「自分のこと、嫌いでしょ?」
「はい、なんでわかりますか。」
「そんな気がしました。」
「…。」
「どうして、こんなことを繰り返されるのですか。」
「ちゃんとやってるのですが、時々イヤになってしまうのです。親切にしてくれた人に申し訳ないと思います。」
「親切が重荷になってしまうのですか。」
「自分の育ちとか、前科とかを隠しているわけで、こんな自分にもったいないと思うといつも逃げ出したくなってしまうのです。」
「逃げ出してしまって、解決はありましたか。」
「いいえ、結局気がつくとお金も食べるものも無くなって、気がついたら他人様のものに手をつけて捕まっているのです。」
「自分をダメ人間だと思って、自分が嫌い。だから他人からやさしくされると不安になってしまう。逃げ出す。そして、捕まる。…悪循環になっていますね。」
「そうなんです。もう消えてしまいたいと思っています。」
「わたしも偉そうなことは言えませんが、生まれてきたのには何か意味があってのことと思います。それが何かはわかりませんが。自分のことだって漠然としかわかっていないので、何かあるはず、としか言えないのですが。…それに人生80年、90年という時代になりましたから、わたしとおない年、まだまだ半分近くしか来ていないと思えばよいのではないですか。」
「…。」
「厳しい環境で育ち、がんばっていい時代もあった、それから転落したかもしれない。でも多くの人が経験しない、こういったら失礼かもしれないけれど、どん底までご覧になった。」
「そう、後は上がるだけですよね。そう言えますよね。」
「…そう、ですよ。捨てた命と思って拾い直す。これからは目の前の人に、目前の仕事に一所懸命尽くしてみる。自分の本当に好きなことで他人から喜ばれることを探してみる。そしてやってみる、というのはいかがでしょう。」
「…。」
「他人から聞いたことですが、試してみる価値のあることをお知らせしますね。変なことを言うと思われるかもしれませんが。」
「…。」
「言霊ってわかりますか?」
「はい。」
「言葉には力がある、っていうこと。だから、悪い言葉をできるだけ使わない。普段から良い言葉だけ使うようにする、ということ。」
「誰かから聴いたことがあります。」
「思っていなくてもいいから、こう言うんだそうです。『自分を赦します。』自分のこと嫌いだと思ってみえますよね。情けないやつ、他人からやさしくされる価値のないやつだと思ってみえますよね。そんな『自分を赦します。』と言う。口に出して言う。」
「…。」
「それから、『自分のことが大好きです。』と言う。それから、『ありがとうございます。』とことあるごとに口に出す。愛知県犬山市のすごい社長さんで竹田和平さんという人がいますが、この人は毎日何百回と唱えるように『ありがとうございます。』と口に出しているそうです。それを実行するようになってから、良いことが前にも増して起こるようになったと言います。」
「…。」
「変なお話ですが、わかりますか?」
「自分を赦す、と言うのですか?」
「はい。そこからがスタートかも知れませんね。実際に思っていなくてもいいですから、口だけでいいそうです。実際に効果があるそうですよ。失礼だけど、どうせ時間もあるでしょうし、タダなんだから試してみる価値はありそうですよね。」
「…ふ。タダですものね。」
「今を大事に、今の自分を大事に。どん底でも生きているじゃないか、よくやってるぞ、と褒めてやってください。悪いことはしたけど、悪いことと知っている、だから余計自分が嫌になってしまった。嫌な自分だけど、まだまだ捨てたものじゃない、小さな犯罪からそれより先に進まないではないか。それだけでもよく持ちこたえた、ということだけ認めてやったらどうですか。いじめられ、傷ついたからこそ、他人を傷つけるのが嫌でぎりぎりの生活で生きてきた自分を、他人の前でそう言ったら怒られるけど、『ダメななやつにしてはよくやってるじゃないか』って認めてやってください。でなければ、堂々巡りでまた同じことになる。そんな気がしています。反省し後悔している自分があって悪いことをした自分をいつまでも責め続けていますよね。それでその悪いことを繰り返すループにはまっていますよね。ぎりぎりのところで自分なりに精一杯やっている自分を認めてやれなければ、いつまでたっても周囲の他人との健全で適切な人間関係は経っても築けませんしね。」
「…分かるような気がします。」
「変なことお話ししましたが、元気が出る、かもしれない本、と言いましょうか、本をいくつか差し入れておきますね。よかったら読んでみてくださいね。」
「…すみません、ありがとうございます。」
これから彼がどうなっっていくのかはわかりません。
変なことを言うやつだと思われたかもしれませんが、少しは気持ちが通じ合ったのではないかとも思います。
久しぶりの国選事件ですが、刑事事件の背後には人間ドラマがあります。
その人の全人生の物語の一部を聞くことができます。
気づかされ、教えられることも少なくありません。
上座から語るつもりもありませんが、「心の貧しい被告人」には少しでも良い方向に向かって欲しいと手を合わせながら当って行きたいと思います。
今回は心の芯から邪悪でズルイ被告人でなくて本当に良かったと思いました。