今日は国選刑事事件(期日まで1ヶ月を切ってから配点されたヾ(-_- )/θ )の公判がありました。
被告人は前途もある若者。
ただいくらか浅薄であり、面会時には涙を流して後悔していました。
厳しい処分が予想される事件でしたが、自力更生の見込みも高いのであり、裁判所にはできることなら社会処遇をご選択いただきたい事件です。
こういう事件では、法廷での被告人に対する質問も厳しくします。
弁護人でありながら、検察官のように反省を促し、二度と犯罪に走らないことを誓ってもらうためです。
さて、いざ、と思って法廷に入ったら、顔なじみの検察官がいました。
前回の国選事件も同じ検察官でした。
罪を憎んで人を憎まず、といいますが、大きな声で厳しく被告人を叱咤するのですが、「人生は容易ではないが、目標をもって、具体的に考えて、着実に進んでいかなければ生きている甲斐はない。」ということをメッセージにして伝えられる検察官です。
前回の法廷では、裁判官が、50歳くらいの被告人に対し、「弁護人も、検察官も、今回の事件のことよりも、あなたの今後のこと、生き方のことばかり心配して一所懸命問いかけられている。あなたはわかっているのか。裁判所もあなたのしたこと(放置自転車乗り逃げ)は悪いとしても、あなたの今後のことが心配でならない。やればできる人だと思う。こんなことで二度と裁判所に来なくてもよいように希望する。」と説諭されたくらい、その検察官は被告人に語りかけていました。
今回も、検察官は、いろいろ突っ込んで厳しく訊いていましたが、総合すると「お前、なにしてんだ。こんなことしてちゃいけないだろう。きちんと人生行路をまっとうに進める人間じゃないか。心入れ替えてやったらやれるんだよ。」と言っているようでした。
この検察官は、被告人を単なる客体として観るのではなく、法廷をルーティンワークでこなすのではなく、「もっとがんばって生きろ、まっとうにやったらきっと良いことあるぞ。」とメッセージを送り続けているような人のようにお見受けします。
弁護人としては敵方ではありますが、非常に信頼できる、立派な検察官だと思います。