何かことを起こすときには、目標設定が重要です。
ただし、その目標は正しく定めなければなりません。
実は、これが難しいのですね。
箱田忠昭先生は、「タイからマスへ」と講演CD(フォレスト出版)の中でおっしゃいましたが、単なる願望の〜タイではいけないのです。〜マスでなければ。
なるほどな、という程度で聞いていた、この「タイからマスへ」は、深い意味があります。言葉上のことだけではないのではないか、とはたと気付きました。
「〜タイ」で思っているときには、本気ではないのですね。
なにがなんでも「やるぞ」「達成するぞ」という意気込みまでは感じられない。
以前、ある示談交渉で、わたしが過去の裁判例を引き合いに100万円ベースで交渉を始めたとき、「わしは1000万円請求したいんだ」と切り返してきた人がいましたが、その後あっさり100万円ベースで妥結しました。
「いくらほしいか」と考えてする請求は、具体的証拠資料を集める過程で朽ち果てていきます。
逆に、「これだけはもらわなければならないのだ」と強い心で求める請求の場合には、交渉開始時に証拠資料に不足があっても、何かが起こることがいくらもあります。
相手のあること、しかも交渉事や裁判対決では、一旦切り出すと引けなくなるので、まずはどんな請求をするかよく考える。決裂になる、人間関係が壊れる危険性もあるのですから。
だからどこまでを求めるのか、よく考える。
具体的なゴールを決めるのですね。
そして、証拠確保、証拠固めをしていきます。
ゴールが揺るがず、かえって固い決意になっていくならば、そのゴールは本物であり、証拠も集まるでしょうし、何かが起こるものです。
(相手のあることほど慎重に、という意味で)交渉事を例にしてしまったのですが、もちろん交渉事や裁判でなくても、すべてについて同じこと。
ゴールを定めるときは、「本気でするぞ」「必ずやるぞ」と決めてする。
そうでないと、結果は危うい。「〜マス」になっていないから。
「〜タイ」の人では、ゴールにたどり着くのは難しいと思います。
「〜マス」を決めたからといって、その後の事情によっては、「〜マス」の内容が変わってもいいと思います。ただ、「〜マス」の姿勢で突き進む。
常に「〜マス」の心で進む人は、必ず、次のチャンス、ステージを掴めるようになるでしょうから。