「はじめての構造主義」橋爪大三郎著、講談社新書 ¥720
構造主義は、マルクス主義哲学と実存主義哲学をふまえて登場したものらしいです。
マルクス主義によれば、人間社会は歴史法則によって支配されていて、革命が起こって人民の解放に至るのは歴史的必然という。
「必然」ならば、そこで何をする?
革命に参加して命を落とす危険を味わうより、黙って待っていればよいのではないか。
ニヒリズムが生まれます。
では、生きる意味はどこにあるのだ?
人間の存在なんて、どうせ不条理。無意味ではないか。
じゃ、いっそのこと開き直ってしまおう。
大きな流れの中で無意味な存在であるなら、大きな歴史創造の流れから距離をおいて虚無に浸る人生よりも、自発的意思をもって歴史の中に身を投じて、歴史創造に参加していこうではないか。
…と実存主義は答えるのだそうです。
人間存在の「被投性」(客体としての不条理、虚無)というなら、自分でまた「投げ返そう」(参加する主体)というのでしょうか。
構造主義は、そもそも「歴史法則」を否定するところから始まるそうです。
人間社会にには自覚できない無意識の「構造」があって時間が経過しても不変である、と考える。
それまでの、マルクス主義、実存主義も、社会や文化の発展・先進や後進ということを前提にしてきたけれども、構造主義のリーダーのレヴィ・ストロースはブラジルで未開社会を研究し、「悲しき熱帯」という旅行記にまとめ、この歴史法則に疑問を呈します。そして、「構造人類学」にまとめられます。
わたしは、カミュ、サルトルを昔読みましたが、「自分で投げ返す」というところまで読み切れませんでした。
さて、またこの本を読み進めるとしましょう。