例により、文藝春秋の3月号を読む。
芥川賞作品目当てではあるが、今年は、佑ちゃんの記事からだ。
前早稲田監督・應武篤良さんの手記。
こんなくだりがある。
「私は斎藤が入学してから、『大学は仲間を作る所なんだ』とずっと言ってきました」
「(自分のような年齢の)今になると、授業のことなどほとんど覚えていない。それより、卒業後の人生を想像しながら夢を持って朝までお酒を飲んで語り合ったり、時には喧嘩して、信頼できる人を見極めていく。それが大学の役割ではないかと私は思っています」
最後の、『大学の役割』は当たらずとも遠からじ。
本来の役割は、専門教育であるし、研究者の育成であろう。
しかし、誰もが研究者になれるわけでなく、夢破れ、実業界に方向転換したり、そもそもが研究者になろうなどという思いを一度も抱くことなく、大学を卒業していく学生が大多数。
社会に出る前に、教養を磨く場としての大学という位置付けになるのだろう。
私もそのクチであった。
だからこそ、應武さんの言葉はよくわかる。
教養を磨くだけでなく、多感な若い時代に沢山の幅広い出会いが広がっていく始めが大学でもある。
教養と仲間作り。
これが、一般的な学生にとっての大学の意義なんだろうと思う。
ただ、自分自身の大学時代を思い返すと、いささかどちらにも不十分だったと反省の念が込み上がる。
より不足が多い教養については、今更ながら、これからまたがんばろうと思う。
一生が勉強。
死ぬ直前が一番賢い。
(同年齢の漫画家三倉佳境作・関節王「柔術の道は一生が修行。死ぬ直前が一番強い」のパクリ)