「デモクラシーにとって最も危険なのは、議論以外の手段によって真偽を決定しようとする人間および団体な出現である。真偽が客観的方法によって原理上確定できない領域では、…われわれが真に恐れねばならないのは、むしろ真理優先のファラシーなのである。」(香西秀信、「反論の技術」p.54)
社会科学の分野では、議論は大切です。
わたしたちの関わる法律の分野では、始終議論しています。
議論することが仕事だとも言えます。
裁判実務では、法律上の争点について議論が延々と続くということは、あまり多くありません。
判例通説でほぼ実務は動いているからです。
判例通説の射程距離、当の事案への適用可能性が議論になることはありますが、それとても裁判例などの調査結果を踏まえて、それをなぞることで決着がついてしまうことが多いです。
これに対して、権利関係が複雑にいりくんだ事案で、個別的な権利の確認をするだけでは抜本的な解決が果たせないような事件では、大論争になることがあります。
それが、男女間、親族間の事件では、感情もからみ、議論が沸騰したりすることもあります。
ただ、感情だけでは、相手を説得できません。
論理を磨かなくてはなりません。
感情に走る相手方に冷静に話を聞いていただくための礼儀や配慮も必要になります。
権利関係が複雑にいりくんだ事案では、議論を尽くす。
そして、ドラスティックな結論をできるだけ回避すべく、和解をめざすのが当事者、関係者の利益になると思います。
また、議論を尽くしさえすれば、判決や審判になった場合でも、いくらかは実態に近い、いくらかでも実態を配慮尊重されたものになるのではないかと期待ができます。
旧司法試験では、論文試験で、徹底に議論の仕方を学びましたが、修辞法についてはそれと知らずに、そのいくつかを学び、用いていたことに気づかされました。
「反論の技術」は、国語教師向けの本ですが、とても刺激的です。
誰にも役立つ話の組み立て方を学べますし、スキルの確認、チェックに役立ちます。
今日は議論を尽くすことの大切さを学びました。
そのせいか、裁判所の調停でも議論を尽くそうとした結果、裁判所の定時を大幅に過ぎてしまいました。
(次の予定に遅刻)