「魂の演技レッスンCLASS17・人物のリズムを掴む」(ステラ・アドラー)
「誓いの精神に従って服装を決める。」
アメリカやヨーロッパでは、話す言葉(用語)、身なりで区別されるということ聞いたことがある。
私は、昔、Shit! と呟いて、知人に酷く叱られたことがある。
そういう言葉を口にする人は、我々のコミュニティに居てはならないのだという。
だって、映画でみんな口にしてるじゃないか。
そう反論しようと思ったが、知人らの呆れて凍った表情に言葉をつなぐことはできなかった。
「形式に従うことで、人間は世界観を分かち合おうとした」
言葉や服装や態度といった形式は、世界観に裏打ちされている。
だから、形式を共有することは、世界観を共有していることを示すことになる。
世界では、特定の服装をしなければならないという信仰者や、信念をもった人たちがいる。
服装でそれがわかる。
言葉遣い、用語の選択もそうだ。乱暴な人は、自分や周囲の人の人生に対して敬意を持っていないことを自分から示すに等しい。
世界観を共有できれば、社会生活もうまくいく。
世界観を共有できなくても、尊重し合えるようでいられるレベルに、互いに敬意が持てるように、日々の具体的生活や行いに潔さや、親切心、思いやりや知性が現れていれば共生はできる。
「普通の人生では足りない。もっと大きな意味を見出して生きたい。
俳優を目指すなら、そう言って欲しい。」
普通の人生の定義がここでは問題にはなるけれど、わくわくどきどきある人生が面白い。
意味を探求、追求していきたい。
行き当たりばったりで、天気に従って気持ちがアップしたりダウンしたりするのではなく、使命、天命を追求し、自覚して生きたい。
「朗読するときは、状況を想像すること。誰に対して話しているのか、決める。言葉の裏にあるイメージ、映像を目に浮かべられるように。」
これは、会話すべてに当てはまる。
つまらない話には色がない。
映像がない。
話しての見ている映像が、聞き手にも見える話は面白い。
ステラは、最後にシェイクスピアの『尺には尺を』の一節を紹介する。
以前、ステラはシェイクスピアは読むだけで状況が分かると書いていた。
ここで紹介されているのは、主人公の台詞ひとつだけだが、非常に面白い。
シェイクスピアは、感情のままに喋れせるのではなく、主人公の思想、大きな考えを台詞の言葉にしているという。
感情ではなく、生き方、哲学を伝えるために語らせている。
語る時は、脳内に映像を投射し、それを観ながら語る。
感情ではなく、思想を語る。
それ自体で、語る人自身の思想や生き方が問われることになる、言葉や服装といった形式を大事にする。
心しておこう。
そして、訓練のためにシェイクスピアを朗読してみようと思う。