調停委員の仕事は大変です。
報酬は少なくボランティアのようなものと聞きます。
以前に比べると、調停委員の先生方は本当に辛抱強くよく聴き、メモをされ、また基本的な法律知識を押さえてみえます。
その昔、地方の田舎町の裁判所(支部)で、かなり年配の男性調停委員から、わたしの面前で女性依頼者に対して心ない言葉がなげかけられたことがありました。
「女が我慢せにゃあかんのですよ。女が出しゃばってあれこれ言うから旦那もきつく出るってもんなんだ。」
わたしは、それに対して、即座に反論しました。
それは男尊女卑的な個人的意見でしかなく、それ自体失当であり、調停委員のお立場で得意げに開陳されるべき意見ではないこと。
そして、そのような意見を前提にしたとしても、本件には全く当てはまらないこと。(不貞をはたらき、暴力・暴言で開き直る夫の方にこそ絶対的に問題がある事案でした)
年配の男性調停委員、口をぱくぱくさせて、「あわわわ。」と言って顔を真っ赤にしました。そして、即座に「そりゃ、すまんかったです。」と詫びられました。
そこで、わたしも何もなかったことにして、話を進めて、調停委員の交代なしに無事調停成立までいきました。
調停委員の交代、というものはあるのですね。
わたしは1回だけ経験しました。
紛糾した調停事件で、うっかり調停委員のおっしゃった冗談が不謹慎だと相手方本人が怒りだし、家裁事務局に苦情を申し立てたことがあり、その次の期日から調停委員が代わられてしまいました。わたし個人としては、非常に優秀で気さくな人柄で気の合う方でしたので残念でした。
わたしとしては、男尊女卑的発言時には、依頼者の女性が泣き出してしまうと感じたのでどうしてもここで言うことは言わないといけない、と必死でした。
そして、同時にそれ以前に経験していた調停委員の交代の件を思い出し、「調停委員の交代もありかな。」と思っていました。
でも、無事に、話がまとまり本当によかったです。
さて、調停委員に要求される資質のうち第一のものとは、やはり人の話をきちんと聞けるということでしょう。予断と偏見なく、まずは聞いていただかなければ論外です。
それから、飯田調査官も書かれていましたが、「主張(意見)」と「事実」を区別できること。また、表面的な争いとは別の部分に争いがありはしないかと疑ってみること。本質的抜本的解決を目指しつつも、それが不可能ないしコストが大きすぎると判断されるときには当面のルールを作ることで収めるように方向転換に誘える柔軟性。
(…どれも弁護士に必要なことですネ。)
調停委員の資質などと書き出してしまいましたが、結局ビジネスマンとして当たり前、人として当たり前のことなのでしょうね。
誰も偉くない、誰も強要できない、相手を一個の人間として自分と等しく見てそのとおりに扱うこと。ホットにならず、クールに事実を見る…。
家事調停は、裁判よりも、プレイヤーの人間性で動いたりする余地が多くあります。
敵も味方もまずは置いておいて、当事者やその家族にとっての最善を模索する共同作業でもあります。
どうしても同じ土俵に乗ってくれない相手方に対しては、審判、裁判へと手続を進めるほかありません。でも、そうならないように直接、間接に膝つめて語り尽くし合い、妥協点を見つけて行く。
訴訟のように、はっきり白黒つけていくスリリングさはないけれど、人間関係の濃い間柄の事件を、実態にマッチした解決に導くために、家裁裁判官のスーパーバイズ下にある調停委員の先生方の協力をいただき、調査官、裁判官をふくめた、裁判所ー当事者ー弁護士の3者の共同作業をしていく楽しさはあります。
とくに気持ちのよい調停委員、シャープでてきぱきした裁判官、人間心理の機微や当事者の事情をうまく掴み摘示できる熱意と能力をもった調査官との共同作業はやりがいと楽しさがあります。
最近は、調停委員の先生方も本当に熱心でよく準備されています。
よく聞いてくださり、満足する依頼者も少なくありません。
今日も感謝でした。
明日も良い人との出会いがありますように。
そうでなくても、学びを得ることができることに感謝できますように。