先日、あるテレビで弁護士がやり玉にされていました。
「あなたたち弁護士は凶悪犯人を弁護してお金を儲けている」みたいなことを、ある方が言っていました。
今日の我が国では、政治的な不当逮捕・起訴はまずありませんし、起訴も限定的でほとんどの場合有罪、つまり犯人であるとされていますから、起訴された段階でほぼ確実に「犯人」であり、関与した事件が凶悪事件であれば「凶悪犯人」であることになります。
だから、先の発言者の意見もあながちまちがってはいないのでしょう。
しかし、刑事弁護制度というのは、凶悪犯人かどうかは判決までわからないという前提で動いています。無罪推定というものがあります。
それに、ごくまれに不当逮捕や不当起訴もないわけではありません。
ずっと昔に、わたしの関わった案件でも、自販機荒らしをした若い被疑者が、自分の関与していない犯人が逮捕できないでいる自販機荒らしについて、「ついでに持っていけ」と言われて起訴された案件がありました。(この件では、手口が若干違ってはいるけれど、誰もが行うであろう手口であり、犯行エリアもさして遠くないので、自白が決め手となって有罪となってしまいました。結局、1つや2つ個別犯行が増えても判決内容は変わらないという事件であったため、本人も最高裁まで争うということなく終わりました)
そういう万にひとつの捜査側のミスや過ちを糾し、被疑者・被告人の権利を守る役割が弁護人にあります。
それから、もし被疑者・被告人において、気の毒な事情があるとしたら、それを代弁する役割があります。
だから、刑事弁護制度は無駄ではないし、必要なものだと思います。
また、刑事事件で発言者が言うように、「お金を儲ける」ことができるか、ですが、これはまずあり得ません。
ほとんどが国選事件であり、数か月で終了する通常事件で原則6〜9万円(3年位前までしか知りません)、2〜3年かかる事件で30万円くらいまで(独立前に割り当てられたある国選事件でのわたしの経験ですが、結局時給500円程度になりました。ボスには本当に申し訳ないです。)の報酬です。
やはり、「儲かる」とは言えません。
そして、選任されたら最後、被疑者・被告人の利益のために活動せざるを得ません。
わたしは、被疑者・被告人の利益を、長い目で見て、犯行が事実であれば、真の意味で反省改悟し、刑事処分を受けた後に人生の再出発を図る、というところに置いていますし、ほとんどの弁護士がそう思って活動をしています。
ただし、裁判上の主張としては、不自然な主張でも本人の言う通りに提出してあげなければ信頼関係を築けず、反省改悟も引き出せないことがあって、やむを得ず不自然な主張をする場合もあります。(わたしも実際に、裁判官から笑われ、傍聴席から失笑が漏れるような主張を提出したことがあります。被害者のない犯罪だったのが救いです。)
もちろん、限度はあります。到底、これは主張できないと思ったら、本人に説明して、ダメなら解任してもらうことになります。
任務にとどまったまま、本人の意向に反した主張を提出するならば、それこそ懲戒対象になってしまいます。
ただ、国選事件ではよほどのことがない限り解任はないですし、事実上解任されない、辞任できない特殊な事案では困ります。
そんなこんなで、刑事事件は大変です。
「凶悪犯人を弁護してお金を儲けている」弁護士などいません。
わたしは、少し前から結局刑事事件は扱わないことにしています。
弁護士1名の事務所の体制では、当面の間、とても急を要し、作業量が多い刑事事件をきちんと処理できないのではないかと思うからです。
加えて、ほとんどの場合、不当逮捕・不当起訴ではないのであり、本当に必要な事案に限れば刑事弁護をする弁護士の数は足りているのではないか。それに弁護士人口が増加し、国選事件の割当も少なくなっているので、弁護士会も困らないのではないか。
もっと言うと、わたしが現に担当した刑事事件の多くにおいては、教誨師的な活動が中心であったけれど、そうであるならもっと事前の活動が大事なのではないか、教育や福祉など行政や政治による問題ではないか、という疑問も出てきたからです。
それでも、大変な思いをして真剣に刑事弁護をされている仲間にはある面で申し訳なく、またそういう仲間をとても誇らしく思います。
とんでもない主張をしているようにみえても、いろんな事情でそうしているのだし、外野からは見えない意味がきっとあると思います。
事件報道されているいくつかの個別案件での弁護人の主張には、実は、当初「それはないでしょう!」と思ったのですが、何よりも、裁判所が正しく判断してくれることと信じています。
遅々として進まないように見えても、刑事裁判は迅速化されています。
主張は尽くさせて、反省も何もない情状も踏まえ、厳しく、正しく裁かれることでしょう。
そういうわけで、非難するような厳しい口調で「あなたたち弁護士は凶悪犯人を弁護してお金を儲けている」というようなことが語られるのを耳にするととても悲しくなります。
一事が万事だという断定のような発言は危ういようにも感じます。
誰もがきっと、どこか他の国で、不当逮捕・不当起訴を受けたときに、日本の刑事弁護制度のありがたさがわかるのではないかと思います。
刑事弁護は、まさに少数派の最低限の権利を守る制度だということが理解されるのではないでしょうか。