人間らしいです。
そうじゃなけりゃ、やっぱりストレスで病気になって、死んじゃいますよ。
死んじゃってもいい人ならばよいけれど、死にたくないなら、どこかひとりきりになれるときに(お風呂でも、トイレでもいいから)、気の済むまで怒ったり、泣いちゃったりすればいい。
何かの物語を読んで、その世界に浸って、泣いたり、怒ったりすればいい。
そういう感情を味わい尽くして、はじめて先に進める道ってものもあるんじゃないかと思います。
悲しいときは泣けばいい。
頭に来たら、怒ればいい。
でも、自分一人のときだけ。
しっかり、泣いて、しっかり怒って、自分の否定的な感情も味わい尽くして、新たな気持ちで、また歩き出す。
そのときには、同じようなことで悲しんだり、怒ったりしない自分になれているのではないかと思うから。