今日、改めてかつて事件で提出した供述証拠の信用性に関する証拠資料を読み直しました。
刑事訴訟法のテキストや学者の論文等ではなく、心理学者や精神科医の本や論文です。
裁判の場では、それぞれの当事者のいい分が180度食い違う場合があります。
決定力のある客観的証拠がないと、そういった場合は苦労が多いです。
裁判官の心証を推測しながら、できるだけ有利な条件で和解ができればと思います。
ただ、どうしても理不尽であったり、和解金も出ないという事件では、とことんやるしかありません。
今回、とことんやるしかない事件がいくつか係っています。
ただ、とことんやって負けた事件が1つあります。
心しなければ。
負けた事件では、裁判官は、当初我が方に好意的であったようにも窺えました。
しかし、「この事件ではどちらか一方がはっきりと嘘をついている。」と両当事者本人の前で吐き捨てるようにおっしゃいました。
その後、本人尋問から最終弁論、判決に至ったのですが、裁判官はポーカーフェイス。
(後でほかの弁護士に聞くと、その裁判官は非常に優秀で出世街道まっしぐらの方のようです)
わたしは依頼者を信じていましたし、相手方にはおかしなことが多過ぎました。
ところが、判決では100%の負けでした。
その事件は本当に微妙な事件であり、ただ依頼者の側で損が出ないようにコントロールできる事案であり、相手方は横着だけれども依頼者よりも持ち出しが多かったという事情がありました。
負けた事件では依頼者の側で損が出ないようにコントロールできた事案であったことが帰趨に影響したと思われますが、今度の新しい件ではそういった事情もない。
純粋にがっぷりよつ。
記録を良く読み、依頼者から事情を繰り返し聴き、事実を確認していかねばなりません。同時に、そのときの依頼者や相手方の事情、位置、表情、感情等の一切を聞き出し、イメージしつつ、どうして現在相手方が事実に反する主張をするのか考えます。
考えに考えて、相手方の供述の穴をつきます。
相手方の記憶の虚偽性をつきます。
いかに首尾一貫、リアルに話を彩ることができても、虚偽記憶である可能性もあります。(これは相手方だけではなく、依頼者の言い分についても注意する必要があります)
特に相手方が気の毒な状態にあるような場合、バイアスがかからないように虚偽記憶である可能性に注意するこ、立証責任の事実上の転換があってはならないことを裁判所にご意識いただくようにしておかねばばりません。
さて、今度の事件では、どこまで書くか。
どこまでの証拠を出すか。
「記憶がウソをつく!」(養老孟司、古館伊知郎著、扶桑社)は、笑いながらためになります。この本は、記憶に関する本を読んで行く入り口となった本で、気に入っています。