若い友人が、「本を一読すれば頭に入る」「一度聞いたことは覚えてしまえる」と言うのを聞いたことがあります。
優秀であるのは間違いない。
直接話をしたことがありますが、相当に優秀です。
でも、誰でもそういうことができる可能性はあるのではないかと思います。
何といっても、若いということがその可能性を大きくするのではないか。
若く、かつ、興味のある分野・対象に限定すれば、優秀なかの知人でなくとも、そういうことは起こりやすいのではないか、と。
若い時というのは、一般的には知識経験があまり豊富ではありません。
だから、空き容量が大きいHDのように、何でも放り込むことができるし、検索速度も速いので、読書中から頻繁に検索をかけていけば、記憶は正確に定着していくのではないかと思います。
年齢を重ねると、知識経験は増えて行きます。
決して頭が悪くなっているのではなく(と信じたいという願望だけかもしれませんが)、年齢が高くなると、覚えるのがしんどくなるのは間違いありません。
読んだり、聞いたりすることは、たいてい以前に聞いたことと同じだったり、横着になって覚えておく必要はないとか、今の仕事や生活にすぐ役に立つものでないと判断がついてしまうから、よほど好きなことで無い限りあまり関心がもてない。
覚える能力がたとえあったとしても、覚えないから、記憶力が落ちているように感じていきます。
しかも、余計な知識経験があるためか、記憶庫から短時間に、ピンポイントで必要な情報を取り出すことが難しくなって、自己嫌悪に陥ったりします。
私は、繰り返しますが、老化による記憶力減退や、その他機能低下はあまり認めたくないし、いくらかあるにしてもカバーできると信じたいです。
そして、若年と中高年で相違する、(要らぬ情報も含めて)知識経験の多さと横着さによる、記憶や、記憶再現に際してのひっかかり、障害を克服する「方法」を考えるべきなのではないかと思っていました。
というか、本音を言えば、先の若い知人の姿がまぶしくて、羨ましくて、何とかキャッチアップしたい、どうにかしたいなと思い始めたのでした。
そうこうしているとき、菅原道真公が中年になって以降に書いた文章の中に、「勉強の基本は、短冊への抜き書きにある」という件があると以前本(大岡信「菅原道真 うつしの美学」)で読んだのを思い出しました。
現在なら「情報カード」です。
当初は受験生の暗記カードみたいでどうかとは思ったのですが、「情報カード」1枚にワンテーマで抜き書きを始めました。
その後、仕事の本や、判例時報からも抜き書きを始めました。
さらに、テレビで観て面白かったことや、役に立ちそうなことも書くようにしました。
そして、本ごとに、テレビで観た雑学、店や商品情報ならそういう情報ごとに、リングでまとめ、持ち歩き、自宅内の毎日必ず入る場所に吊るしたりもできるようにしました(狭いその場所にはいくつもリングにまとめられた読書カードが吊るされています)。
やってみたら、これがいい感じ。
まず、「情報カード」を製作する段階で、手を動かすというのがいい。線を引くだけより、ワープロにするよりも、頭が動いている感じがします。
書いた時点である程度記憶でき、気楽に気軽に見返すことができることで確実に記憶に定着していきます。
本の量も膨大になり、なかなか手に取ることも少なくなって来たのですが、「情報カード」なら(いずれ同じことは起こると思いますが、カードの方がアクセスが容易な分その時期は遅いのではと思います)気軽に手に取り見返すことが多くあるのです。
「ながら勉強」にぴったりなのがカードです。
「情報カード」の内容に不足を感じたら、原典である本に戻ればよいのです。
私は、新しい情報の記憶や、記憶の取り出しそれ自体にストレスを感じ始めていましたが、「情報カード」を多用するようになって、希望が見えてきました。
ぼんやりとした灯りから、明るい光になりつつあります。
幸い、「情報カード」はダイソーで安価なもの(100枚〜200枚で100円)が出るようになりましたし、リングも10本くらいで100円。それに、「情報カード」を入れるケースも、5X3カードならダイソーの「メッシュバスケット」やセリアのTVリモコン入れ「u・ni・son」がぴったりです。名刺サイズカードなら、名刺保管ケースでそのまま行けます。
ダイソー「情報カード」の品質は3倍から2倍の価格の一般文具店で売っている物に負けますが、気楽にがんがん使えるという点は大きいです。
私と同じ様なお悩みをお持ちの方がいらしたら、是非とも、「情報カード」勉強法をお試し下さい。
「情報カード」は、手帳や、メモよりもずっとアクセス簡単で、気楽に気軽に、作成、集積、利用ができます。
一生が勉強。
死ぬ直前が一番賢い。(三倉佳境の名作「関節王」のパクリです)
そのためには、工夫して勉強を続けるしかないですね。