「完璧にできなくても気にしない」 1-49
「恐怖は3つのカテゴリーのどれかに当てはまることが多い。失敗する恐怖、傷つく恐怖、完璧にできない恐怖の3つだ」
どれも根源は同じ。
プライド。エゴ。
自分の心が傷つくのが怖い。
思ったより他人は気にしてはいない。
そのことがわかるのは、多くの場合年齢を重ねてからだ。
私は幼い頃、他人に見られるだけで赤面した。
幼稚園で無遅刻無休を表彰されるとき、カチコチになり歩くことができず、何度も練習して辛うじてロボットみたいになって園長先生から表彰状を受け取った。これは、自分の緊張感とともに、母親や祖父母、近所の同級生の親たちが何度も笑い話にした光景なので、刷り込みによるものかも知れないが、その後、大学生になっても自意識過剰気味だったので、多分事実だったのではないかと思っている。
我々は、成長の途上にある。
何歳になってもそうだ。
小さな自意識を脇にして、大きく意識を広げて行けば、すべて生きている人間は、人類の進化、文明の発展と調和ために寄与するべく、自身と関わる全ての人の精神や魂の成長のために、各員奮励努力せよということだ。
自意識は、良いものでもあるけれど、個であり、孤である。
でも、事実としては、綿々と続く御先祖からの繋がりがあり、世の中でも目に見えない、数えきれない程膨大な人々との関わり合いを持って生きている。繋がっている。形式上個であるけれど、孤ではない。
個であるのは、それぞれが勉強、体験して魂を磨き、全人類として進歩、発展するためなのだと言った人(立花大敬師)がいて、納得した。
自分だけでなく、家族(先祖、過去、まだいない将来のを含む)や周囲の人達、見知らぬ世界中の人々とも関わりを持って、繋がりを持っていりのだから、そういった全ての人々の助けを貰いつつ、そういった全ての人々に対する責任もあるわけだ。
ご縁は、ご恩であり、責任でもある。
そう考えたら、ちっぽけな自意識は何処かに飛んでいく。
「やってみなければ何事もうまくならない」
上手くできなくたっていい。
我々は進歩の、成長の途上にある。
たとえうまくできなくても次に繋がる。
次の自分に。
次にする仲間たち、次の世代に。
名誉は残らなくても、表立って直ぐには感謝されなくても、人々の記憶に、あるいはそれと意識されなくても、あなたの魂も後世の人々との魂と共に生きることになる。
「ビリー・ジョエルの初期の作品はレコードにする価値のないものだった。彼は自分の才能に絶望して一時は自殺を考えた程だったが、大成功したシンガーソングライターになった」
「現在、あなたが歩いているのは、赤ん坊の頃に、はいはいをし、立ち上がり、何度も転ぶ経験をしたからだ。今度音楽が聞こえてきたら、ためらわずに踊り出そう」