今日は、移動中、立花大敬先生の本で、(1)一般暗示、(2)特定暗示について読みました。
以前、別の本で読んだことですが、とてもよい復習になりました。
本の中で紹介されていた(1)一般暗示は、エミール・クエの「わたしはあらゆる面で日々よくなっている」というものでした。
(2)特定暗示は、「わたしは大金持ちになる。」というものでした。
(1)では副作用がなく、誰にもそれなりの効果があるといいます。
(2)では、副作用が出る場合があり、「お金の不足」にむしろ意識が集中してしまい、結局反対の結果になってしまうケースも起こりうるといいます。
これも、苫米地英人先生の「抽象化」して考えるということにつながるのかな、と思いました。
あまりに具体的であると、心の奥底に抵抗が生まれてしまうと、恐れている、嫌っているものそのものが現実化してしまう。
むしろ、でっかく抽象的である方が安全だし、うまく行きやすいのかもしれません。
ただ、抽象的なことばかりでも、やっぱりだめな気がします。
抽象的なでっかい目標を自分の心に宣言しつつ、心の奥底での潜在意識の抵抗がなくなるようにして、徐々にどうしても必要な具体的な目標に焦点を合わせていくという行きかたがよいのではないかと思います。
要は、心の統一性であって、抽象と具体の間を行きつ戻りつしつつ、目標実現に進んでいくのでしょうね。
心が軽くなること、のびのびとした状態でいるときに、物事はうまく進んでいきます。
そのためには、抽象的な一般暗示や抽象的なでっかい目標を心に持ちつつ、さらにここぞという場合や、これはというものがみつかった場合には具体的に、ピンポイントで意識の焦点を合わせていくというのがよいのでしょうね。
いずれにしても、心軽やかにのびのびと、今目の前にある人、こと、ものに誠意を尽くしていくことこそが、シンプルで最も効果的な進み方なのだろうと思います。