頼まれ事をする。
望まれる事をやってみる。
自分で自分の道を力づくで切り開いていくだけが人生ではないと思います。
それに、
力づくで何でもやっていけるのは、特別な人だけ。
類い稀な才能に恵まれた人、全世界を敵に回してもいいと思える人。
長く幸せでいたいならば、力づくは好ましい方法ではありません。
古くから、リーダーシップ論で言われているように、
力づく→利益誘導→論理的説得→心服…と進むにつれて、目的達成のためのコストは下がって(長い目で見れば)いきます。
力づくは、直ちに強烈な逆襲に遭ったり、相手や周囲に深い恨みを残したり、自分の側の被害の予想がつきにくいです。
しかし、利益誘導以降は、自分の払うコストが予測できるし、費用対効果を計算しつつ、途中撤退も可能です。
さて、頼まれ事、望まれる事の場合はどうか。
それらが、自分の希望している方面のことであれば、長い目で見れば、自分の目標達成に役立ちます。
頼まれ事、望まれる事なので、それをするには、全く抵抗がありません。
大義名分もありますので、精神的にも余裕ができます。
相手にも、自分にも好ましい、それこそWin-Win関係になります。
自分の思ったとおりではないけれども(潜在意識では思ったとおりかもしれません)、自分と目標をつなぐ線上あるいは線付近の方面のことでありさえすれば、頼まれ事や望まれる事をし、頼まれたポジションや望まれるポジションにつき、そこで精一杯努力するならば、自分の人生に役立たないわけはありません。
もっとも、全くの悪意をもって近づく人からの頼まれ事はパスするにしかず、ですがね。