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愛知県名古屋市中区丸の内 弁護士加藤英男の日々是精進日記(ツィッター:@BengoshiKH)
by bengoshi_358
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# by bengoshi_358 | 2013-10-24 12:19 | こちらもよろしく
エンディング・デザイン 〜相続問題入門セミナー(2) 
憲法は、個人の尊厳(憲法第13条)を最高価値とし、これを確保するために、自由権と平等権を定めています。

個人は、自由であり、平等に取り扱われてこそ、その尊厳を確保(憲法第13条)できます。

憲法が保障する自由の中には、財産権(憲法第29条)もあります。

個人は、財産を保有する権利が認められ、自身が保有する財産を自由に使っていいことになっています。
ですから、遺産は、それぞれが自由に分けていいことになっています。
但し、実質的平等に配慮して分けるようにと配慮されています。 (自由と平等は、実は対立するものなんですね)


憲法を承けて、民法は相続について、一体どのように定めているのでしょうか。

民法は、相続人(誰が相続できるか)を定め、それぞれの相続分(相続できる割合はどうなっているか)を定めています。

民法は、基本的に、血縁者に自分の財産を相続させたいと思うであろうと考えて、血縁者を相続人と定め、血縁の濃さに応じて相続分を定めています。 被相続人(亡くなった人、相続される人)の生前の意思を推測して、そのように定めています。

そして、相続人と定められてはいるものの、様々な事情で、その人を相続人とすることが社会正義、公平に反するような場合、そうした場合は、被相続人の意思にも反するのが通常でしょう。
そうした場合には、相続人から、除かれるという制度を設けています。 「欠格」と「廃除」です。

また、相続人であっても、相続を受けられるかどうか、また、どのような割合で受けられるかは、被相続人の合理的意思を推測して定められているわけですから、もし、被相続人の側で違う意思を持っていた場合、例えば、家を継いてくれるという次男には相続分よりも多めに遺したい、長男には多額の学費がかかったことだし、少なめにしたいとか、はっきりとした意思を持っていた場合には、その意思のとおりに(例外はありますが)できるように「遺言」の制度を設けています。

整理すると、こういうことです。

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# by bengoshi_358 | 2013-07-18 15:49 | 相続
奈良の中1女子、いじめで自殺か 「死にたい」、友人に相談 (LDニュース-共同通信)
「いじめとの因果関係は低い」って。
思春期にどれだけ友達が大切か。

友達が友達でなくなり、いじめの標的にされたら、その辛さは想像に固くない。やってる奴らにはわからないし、その同年代にも理解できなかったりするのだろうが、歳を重ねて思春期を振り返ると逆に理解できたりする。

「責任」の問題とは別にして、「いじめ」らしいものが存在するのに、「いじめ」らしいものと自殺との「因果関係」が「低い」とか「ない」とか断定するのは変ですね。他になにか自殺に結びつくような大問題でもあったのでしょうかね。

「因果関係」は客観的に。
客観的事実から客観的に判断するのが筋だと想います。



 http://news.livedoor.com/article/detail/7829207/ 
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# by bengoshi_358 | 2013-07-05 11:27 | 日々雑感
弁護士に裁判官、検察官と同じ試験・同じ修習制度による研修が必要か?
弁護士に裁判官、検察官と同じ試験・同じ修習制度による研修が必要か?

(弁護士の使命)
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

弁護士は、民間人です。
しかし、裁判官、検察官と並んで、司法試験合格者でなければ弁護士になれないのが原則です。
弁護士は、裁判官、検察官とともに、法の解釈適用執行に関わります。

裁判という場での司法という国家作用に関わるために、司法試験という選別の場を経て、さらに修習制度により研修を経験し、司法研修所での卒業試験にクリアしなければ弁護士として開業することはできません。


法の解釈適用執行に関わるということがどういうことかと言いますと、法とは何かというところから考えてみるとわやりやすいです。

現代国家は、押し並べて法治国家です。
特定個人のほしいままに国民を支配するのではなく、国民の代表者が国民の総意をもって定めた決まり=法にのっとって、国の政治のあり方を決定します。
そして、法は、政治のあり方だけでなく、国と個人、個人と個人との関係についても定めます。
つまり、法は社会生活の根幹をなすものです。

法をつくる国民の代表者を選ぶ過程も大切ですが、社会生活の現場、最前線で、直接国民の権利義務の内容消息について判断決定することに関わる裁判官、検察官、弁護士となるべき者を選び育てる過程(そしてその後のチェック)も非常に重要だということになります。

「裁判官、検察官が優秀なら、弁護士なんてどうでもいいじゃん」という考えもありますが、裁判官、検察官は国の人。公務員です。
裁判官、検察官が、時の権力側に有利な判断を行なう危険性は、抽象的にはどうしても否定できません。
弁護士が、民間の側に立って、裁判官、検察官と対等に渡り合えるくらいの能力を持っていないと、到底役に立ちません。

そういう意味で、弁護士も、裁判官、検察官と同じ司法試験に合格し、司法修習制度で十分な研修を受けて実務に就けるようにしてあるわけです。

現在の司法修習制度は、修習専念義務といって、アルバイトや就職を禁じつつ、1年以上の長きにわたって無給でほぼ終日拘束して研修をするというものです。

所詮、裁判官、検察官も自身のスキルアップが昇進につながるものゆえ、任官されれば自分で研鑽に励むだろうし、内部での研修制度で十分。ましてや弁護士なんて自分の職業なんだから、自分で努力して研鑽に励むべし、という見解に立つならば、修習専念義務を外してしまうのがよいのではないかと思います。
あるいは、修習制度なんて廃止してしまってもいいでしょう。
現状の制度では、1年間無給であっても経済的にやっていけるだけの経済力のある人しか裁判官、検察官、弁護士になれないのです。すべてが「自分の職業のためだから、税金で研修なんてやめてしまえ」という意見には一理あるとしても、今の制度は、「職業選択の自由」を侵害するものではないでしょうか。

また、「弁護士は、裁判官、検察官と対等に渡り合えるくらいの能力を持たないと機能しない」という意見に一理あるとしたら、やっぱり何らかの形で裁判官、検察官、弁護士と合同での研修の場は必要だし、ある程度の長期にわたって、まとまった研修が必要だというのであれば、従前の司法修習制度のような、給費制(有給研修)の復活も考えられてよいのではないかと思います。

本当は、他のことを書こうと思っていたのですが、書き出したらあらぬ方向に行ってしまいました。。。
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# by bengoshi_358 | 2013-07-04 12:44 | 弁護士という仕事について
エンディング・デザイン 〜相続問題入門セミナー(1)
(2013.6.15 at 公民館)
※事務所制作の素朴な画像ですが、著作権は放棄しておりません。

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伴侶を得て、家庭を作り、子どもたちは仲良くすくすく元気に育っていきます。
父も母も、一所懸命に働きます。
30代、40代…月日はあっと言う間に流れます。

子どもたちも巣立って行きました。
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中高年を境に、先々のことが気になってきます。
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家族はみんな仲良くやっていると思うけれど、自分がいなくなったらどうなるだろうか。
伴侶はどうなるか。
相続は争族を生むというけれど、自分の家族もそうなってしまうのだろうか。

財産はいくらかあるけれど…。
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「兄貴を殺して、私も死にたい」
10数年前に、ある家族の相続事件で、妹さんがおっしゃいました。

仲良し家族が争族にならないために、どうしたら良いのでしょうか。
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# by bengoshi_358 | 2013-07-04 12:09 | 相続
遺産分割・遺言と労働問題。
放置状態になっているこのブログです。

登録して下さっている方には申し訳ありません。

ぼちぼち、再開できればと思っています。


最近の私の関心テーマは、「遺産分割・遺言」と「労働問題」です。
どちらも、業務量が多くなっている分野。

過去には、「倒産問題」などで本を書いたり、コラムを書いたり、コメントしたり、で月刊プレジデント4月号(3月25日発売号)では、「住宅ローン」問題について見開き2頁の記事を出稿しています。
「離婚」についても、本があるので、問い合わせがあったり、離婚カウンセラーの方や子どもとの面会交流問題に関わる実務家の方々との交流も続いています。

しかし、今、ホットなのは、「遺産分割・遺言」と「労働問題」。

「遺産分割・遺言」は、大型事件が1つ終わり、またいくつも続いて相談がきていますが、今度、さるところで2回連続講演を行うことになりました。

「労働問題」は、企業側なのですが、職場のメンタルヘルスやハラスメント、不祥事などの相談が多くなっており、労働審判や調停も増え、常時何らかの相談や代理人対応をしている状態です。


現在の当事務所の関与する裁判所継続事件、相談事例からは、以下のように思えます。

現在、企業が最も頭を悩ませるのは、対外問題より、内部の問題。個人が最も頭を悩ませるのは、離婚、相続問題。

現在というよりも、いつも変わらずに存在する問題なのかも知れませんね。


現在、空いた時間に「遺産分割・遺言」セミナーの準備をしています。
そろそろ、自分が関わっている分野、業務についてのまとめ的な読み物、記録、何か当事者や関わる関係者に役立つ物を残してみたいと思うようになりましたが、こういうセミナーは、報酬がなかったり、あっても交通費だけだったりするのですが、自分の考えや、伝えたいことをまとめるのに役立ちます。
そろそろ、自分が関わっている分野、業務についてのまとめ的な読み物、記録、何か当事者や関わる関係者のためになる物を残してみたいと思うようになりましたが、セミナーをする準備作業や、レジメがその土台になりそうです。


また更新します。
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# by bengoshi_358 | 2013-04-27 18:59 | 事務所について
結論の妥当性と手続の簡略さ
私は、刑法では前田雅英先生の学説で答案を書き、口述試験も乗り切った。

前田先生の基本書は繰り返し何度も読んだ。
前田先生の講義は、辰巳法律研究所のカセット講座で聴いただけだったが、前田先生のお言葉の中で、一番印象に残り、今も私に影響を与えているものがある。

それは、要約すると、「結論の妥当性が一番大事。そして、結論が妥当であるならば、手順は簡単な方がいい。妥当な結論が導けるならば、理論構成は簡素で明瞭なものがいい。」というもの。


これは、私が仕事をする上でもずっと意識し続けていること。

結論の妥当性。

勝つべきものが勝つ。
とにかくできるる限り、被害を回復する。
落ち度は落ち度として認めつつ、落ち度に相応する出捐以上の理由のない出捐を回避する。


そして、妥当な結論に落ち着くことができるのであれば、手順は簡単な方がいい。
いたずらに手続を複雑にし、事件を細切れにして、沢山の裁判や調停を起こすことは良くない。
クライアントの負担を重くし、手続費用や弁護士費用ばかり嵩んでしまうことは避けたい。


クライアントの感情の部分にも配慮しながらも、結果的にクライアントに利益が少しでも大きくなるよう、クライアントが前に進んで行かれるよう、寄り添って走り、元気を注入するコーチのように接して行く。
いたずらにあれも、これもと申立をしない。
そうやって、事件をスムーズに解決していくことで、次の事件の依頼や新しいクライアントの紹介に繋がっていくように思う。

手数料仕事と考えたら、事件の数はできるだけ細かくして増やしていくのがいいのだろうけれど、手数料仕事ではなく、本当の意味で事件を、紛争を治めるお手伝いをすることこそが我々の仕事。

結果の妥当性と手続の簡素さ。
クライアントの物心の負担を軽くし、できるだけ早期に解決、終結に至らしめるお手伝いをする。


今日も、着地点に至った事件もあり、先がはっきり見えた事件もある。
手が離れて行くことには、寂しさもないではないけれど、安心したクライアントの顔を見るのは嬉しいものだ。
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# by bengoshi_358 | 2012-08-31 17:20 | 日々雑感
「フランクルに学ぶ」・6講(斉藤啓一、日本教文社)
「フランクルに学ぶ」・6講(斉藤啓一、日本教文社)

『あらゆる行動とそれに伴う全ての感情生活は、唯一の課題、即ち、ただ生存を維持するということに集中する。ただ、生きる延びることだけが唯一の目的だった』(ヴィクトール・E・フランクル)

『勇気を無くさないで下さい。生命を信頼して下さい。絶望を追い払えば死を遠ざけることができます。お互いに助け合ってください。これこそ、生き延びるための唯一の手段です』(アウシュビッツ被収容者リーダー)

『毎朝、何千人もの人達が足を引き摺るように歩きながら、一輪の花を踏まないようにして歩いていた』(被収容者ゲルタ・ワイスマン)

勇気、希望、信頼、友愛、美。

極限状況の中で、人と人が食い合うことが起きやすい。
ナチスもそれを狙っていたのだろう。
生還者たちは、食い合った者達がどちらも死んでいったのを見た。

極限状況で生還者たちを支えたのは、食物ではなかった(食物は配給物それ自体が生存を維持できるものではなかった)。

人間とはどこまでも人間だということか。
ナチスの非道により動物、獣となること、無感情の木偶人形となることをを強いられ、多くの人々が滅んでいった。
体力、気力が萎えて命を落として行った。
しかし、アウシュビッツから生還した人たちは、人と人との関係性の中で生き、勇気、希望、友愛、美の心を失わなかった。乏しい食事でも体力を維持し、気力を保ち、精神のバランスを失わずに生き延びた。

では、現代を生きる我々はいかに生きるべきであろうか。
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# by bengoshi_358 | 2012-08-06 07:00 | 読書録
雨上がり、中休みの曇天の木曜日。
雨上がりの梅雨空の木曜日は湿度高く樹々に優しい日。

樹々が安心してぐんぐん育っていく「木」の曜日。

樹々に負けぬよう、地道に育つ「私」の日、「私」曜日になりますように。

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# by bengoshi_358 | 2012-07-05 16:32 | 日々雑感
誰にも必要な心理武装 〜「すべての超能力は再現できる ~脱洗脳」(Daigo & 苫米地英人)
「すべての超能力は再現できる ~脱洗脳」(Daigo & 苫米地英人)

これは面白い本。
私は、説得や承諾誘導、神経言語プログラミング(NLP)、マインドコントロール、洗脳に興味がある。

詐欺師やペテン師(区別基準には「容易に判別できるウソかどうか」や「本人自身が信じ酔っているかどうか」等諸説あり)、虚言癖ある人、他人の足を引っ張ることが生きがいみたいな人等に被害を受けた方々の相談を数多く受けてきた。

ある人はどうして引っかかり騙されてしまうのか、どこに騙されてしまうのか、騙す側が意図的に行っていることは何か、無意識的に行なっていることは何か、被害者は何を信じ、何を期待して深みにはまっていくのか。
それを解明したいという思いがある。

さすがに、Daigoも苫米地さんも、自分たちが職業としている「ネタ元」に関わる部分は、うまく話を避け、躱して、核心部分の外縁をぐるぐる回っている感は否めない。
しかし、それでも小出しにヒントは出してくれているので面白い。
Daigoの本も2冊買ったし、苫米地さんの本はかなり買っている。
この本も、即買ってしまった。

ステラ・アドラーの演技の本を読んだせいか、まず次の言葉は面白いと思った。

「リー・ストラスバーグがスタニスラフスキーシステムをもとに作ったメソッド演技法があるが、必ずバーチャルミラーの指導がある。」
「全方向から見えている自分の姿を客観的にイメージしながら演技しないと、演技としては完成しない。」

役者ばかりではない。
我々、社会の中で人との関係性の中で生きている全てが「演技」を意識するべきである。
どう見えるか、見られるか、にもっと注意した方がいい。
いい歳になってから、つくづくそう思う。
遅ればせながら、気づいたときからでもいい。
Elbow ones way的な生き方では、相手をハードクラッシュさせるか、自分がハードクラッシュさせられるかになってしまう。
低コストで相手からの承諾を勝ちとり、必要であれば自分を変えていく。
自分の見え方を変えていく。

どう見えるかが大事なのは、次の言葉にも現れる。
「あとは自分で書き込んでくれる。(例えば)新興宗教の教組は人前でかっこつけてるだけで、家に帰ったら何やっているかわからないが、信者の方で勝手に24時間の残りを想像してれる。」

要は、相手に良い自分のイメージができてしまえば、後は話は早いということだ。

悪意を巧妙に隠して「演技」する悪辣な人々に食われてしまわないように、逆からも学ばなければならない。
・先入観を持たない。
・あの人はこういう人だから、と良くも悪くも決め付けない。
・人間の良し悪しの判断や推測は置いて、その人の行動を見て、自分の基準で判断する。

「メンタリストは、ミスディレクションといって、言語的な誘導とか動きによって盲点をつくる。すると、本当はそこに最初から存在しているのに見えなくなる。見えているのに見ていない。ミスディレクションを解くと、それらがみえるようになるので相手は驚く。」

ここで、苫米地さんの言葉の中の「メンタリスト」を「詐欺師」「ペテン師」に置き換えてみて欲しい(注:メンタリズムも素晴らしいエンターテインメントだが、悪用された場合の危険は大きい)。

残念ながら、悪辣な人々は一定数存在する。
生来的に悪辣な人ではないかも知れないが、その性格のために自分自身が苦しみ、周囲も苦しむという気質を持った人々が一定数存在するという。
※「良心を持たない人たち ~25人に1人という恐怖」(マーサ・スタウト、木村博江訳)
※「平気でうそをつく人たち ~虚偽と邪悪の心理学」(M.スコット・ベック、森英明訳)
※「うそつき ~うそと自己欺瞞の心理学」(チャールズ・V・フォード、森英明訳)
※「結局、自分のことしか考えない人たち」(サンディ・ホチキス。江口泰子訳)
※「あなたを傷つける人の心理 ~きずな症候群」(加藤諦三)
※「なぜこの人は、自分のことしか考えないのか」(加藤諦三)

自分が自分らしく生きるために、知的武装は必要だ。
いや、心理武装といったほうがいいかも知れない。
いい人が苦しめられないために(加藤諦三先生によれば、「いい人」が食われてしまうという)。
不当に苦しめられている人が立ち上がるために。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-27 17:44 | 読書録
学生時代を過ごした懐かしい場所
今日の東京出張は、思うところあって、学生時代に住んでいた下宿先に行ってみた。

最寄りの駅は、京王線笹塚駅。

笹塚十号通りを北に突き当たり(のようになっているクランクの所)まで進み、西に曲がって暫く歩く。

私が居た頃には、つつじの花が咲く和風の下宿館だったが、私が退室した直後にワンルームの風呂付アパートになっている。

大家さんの表札を確認し、行き当たったときには感慨深かった。
携帯写真を撮ったつもりだったが、撮れていなかったのが残念。

行きつけの銭湯は閉店(午後4時からオープンなのに4時過ぎに行ったがシャッター…廃業?)していた。
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それから、十号通りよりずっと西の、環七の手前の道(駅へ向かう近道だった)を南に抜けて、駅に戻り、図書館に行ってみた。

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図書館は相変わらずだった。

自習室に入ると懐かしさがこみ上げてきた。


駅の周りを歩くと、すっかりオシャレな街になっていた。
十号通りにもオシャレな店が入り、駅のクラウン商店街も明るくなっていた。

十号通りのモスバーガーは無くなって空き地みたいになっていたが、駅前のロッテリアは昔のままだった。


いろんな思い出が蘇り、今からしたら取るに足らないことに悩み、親や周囲に迷惑をかけ、無為無駄に時間を過ごしていた。
若いというのはそういうことなのかもしれないけれど、やり直しができるならば、学生時代だけはもう一度やり直したい。

殆ど全ての大人がそう思っていることだ。


本を沢山読み、勉強し、議論する。
そうしたことをもっとするべきだった。
そうしたことを、あまりしてこなかった大人の1人として、深い反省を込めて学生時代を省みる。

スポーツでも何でもいい。
人それぞれ違うと思う。
しかし、誰もが、一所懸命にやるべきときにやらなかった後悔を心の奥底に抱えている。
「ああすればよかった」
「あの時、あっちの選択肢に進んでいたら」
一所懸命やって来なかったと思うから、そう思う。

まだまだ取り返しがつく若い人達。
どうぞ、今ある時間を、機会を大切に。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-21 21:07 | 日々雑感
学びは真似び、地道な訓練。
昨日は、NHK文化センターで話し方教室の第3回目を受講。

現役のアナウンサーでタレントの生田サリー先生が講師。

仕事以外の私的な会合やパーティーでの挨拶ごとで噛まないで話すこと、久米宏さんや木村太郎さんのようにビシッと決まったショートコメントを瞬時に出せるようになれたらいいなと始めた習い事。

わかっていることでも、実践はまた違う。
身体に染み込むまで覚える、どんなときも安定的に成果が出せるまでにする。
仕事はもちろん、仕事以外でもまた同じ。
やはり、学び、真似をし、実践する。これを繰り返すしかない。

第1回は、新鮮で面白かった。
第2回も、楽しかった。

第3回は、挑戦していくスピリットが芽生えた。
1分間トーキングの実践訓練で、時間不足に陥った。
これは、3分間で話を組み立てて1分間で語り尽くすという練習だ。
これを30秒に縮めたら、コメンテーターのコメント出しの訓練になる。

1分間トーキング訓練、テーマはうまく行ったし、事前のメンタルリハーサル(3分間内でやる)でも行けるかなと思ったが、甘くはなかった。

他に受講生のトーキング訓練を聞いて、批評をし合うということにも参加しないといけない。
うっかり、ロードマップを作り忘れた。
(たかが1分間のトーキングでも、なれないうちはロードマップになるキーワードメモを作っておかないと、散漫になるということが、後で身をみって分かった)
結果は、他の受講生は優しいから褒めてくれたが、多分話の飛躍や、性急な落ちについて来られなかったはず。
これは反省し、次回に、またどこかで行う挨拶ごとの本番に活かそう。

仕事での議論、論争や説得、法律実務の講義ではなくて、最近増えてきた挨拶ごとやショートスピーチにコメント出しをする場面で、もう少しうまくやれないかなと思い立って始めたカルチャーセンター通い。

面白く始めさせ、楽しませ、それからチャレンジ。
生田サリー先生の講義の組み立ては、法律実務の講義や講演にも参考になる。
(天然自然、天真爛漫で自由自在にトピックを組み合わせ、耳目を引きつけて、最後に話をうまくまとめてしまうところは、やはり会話、講演、アナウンス、インタビュー、司会のプロだから、真似しようがないかもしれないけれど、千里の道も一歩から)

あと2~3回で終わってしまう講座だけれど、これはいい刺激、挑戦、学びになる。
第1回、2回の後は復習も、宿題も、まぁいいかなと、横着心でやっていなかった。
今日からは心を入れ替えて、言われた通りのこと素直にやってみたい。

カルチャーセンター、面白い。
キーンさんの講演会も申し込み完了!
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# by bengoshi_358 | 2012-06-21 21:06 | 日々雑感
続ける 〜「仕事はおもしろい」(斎藤一人、マキノ出版)
昨日は台風4号が列島を縦断。
今朝は台風一過。
とはいえ、厚い雲の梅雨空が広がっている。

夏から秋には台風と向き合ってきた日本人のご先祖たち。
大きなものから小さなものまで、人間の力ではどうにもならない自然災害。
どうにもならないものやことがあることを、通り過ぎて行くのを待つことしかできないものやことがあることを改めて思う。

さて、今朝も斎藤一人さんの「仕事はおもしろい」(マキノ出版)から、少し。

「技は1つ覚えればいい。
真剣勝負では、身体がすくむ。
いろんな技を覚えていても使えない。」

これはそのとおり。
得意技を磨くべし。
但し、やっぱり得意技へ持って行くための導入の技、得意技を決めたあとの締めくくりの技ないし動きまで考えておきたい。

勝負に勝っても試合に負けたらいけないから。
勝負に勝っても命を落としたらいけないから。
勝って、逃げて、また勝ち続けなければならないから。
その点、かっこ悪くても勝ち逃げを続けた宮本武蔵は凄かったのだと思う。

「続ける。やり続ける、言い続ける。」

続けて行くことで、質的変化を呼び起こす。
ワープしたような感じになる。
奇跡は続ける人のところから起こって行く。


「素敵な人はすごく少ない。だから、素敵になるのはすごく簡単。」

物事は、難しいと思うか簡単と思うかでその後の進み方がかなり違って行く。
無謀ではいけないけれど、準備に周到過ぎて着手できなくなってもいけない。
やってみては修正し、進んで行く。
手始めに簡単なことなんだと仮定してみるのは悪くない。
簡単なことでもすぐに成果が現れるなどとは思わない。
手近な安易な成果は思わず、でっかい夢を心に燃やして続けて行く。
続けている人は素敵に見える。
続けていくと楽しくなる。
楽しく続ける人は最高にかっこいい。

我々は大きな自然の中で自然の一部として生きている。

慌てず、焦らず、取り越し苦労は脇におき、のんびり行こうぜ。
そんな声が心の中から響いてきた。

続けていけばいいんだよ。
これと決めたら、まずやってみる。
納得が行くまで続ける。

「とてつもない光が自分の内側から輝き出してくるものなんだよ」
リチャード・バックがそんなことを言っていたと読んだのを思い出す。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-20 12:36 | 読書録
限界を超える ~「仕事はおもしろい」(斎藤一人)第四章
限界を超える ~「仕事はおもしろい 第5章」

「人の魅力はその人が限界を超えたときに出てくる。」

魅力が勝負を分けるポイント、と前章で読んだ。

その魅力というのは、その人の限界を超えたときに出てくるという。

生まれたままで魅力的なのは赤ちゃんと、相当な美男美女に天才だけか。

普通の人が魅力的に輝くのは、その人が限界にチャレンジし、それを超えたとき。

甲子園が一つの例か。
きら星もいるが、身近な高校生がひたむきにチャレンジし、成長し、限界を超える姿に感動させられる。

人はみな現状維持が好き。
だから現状を変えようと、より良くなろうと努力する姿、成功を見るのが好き。

でも、現代は現状維持だけでも大変なこと。
時代は停滞し、右肩上がりの時代ではないのだ。

だから、「現状を維持したいなら、常に挑戦しないと無理」だとも書かれている。

ホント、生き残るために勉強し、かつ、挑戦をし続けなくてはならないのだ。

「限界を打ち破るというのは、弱かった自分を超えること。」

そう、闘いは外にではない。
闘いは自分の内に。
昔、学生時代に読んだ庄司薫を思い出した。
「もっとも手強い自分自身という敵」
「青少年期は人生の兵学校」
そんな言葉があった。

多分、人生すべてが通しで兵学校なのだろう。

魂磨きの兵学校。
魂磨きは「魅力的になること」だと一人さんは書いている。

魂磨きは、わくわくどきどきする体験をして、魂の埃落としをすることだ、という人もいる。

わくわくどきどきする体験を多くした人は、大抵が魅力的。

わくわくどきどきする体験の多くは、チャレンジ、挑戦だ。

同じことが違った切り口で説明されているということだ。

さて、挑戦する、限界を超える。
どうしたらいい?

慣れていない人、成功体験の全くない人(はあまりいないが、全くないと思い込んでいる人は少なくない)はどうしたらいいだろう。

「真似をして、その上で自分の工夫を付け加える。富士山の上に脚立を立てたら日本一。」

真似からなら入りやすい。
注力するべきは、自分なりの脚立を作り上げること。

仕事はやっぱり大変だ。
それが当たり前。

「ディズニーランドへ行って楽しいのは、お金払っているから。」 

できるだけ楽しくやろう。
工夫しよう。
真似して、挑戦して、限界を超えていこう。

Go or die.
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# by bengoshi_358 | 2012-06-19 09:50 | 読書録
不義理は恥 〜「仕事はおもしろい」(斎藤一人)
斎藤一人・「仕事はおもしろい」



第2章は、「義理と人情の成功法則」。

一人さんの1作目、「変な人が書いた成功法則」のようなイメージ。



現在のような厳しい時代には、「法則」どおりにやらないとうまくいかないのだそうだ。



その「法則」について語ることを本筋に、例によって小さな脱線をしながら(脱線も関連性のある脱線であり、それ自体に学ぶべき点がある)、一気に読ませてくれる(語りおろしの文章起しのようだ)。



「法則」その1は、

結局のところ、世間の期待に応えるということ、世間の期待以上のことをするということ、かなと感じた。



「人生は自分が決めてるようだけど、人が決めてるんだよ。」

「あなたを選ぶかどうかはお客さんが決めている。」



自分が、どう見えているのか、思われているのか、きちんと考えて行動したほうがいいということ。



それと、「法則」その2は、

好きなことを仕事にする、仕事を好きになる、好きになれるように工夫して楽しくやる、ということ。





「はなゑちゃんは、美容が好き。だから、人の10倍仕事してもくたびれない。好きなものは他人の10倍努力しても疲れない。」





ビジネスマンはすべからく心したい。

「偶然で当たっちゃったものは、偶然失敗する。法則をしっかり知っていれば、失敗はないんだよ。」



「厳しい時代は、法則通りにやらないと、うまくいかない。」



そして、「法則」その3、

脱線かも知れないけれど、こだわるところにこだわり、こだわるねきではないところにはこだわらない、とうことか。



こだわるべきではないこと。

自意識と宗教を挙げている。

「世間の目ばかり気にするなという人は、世間に負けている。みんな世間の見る目を甘く見ている。世間の見る目をばかにする奴は成功できない。」



「神を出されたり、宗教を出されたりすると、凄い問題のような気がするが、宗教なんか何でもいい。何千年と続いているのだから、いいこと言っているのだろう。どうせ全部いい宗教なんだから、いい女がいたら改宗すればいい。こだわること自体が宗教に負けている。」(信仰は自然的なものだけれど、宗教は人為的なものということか)



こだわるべきこと。

義理と人情を挙げている。

「筋の通ったことをする。世話になった人に対して、自分がどういうお礼をするかっていう気持ち。そのことがなくて成功しようなんてとんでもないよ。うまいから食べるんじゃなくて、以前世話になったところだから食べに行く。」



「意気に感じて生きているやつは、周りに意気に感じて生きているやつが集まってくるんだよ。人の世話になることは恥ずかしくない。世話になったことを忘れるのは恥ずかしいんだよ。」



胸に手を当てて、色んな恩人のことを想う。

恥ずべき存在に成り下がってはいないか、常に反省をしようと思った。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-13 14:27 | 読書録
形から入る ~「仕事はおもしろい」(斎藤一人)
第1章の題も「仕事はおもしろい」。
この章も殺し文句満載。

つかみが、またいい。
みっちゃん先生の20代のうつ病克服話が「おもしろい」。
一人さんが、みっちゃん先生を、毎日ステーキ、焼き肉食べに行かせて、家ではレバ刺し食べろと命じたそうな。

有り得ないことは起きない。うつ病の人がばりばり肉を食べる姿は有り得ない。だから「ばりばり肉を食べる」を続けたら、両立しない「うつ病」の方が消えてしまったのだ、と。

「最初に治った現象を作る。すると後から現実がついてくる。」

これは真似したい。
何にでも応用できる。

「絶対不可能なんて、世の中にないよね。」

「目的地見つけたら、そこへ進むことだけ考えればいい。」

一人さんの本やテープ、CDは、すぐに結果がでるようなことは教えてくれない。
日本一の商人だから、こうしたら儲かる的なことを期待するかも知れないが、一人さんが教えてくれるのは、もっと射程圏の長い知恵。
具体的な行動にいたるヒントを教えてくれる。

第1章で、既にヒントをもらった。
この章だけで本代のもとはとれた。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-12 10:50 | 読書録
見られることを意識する 〜「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」(D.スコット、B.ハリガン)
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「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」(D.スコット、B.ハリガン)

若い頃から好きだったわけではないが、グレイトフル・デッドは好きだ。

iPodにはちゃんと入れてあって、たまに聴く。

懐かしい、落ち着いて聴くことができる音楽。

ちょっと聴いてかっこいいとか、痺れるリフやサビがある訳でなく(だから大ヒットはない)、それでも聴いていると、何となくいい。
日本ではそんな位置付けの人が多いのではない か。

しかし、ライブに触れる機会が多かったアメリカの人々には、グレイトフル・デッドの熱狂的なファンが沢山いるらしい。

大ヒットがないのに、40年近く続き、熱狂的な ファンがいるバンドとは、わかりやすく日本の 似たようなバンドを挙げるとしたら、どんなバ ンドなんだろう。 考えでみるが、あまり思い浮かばない。

強いて挙げるとしたら、RCサクセションとか、スターリンとか。違うかも知れない。

この本の、監訳者(糸井重里)まえがきを読み、買うことした。

グレイトフル・デッドは、ライブに来た聴衆 に、自由に録音させ、ファン同士がテープを交換するのを許していたそうだ。

これは凄いこと。
そんなことをしたら、レコード(今のCD、有料 ダウンロード)が売れなくなると、普通は思うはず。

グレイトフル・デッドは、ライブ体験を売っていたのだそうだ。
ライブで勝負し、ライブに関連することで収益 を上げていた。

ファンを大事にし、ファンの方からマーケットを作ってくれていたのだそうだ。

私は、美意識を持つということが大事だと思う。
日本人は、特にそうだと思う。
恥を知り、四季の移ろいを生活に映し込み、身近に美を感じ、取り入れて生活している。 美意識は日本人のアイデンティティの一部を構 成しているのではないかと思っている。

大衆操作的でないマーケティングもある。グレイトフル・デッドのマーケティングがそうらしい。

糸井さんは書いている。 「常に人に『見られている』ことが、いかに仕 事に効果をもたらすか。」
美意識を持つということは、『見られている』という意識と表裏だ。


グレイトフル・デッドは、アーティストとしてのマーケティングのお手本になる。
アーティスト、また我々普通の日本人にとっても大いに参考になるのではないか。そんな予感がする。

「人間は物語の上で生きている。共感を呼ぶ物 語が『見られている』ことで生まれたら、1%の 可能性が2%になるかも知れない。」

我々一般人は、見られていることを意識するべきだ。 アーティストも、舞台以外でも、常に見せること、見られていることを意識すること。

そこにヒントがあるように思う。

「上昇志向を忘れる。他人と比較することを忘 れる。代わりに、より気持ちよく、より楽し く、より仲良く、へらへらとやわらかくいる。 」

原著者まえがきにも、殺し文句がある。
「グレイトフル・デッドは、製品を革新的するよりも、ビジネス・モデルを革新することの方 がずっと重要なのだと教えてくれる。」

原著者まえがきの最後ににくいことが書いてある。 原著者は、この本の印税の25%を寄付するのだ そうだ。それも、カリフォルニア大学の図書館に。グレイトフル・デッドの研究を進め、維持させるために。

ここまで読んで、楽しくなり、私はレジに向 かっていた。

これから、暫くこの本を読みたい。
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# by bengoshi_358 | 2012-06-11 10:58 | 読書録
一生が修行 〜「魂の演技レッスンCLASS22・階級」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS22・階級」(ステラ・アドラー)

ステラの講義をその場で受けているかのような錯覚。

読後に拍手したくなる感動。

ステラと翻訳者には、心から拍手したい。

ステラは、この講義では、初めに、ブリューゲルの絵画・「農家の婚礼」を取り上げる。

今回は、農民と南部人の演じ方。

このどちらについての講義も、人間というものの本質的な心理、心情、性質を示してくれる。

貴族、農民、南部人。
どれも、全く違う。
演じ方は異なる。

しかし、共通する人間の哀しさと喜びを切り取って提示することにより、活力や気付きを人に与える仕事が俳優だ。
(テレビには何と意識の低い学芸会スターが多いことか!)


この章では、農民について論じることで、人間同士の繋がりや絆、自然の中の人間、人間としての喜びを語る。

「彼らは身体を使って生きている。」

先週末に観たテレビ番組を思い出した。
あるスタントマンが演じた後で一言。「子供たち、こんな仕事をしなくて済むように、一所懸命勉強しろ!」と笑みを浮かべて言っていた。反語だ。彼は間違いなく仕事が好き。

農民も身体をフルに使って生きている。
脳味噌を使い切り、脳から血が出るくらい五感を使って仕事している。

「人を低く見る考え方は捨てろ。彼には彼の個性があるだけだ。」

「農民が喜びに満ちているのは、決して失うことのない物を持っているから。大地に根を張ることは、確かな真実。人間は大地に根ざすものだとわかっている。精神性に欠けるというのではなく、ただ都会の人が感じるような痛みの感覚がない。」

違った痛みはあるのだろう。


ステラは、古き良き時代の都市の労働者についても、やさしさを持って語り、最後に愛するべきさらに美徳を備えた良き南部人について熱く語る。

テネシー・ウィリアムズの作品を演じる時は、必ずステラの教えに従うべし。
作品の背景や意図がよく分かる。

面白いのは、南北戦争の意義についてのテネシーの考え方。

北部は、自由と平等の衣裳をまとった、成金主義の詐欺師。
ただ、自分らにも綿花に黒人労働者をまわせ、というひがみから。

戦後に北部が行った現実的な行為が彼を痛く失望させたようだ。

ステラは、テネシーが乗り移ったように、南部人の心意気を語る。

「暮らしが困窮しても、立派に振舞った。それこそが南部の気質であり、テネシー・ウィリアムズが描く世界。」

「お辞儀はしても親しみは込めない。慎みと威厳。」

そして、その流れで、最後を締めくくる。

「俳優としてしっかり勉強を続けて欲しい。そうすれば、エージェントや監督やプロデューサーにぺこぺこしたり、謝ったりする必要はない。」

「本当の演技はテクニックを忘れた頃に始まる。」

「才能を解き放とう。」

「傷つくことを厭わず、自らの心を差し出し続けるのが俳優の生き方。」

俳優だけでなく、我々弁護士も、そして、あらゆるサービス業に当てはまる。

精進を続けよう。

「一生が修行。死ぬ前が一番強い。」(関節王・三倉佳境)




iPhoneからの投稿
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# by bengoshi_358 | 2012-06-07 11:57 | 読書録
想像力を働かせる 〜「魂の演技レッスンCLASS21・スタニスラフスキィ」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS21・スタニスラフスキィ」(ステラ・アドラー)

「自意識に縛られることなく、大きな想像力を発揮する。」
ステラは、想像力を強調する。

その一つの理由が、現代ではリアリズム作品が主流だということ。

「リアリズム作品では、ヒーローも悪役も存在しない。観客が自分自身の価値観に照らしてどちらかを選ぶ。最大の目的は、世の中と個人の生活に潜む嘘を暴くこと。」

勧善懲悪なら話は簡単だ。
演技力もさして要らない。
しかし、リアリズム作品ではそうはいかない。
観客が自身で判断し、自身で気づくように仕向ける、演じる必要がある。そのように演じるためには、細かな仕草や動作にも気を配り、非言語的な部分でも感覚を観客と共有する必要がある。
非言語的な部分を明らかにし、再現性を持たせ、演技として成立させるためには豊かな想像力が不可欠だ。

想像力が強調されるもう一つの理由が、現代が総中流時代ということ。

「中流の人々は自分の考えを持たない。中流とは、美術館や文化の発展に興味を持たない、人としての成長や芸術の価値は無視する人々が属する階級。」

我々は、多くの場合、即物的に考える。効率を重視し、目先の金銭に換算する。
それでは、魂が育つことはない。

中流であっても、精神的には中流を脱すること。
美と芸術に敏感であること。
本を読み、図説に触れ、現物を観る。
想像する。

ステラの言葉を心しよう。

「ゆっくりとものを見る時間をとって。心の栄養をもらうために。」

「精神的には、貴族であり、戦士であれ。」
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# by bengoshi_358 | 2012-06-04 19:07 | 読書録
雄々しくあれ 〜「魂の演技レッスンCLASS19・衣裳にリアリティ」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS19・衣裳にリアリティ」(ステラ・アドラー)

この章では、講義ではなく、受講生に貴族の衣裳を着せて『貴族』の立ち居振る舞いを体験させている。

「衣裳から力を貰え。身に付ける物はあなたの一部。こんな安物と思ったらあなたも安物になる。」

これは大事なことだ。
特に自分というものが十分に確立されておらず、自信無さげな若い人たちには。

ステラの言う「身体全体で信じなければ才能は開かない。」ということは真実だ。
おっかなびっくりでは自分の心身を使い切れない。
自分を信じ、続けることでゾーンに入る。
無我の境地。
時間の経過を感じない時間。
気づいたら多くのことをなしていた。
そんなゾーンを体験することで、新しい気づきが生まれ、成長、進歩がある。

「身体全体で信じること」から始めよう。

理想を高く持って進もう。


「理想や思想をはっきりと世に伝えるのが俳優。
それができれば、貴族と対等。何者かになれたということ。」
理想や思想をはっきり世に伝える仕事は俳優だけではない。
日々の生活の糧を得るための苦役や罰ゲームが仕事ではない。
それぞれの仕事は、心を込めて行うことで、世に理想や思想を伝える高邁な活動に転化する。


「自尊心を保ち、自分の能力を誇りに思え。」
十分にある。
既にある。
あとは、行動を起こすだけだ。
今やれることからやる。
日々が準備であり実践だ。

この章を読み終えたら、「雄々しくあれ、強くあれ少年たちよ」という昔聴いた歌を思い出した。

ステラの「魂の演技レッスン」は魂の人生哲学でもある。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-31 11:17 | 読書録
精神において貴族たれ 〜「魂の演技レッスンCLASS18・俳優は精神の貴 族」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS18・俳優は精神の貴 族」(ステラ・アドラー)

ステラは言う。
「俳優とは精神の貴族。2000年以上も続いている、高貴な職業。」

日本では、その昔、俳優を「川原乞食」と揶揄する人々がいたと聞く。
かといって、燦然と輝くスターは昔からいた。
毀誉褒貶の激しい、実力だけが物を言う業界。

ずいぶん前に、村松友視さんが書いていた。
「ジャンルに貴賎なし。ジャンルの中に貴賎あり。」

最近は、象牙の塔だとか、この職業だったら尊敬されるとかいう分野、業界がなくなってきている。「高貴な職業」と胸を張る方が滑稽だろう。

されど、ステラは胸を張れという。
プライドを持てという。

かっこいいかな、ちやほやされるかな、華やかな世界がいいな、なんて気楽な思いからではなく、覚悟と決意をもって携わってほしいからなのだろう。

この章では、「高貴な精神」を持つこと、目指すことを繰り返し勧められる。
実力のある者以外は軽んじられるということは、昔も今も変わらない。
でもできそうな仕事に思われるならば、なおさら実力が感じられない者は軽んじられる。

現代は、テレビの時代だ。
いや、ネット動画の時代かも知れない。

誰でも「俳優」になることができ、テレビ等のメディア側に舞台に上げられたり、引きずり降ろされたりする。

「テレビに食われてはダメ。使い捨て時代の考え方を超越して欲しい。」

だから、以前にも増して、プライドを高く保ち、才能を育て、実力を蓄えていかなければ俳優自身が、俳優全体が軽んじられていってしまいかねない。そんな切迫感がステラに語らせているのかも知れない。

「俳優は階級を超越せねばならない。しいて言えば 精神において貴族たれ。本当の貴族は、心が広 く、深い美的感覚を持つ。」

そして、実際的な語りのコツも教える。
「あなた方はしゃべり方に説得力がない。相手の 心に訴えようとしない。相手の心に届けようと 努力しない。『さあ、今から取り掛かろう』と言うとき、全 世界の人々を一緒に連れていくぐらいの意気込みを持て。あなた方の態度は逆。世界に憤りを感じて背を向けてしまう。『ふん、俺になんて誰も見向きもしないさ』なんて、孤独感を背負って歩いている。」

これは我々の仕事でも気をつけたいことだ。
気を抜かない。
打合せでも、裁判所でも、心をこめて語るべし。
他の職業でも同じこと。
プレゼン、セールス。心を込めて、本当に伝えようとしているか考えた方がいい。

さらに、人生のコツ。
「鬱屈した階級の人々は敵を作り、自分より劣った人々を見つけて優越感に浸ろうとする。生まれのよい人々はそんなことをしなくても幸福、彼らは強く活動的であり、行動してこそ幸せにると考える。怒りをずっと感じている人は誠実にも正直にもなれない。いつも隠れ場所を求め、抜け道や裏口を探す。隠れたものをみつけると安心する。行動しないで待つ。」

最後の方で、ステラは受講生に求める。
「人間の力と美しさを再認識して欲しい。」

これだ。
俳優として、演劇人としての受講生に対して希望すること。

「人間の力と美しさを再認識」する。
これは、我々ひとりひとりの人間誰もがなすべきこと。

人間って素晴らしいのだ。
生きるって素晴らしい。
人生って、結局はありがたいものなのだ。

それを伝えていく仕事。
それは俳優だけではない。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-30 16:29 | 読書録
生き様を伝える 〜「魂の演技レッスンCLASS17・人物のリズムを掴む」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS17・人物のリズムを掴む」(ステラ・アドラー)

「誓いの精神に従って服装を決める。」

アメリカやヨーロッパでは、話す言葉(用語)、身なりで区別されるということ聞いたことがある。

私は、昔、Shit! と呟いて、知人に酷く叱られたことがある。
そういう言葉を口にする人は、我々のコミュニティに居てはならないのだという。
だって、映画でみんな口にしてるじゃないか。
そう反論しようと思ったが、知人らの呆れて凍った表情に言葉をつなぐことはできなかった。


「形式に従うことで、人間は世界観を分かち合おうとした」
言葉や服装や態度といった形式は、世界観に裏打ちされている。
だから、形式を共有することは、世界観を共有していることを示すことになる。
世界では、特定の服装をしなければならないという信仰者や、信念をもった人たちがいる。
服装でそれがわかる。
言葉遣い、用語の選択もそうだ。乱暴な人は、自分や周囲の人の人生に対して敬意を持っていないことを自分から示すに等しい。

世界観を共有できれば、社会生活もうまくいく。
世界観を共有できなくても、尊重し合えるようでいられるレベルに、互いに敬意が持てるように、日々の具体的生活や行いに潔さや、親切心、思いやりや知性が現れていれば共生はできる。


「普通の人生では足りない。もっと大きな意味を見出して生きたい。
俳優を目指すなら、そう言って欲しい。」
普通の人生の定義がここでは問題にはなるけれど、わくわくどきどきある人生が面白い。
意味を探求、追求していきたい。
行き当たりばったりで、天気に従って気持ちがアップしたりダウンしたりするのではなく、使命、天命を追求し、自覚して生きたい。

「朗読するときは、状況を想像すること。誰に対して話しているのか、決める。言葉の裏にあるイメージ、映像を目に浮かべられるように。」
これは、会話すべてに当てはまる。
つまらない話には色がない。
映像がない。
話しての見ている映像が、聞き手にも見える話は面白い。

ステラは、最後にシェイクスピアの『尺には尺を』の一節を紹介する。
以前、ステラはシェイクスピアは読むだけで状況が分かると書いていた。
ここで紹介されているのは、主人公の台詞ひとつだけだが、非常に面白い。
シェイクスピアは、感情のままに喋れせるのではなく、主人公の思想、大きな考えを台詞の言葉にしているという。
感情ではなく、生き方、哲学を伝えるために語らせている。


語る時は、脳内に映像を投射し、それを観ながら語る。
感情ではなく、思想を語る。
それ自体で、語る人自身の思想や生き方が問われることになる、言葉や服装といった形式を大事にする。

心しておこう。

そして、訓練のためにシェイクスピアを朗読してみようと思う。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-29 16:41 | 読書録
形から入れ 〜「魂の演技レッスンCLASS16・役に合わせた衣裳」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS16・役に合わせた衣裳」(ステラ・アドラー)

この章では衣裳について論じられる。
「人の考え方は服装に現れる。
今の時代、必死で深く考える人はいない。気楽に思い付きで行動する。
だから、服装も気楽でカジュアル。」

冒頭付近にあるこの言葉に惹かれる。
良い悪いではなく、現代はそういう時代。
しかし、カジュアルの中にも「考え」あってのことと分かるように工夫したい。

「身に付ける物には全て意味がある。その意味に従え。」
自分は何を表現したくて、その衣服を選んでいるのか、注意深く考えて見る必要がある。

「衣裳はまた敬意の手段。普段着ばかり着ていたら、あなたの魂は外に向かわない。」
いつもジャージ姿でいたらどんな気分か、容易に察しはつく。
衣服や外観が全てではない。

しかし、「形式が人物を作る。人物はしっかりした土台からできる」ということも、よく覚えておこう。

人は形式に規定されることが多々ある。
気づかないうちに、力を受け、あるいは力を奪われている。

形式より実質、外観より中身という人は、形式も外観もそれなりに良いか、いずれ良くなって行く。
実質も中身も、形式に、外観に滲み出ざるを得ない。

まずは、形式を意識してみよう。
決まりを守って行こう。
他人から下された決まりは勿論、自分で作った決まりも守ろう。

学生、受験生なら、全科目、1日5分だけは勉強する。目次だけでも眺める。
そんな決まりでも、物凄い役に立つ。
私には役立った。

衣服や小物でも、高額ではなくていいから、自分の気持ちがシャンとして、高揚するようなものを1つは持っておこう。
そして、タンスの肥やしにしないで、普段から使おう。

私も、体型が20代後半頃の状態に戻り、これまで着ていた衣服が合わなくなった。
思い切って、若者のような、細身のスーツを買ってみた。
気持ちがグンと若返った。
股上の浅いズボンやジーンズも、安価に仕入れた。
合わせて、下着もボクサーブリーフにしてみた。
ますます気持ちが若くなった。

私は変化が好き。
おそらく多くの人間がそうだろう。

「家族のうた」の早川正義ではないが、ロックなのだ。
転がり続けて行こう。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-28 17:10 | 読書録
観察し、感じ、調べ、理解する。 〜「魂の演技レッスンCLASS14・人物の性質を掴む」
「魂の演技レッスンCLASS14・人物の性質を掴む」(ステラ・アドラー)

「脚本には、『これを世界に伝えたいんだ』という理想やアイデアが含まれている」

我々の人生の脚本のうち、予め決まっている部分というがあると思う。全てのことに意味、メッセージがある。
生まれ出ることは最大の表現行為であり、世の中に伝えたいメッセージを持って生まれていると思う。
そのメッセージを一生かかって探りつつ、それを実現する。

「演劇は、世界に向けてメッセージを送る手段」

人生がまさにそれだ。
人は死んだら、情報だけになるのだから。


「相手に対する態度を決めるには、見るべきものを先ずはしっかりと見て認識する。ぼんやり見るのではなく、具体的なアクションを取りたい衝動にかられるくらいきちんと見る」

生きていくということは、決断、決定、選択の連続だ。
選択を誤ることで直ちに命に関わるという場面は、そう多くはない。
しかし、選択に傾向がある場合、本来の道を外れて行ってしまいかねない。
自分は何がしたいのか、何が伝えたいのか。
表現する前に観察だ。
観察の中から気づきが生まれ、新しい、別の感情が生まれる。

本章は、役柄の、人物の性質を理解して演じることを教えているが、世の中での自分の役割、性格を理解して生きている人は強い。
大まかで漠然としていてもよいから、自分の役割を考えてみたらいい。
若いうちは変わって行って当たり前。
その時、その時に「これだ!」と感じた役柄を一所懸命演じて欲しい。

すべては相似形。
一つの役割を真摯に生きることは、すべてに通ずる。
何処で何がモノになるのか、わからない。
わからないから面白い。
焦ったり、慌てる必要はないから、今ここ。
今ここを生きる。

観察し、感じ取り、調べ、理解して、態度決定をする姿勢を持つ。
理解し難くても態度決定するせねばならないこともあるが、それもそれほど多くはない。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-25 10:30 | 読書録
一生が勉強 〜「魂の演技レッスンCLASS13・テキストを理解する」(ステラ・アドラー)
「魂の演技レッスンCLASS13・テキストを理解する」(ステラ・アドラー)



この章も、パワフルなメッセージが詰まっていた。



「シェイクスピアを演じるなら、全てが台詞の中に表現されている。優れた俳優は、台詞に隠された意味を読み取るが、シェイクスピアでは誰でも言葉そのものを読めばわかる」
「イプセン以降、ストンベリ、テネシー・ウィリアムズ、オデッツも、脚本の字面を追うだけでは演じられない。人物の作り方が以前とは全く違う」



人間は昔と今もあまり変わってはいない。

だから、昔々のシェイクスピアを読んでも面白い。



ただ、シェイクスピアの才能は桁違い。

それと、人間の色分けは単純だった。

社会も今ほど複雑ではない。

だから、すべてが言葉で説明し切れた。



現在の社会は複雑で、人間もいろんな要素により均一ではない。

中身の感情の動きは同じでも、その発現、自己表現方法がいくらか違う。

また、収益的観点からすると、ステレオタイプでは飽きられて、見向きもされない。

だから、今は、人物の作り方が違う。





そんな現代では、俳優がしっかり脚本を読み込み、自分で消化しなければならない。

主体的に参加、自己投入しなければならない。



「句読点や「!」マークに囚われず全体を見渡す。句読点の位置ばかりに拘るなら、俳優には向かない。図書館に就職せよ」



これは、俳優を志さない我々でも同じこと。

要は、『傍観者、批評家、記録係でなく、当事者として今を生きよ』ということだ。



ステラは「俳優になりたいならば、一生が勉強だ」というが、生きがいのある人生を生きたいのであれば、一生が勉強だ。



勉強は、学校でするだけのものではない。



「小さな事実を見れば、大きな意味が見えてくる」



小さな、身近な事実についても、よく観察し、考える。

歴史、背景、意義、後世への影響。



ステラの本を読んでいると、俳優の凄さがわかる。

俳優というか、名優たちの凄さ。

彼らの才能と努力には我々も学ぶべし。

最近は、学芸会レベルの演技でもテレビや映画に出られるようだけれど、マーロン・ブランドや名優と呼ばれる俳優は才能に上乗せしてどれだけ勉強しているのだろう。

おそらく何をしても成功する人だろう。





この章は、いやどの章もだが、およそ表現というもの、コミュニケーションというものに興味を持つ人の目を奪って離さない珠玉の言葉に満ち満ちている。

(あんまり引用したら、私のブログではなくてデッドコピーになってしまうので、今日はこれ以上引用はしまい)



長くいい仕事がしたいなら、いい生き方をしていなければならない。

勉強を続けていかなければならない。

いい俳優は自分の生き方をその役に凝縮させて伝えているのだそうだ。



理解する。

感じる。

そして、演じる。仕事する。



準備が不十分なら、結果も同じ。

フロックはあるが、長くいい結果を出していきたいなら、勉強しろ。

勉強は一生だ。



不平不満は勉強しない人がすること。

怒り散らす人は勉強が足りないのだ。



勉強する人にも欠けや不足はあるけれど、それを他人のせいにしたり、恨んだりしない。自分でそれを補い、満たせばいいのだから。



勉強しよう。

続けよう。

たとえ低空飛行でも。
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# by bengoshi_358 | 2012-05-24 12:08 | 読書録
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