借金で困るのは、計画性がなかったからだと言われることがあります。
事件や事故、病気等の不幸があったわけではないのに、欲しい物をクレジットで買い続けて行き詰まるような場合はそのとおりかも知れません。
なぜ、計画的にお金のやりくりができなかったのでしょうか?
無計画=>本能の欲求と外界の刺激に反応するだけになりやすい。
おなかが空いて豪華なディナーが食べたくなった。
高級レストランでカードを切る。
新製品が出た。すぐ欲しくなった。
デパートでカードを切る。
どうしても借金しなければならないときもあるでしょうが、そうではないときには借金はしないほうがいい。
それはわかっている。
いずれ行き詰まるかもしれないとわかっている。
それでも借金してしまうならば、それはどこか間違っていると言えます。
でも、不必要な借金を安易にしてしまう人が少なくないという現実があります。
借金の始末には、人の生き様を見る思いがします。
借金整理の相談に来られて、「自分は、破産したい。」「わたしは、民事再生がしたい。」「できれば任意整理がしたい。」と明確な言葉で語れる方には、ある程度過去の清算が心理的には済んでいる人が少なくありません。
「破産して、5年後にはまたやり直したいのです。早いスタートを切りたいので、破産したいのです。」
「民事再生をして、自宅を守りたいのです。家族のよりどころである家をどんなことがあっても守りたいのです。」
「家族や保証人さんに迷惑をかけないために、なんとしても任意整理をしたいのです。」
…そこには、ある種の
明確な「目的」があります。
「目的」を自覚すると、
そのために一体何をしたらよいかを考えるようになります。
同時に、どうして「目的」とはかけはなれた現在があるのか、どうして破綻することになったか、
これまでの自分のお金に対する態度や生き方までも反省できるようになります。
「目的」はとても重要です。
それぞれの「目的」がどれほど尊いものであるか、身にしみて理解されます。
「目的」をいつも目の前に置いていないと本能の欲求と外界の刺激に反応するだけの存在になってしまいます。本能の欲求と外界の刺激に反応して、安易に借金を重ねてしまうことになりかねません。
具体的な言葉で借金整理の方法について希望を述べられる方は、
それまで忘れていた当たり前の「目的」=家族の幸せ、自分の夢、必要を明確に意識されています。
「わたしは、5年後にはお店を持っていたいのですが、どんな方法がよいでしょうか。」、「自宅を守るにはどんな方法がよいでしょうか。」とダイレクトに「目的」=将来の希望、夢を語られる方は、借金整理の方法について詳しくないだけで、同じこと。
しかし、明確な言葉を持たない方は、返済に汲々として心の余裕がないか、まだ本能の欲求と外界の刺激に反応して、安易に借金を重ねているときと同じ心の状態のようにも思えます。つまり、「債権者から責められるのが嫌だからなんとかしてくれ」と債権者の厳しい督促という環境の変化に単に反応しているだけという人もいないわけではないのです。
「幻がなければ民は滅ぶ。」旧約聖書の言葉にあったように思います。
夢、希望、目的がなければ、舵のない船と同じこと。
概ね本能の欲求と外界の刺激に反応して生存を継続するだけ。
夢、希望、目的があるからこそ、「今日は、豪勢な食事はがまんしよう。」「お金が貯まるまで新製品を買うのはあきらめよう。」、そして「まず貯金して種金を作ろう。」ということになるのです。
借金整理の方法にも、いろいろあります。
現在の心身の状態、資産状況、そして近い将来の夢、希望、目的に応じて、最適の方法を選ばなければなりません。
わたしは、借金整理のご相談をお受けするときには、現在の心身の状態、資産状況、そして近い将来の夢、希望、目的をお聴きします。
特に、近い将来の夢、希望、目的を明確にしていただきます。
無いなら、無いなりに、それ以外の事情から最適な方法をお勧めします。
でも、
借金整理の「その後」が大事なのです。
弁護士にまかせて厳しい督促を免れたから安心、だけでは済みません。
もうお金のことで困ることの無いように、というご決意をいただかなければ、こちらのほうが不安になってしまいます。
ですから、どのご相談者に対しても、どんなことでも良いですから、
「近い将来の夢、希望、目的」をお持ちになるように祈念し、お勧めしております。
「近い将来の夢、希望、目的」がまさしく夜の海の灯台のように、人生が荒波を迎えたときにも、ブレを最小限に止めて、困難を乗り切って港まで航路を進ませてくれるものだと信じているからです。
矢沢永吉さんの「成り上がり」という本でも、矢沢さんが語っていたと思います。
「目的がないことが一番つらい。でも、俺には目的があった。」
大きい目標でなくてもよいから、とにかく目的を持つ。
そして、努力する。
達成する。
また目的を持つ。少しだけ大きな目的を持つ。
達成する。そして、こういうことを繰り返していく。
それは苦労ではなくて、むしろ楽な道なのではないかと思います。
目的がなければ、本能と外界の欲求に反応するだけのように生存を継続するだけ。
目的があれば、舵と航海図面と灯台があるようなもの。
本当に楽で、楽しく、生き甲斐のあるのはどちらでしょうか。
今日は、愛知県弁護士会の法律相談所で借金整理相談員を担当して数名のご相談をお受けして、あまりにも似通った方がいらっしゃったので、ささやかな目的からでも心に秘めてお持ちいただければと、一生懸命話しました。
話しただけでは足りなくて、ここに書いてしまいました。