「人生を偶然にまかせない」 1-31
「あなたの人生は旅行と同じくらい綿密に(注:ここは後で特に補足したい)計画を立てる価値があるはずだ!」
人生は観光旅行だという人がいる。
光を観る、輝くものを観る。
経験する。
人生は、光り輝くものを観て、経験して、感動し、魂を震わせ、進化成長していくためにあると。
旅行は、無計画な旅行よりも、丁度良く自由時間が設けられた旅行が面白い。
無計画な旅行は、大当たりもあれば、大ハズレもあり、概してハズレの方が確率的に高いというのが多くの実感ではないか。
それは、無計画といっても、結局は、その時点での自分の先入観、知識経験をもとに、その時点での自分自身の生活の延長程度の旅をしてしまうことが少なくないからだ。
個人的には、ガチガチに計画を立ててその通りに、あたかも無難に計画を厳守することだけが至上命題のような、保育園や低学年児童の時のような旅行はつまらない場合が多かった。
やや大人びたひねくれたところがあった私は、感動するだろうと予定された計画が見え透いて退屈していた。
しかし、大学生になって以降、逆にハプニングを期待して、全く無計画に旅行をしてみようと思っても、楽しかった経験を思い出せない。
イチかバチかのギャンブルで、自分のこれまでの経験や知識とは逆にことをする、という確固たる決意でもしない限り、無計画な旅行が楽しくなることはない。そして、イチとバチの出る確率は同じくらいであり、バチでがっかりし、一度きりの人生旅行を絶望的なものにしてしまう場合が十分あり得ることを覚悟しなければならない。
どうせ覚悟するなら、やはりルフィでいこう。
無邪気に、まずは「海賊王に、俺はなる!」と決めよう。
それから、計算でできることは計算で処理できるようにしておこう。
コンピュータは計算で人間よりもいれていているが、計算できることしかできない。
コンピュータだけでは新しい何かが生まれることはなく、夢や希望や目標を、人間がインプットしてやらなければならない。
誰でも計算でできることは、計算でしておこう。
コンピュータでできる仕事はコンピュータでやろう。
コンピュータが使用禁止の試験は、頭の中にあるコンピュータ機能に任せよう。
スプーンを曲げる必要がある場合に念力で曲げることはない。
ペンチを使う。万力を使う。
道具やコツは使えばいい。
少しでも、余計な苦労は避けたらいい。
避けられない苦労は絶対にやってくるから。
苦労は節約して行こう。
誰かに助けて貰えるなら感謝して良いよう。
仲間も自然とできるだろう。
ナミの得意なことはナミに。
サンジの得意なことはサンジに。
そして、それぞれの夢を一緒に実現できればいい。
旅行のコツは計画を立てること。
但し、遊びを持たれて、自由時間を取り、ハプニングに備えること。
ハプニングには、今現在の自分の知識経験からは好ましいものばかりではないだろうが、将来の自分にとって必要、必然、最善な体験を提供してくれるものとして喜ぼう。
計画が苦手なら(実は私もそうだ)、大まかな計画でもいい。
大目標に小ゴール。ノートに書いて行こう。
そして、常に心で、リアルに「○に、俺はなる!」と言い続けよう。
そのことを達成するための知識経験が十分ならば、計画は「綿密に」でいい。
しかし、未体験ゾーンに突入する場合、知識経験は不足しているのだから、「綿密に」しようにもそれは難しい。
現在の知識経験の枠の中で戦っても枠を越えられずに力尽きてしまうかみしれない。
旅行の計画でも遊びを入れる、ハプニングに備える必要がある。
人生の旅路は尚更だ。ある程度の計画を立てて、計算でできることは計算で処理することとし、小ゴールと小ゴールの繋がり、次へのステップが現段階で見えにくい部分があって当然。見えにくくなっている具体的な目標達成までの経路は、白紙でもいい。一旦は記入しても、墨守するのではなく、変更可能だと意識しておくがいい。
「○に、俺はなる!」
それが目標だ。
この目標自体も、別にもっとわきわくどきどきするものができたら、そっちに乗り換えていていい。
計画は立てていこう、でも囚われない。
最低限、誰もがわかっていることだけはきちんとぬかりなく、計画たててやろう。
「大海原でちっぽけな発泡スチロールが風に吹かれて漂っている。こんな人生を送ってはいけない!」