・ 有限会社B社の件
B社も約一億円の借金を抱えて倒産寸前のときに、顧問先会社のYさんの紹介で相
談に乗りました。
B社は、設備投資のための長期で低利の借金が約一千万円あったものの、事業自体は
好調であり、全く問題はありませんでした。ところが、B社長が長年個人的付き合いを
していた友人を会社に入れて、経理や資金調達を任せていたところ、この友人Zの裏切
りに遭いました。
Zは、会社経費で遊びまくり、資金調達では、Zが昔から取引のあった高利のQ金融か
ら勝手に借り入れをしていました。売上げを上げても上げても、お金が残らない。不審
に思ったときには、もう遅かったのです。あっという間に約一億円の借金を抱えること
になりました。
Zは、従業員としてB社に入社後一年間はきまじめに働きました。従業員間ではもち
ろん、取引先でもとても信頼されていました。しかし、二年目に経理や資金調達を任さ
れてしばらくしてから、おかしくなったようでした。(B社長は、「本性を現した」と
述懐しています)
Q金融の取り立ては非常に厳しいものでした。少しでも返済が遅れると、電話はもちろ
ん、社長と専務自身が会社事務所や自宅まで取り立てにやってきます。自宅では大きな
声を出す、なかなか帰ろうとしない、等問題行為をします。B社長が警察に連絡すると、態度を急変させ、警察官も「なんで呼ぶんだ。民事は不介入だ。」と怒って帰ってしまう有り様でした。(当時はまだ金融業者が事実上野放し状態で、警察官の民事絡みの事件への消極性が問題にされることもなかったのです)(*4)⇨「民事不介入」
B社長は、私に会う前に、一時一日半にわたって監禁もされていました。Q金融の社長
の車の中である日の午後連れ出され、目隠しをされて連れて行かれた先で一泊して、翌
日夜に返されました。監禁場所では、覚えのない借用証書を書かされました。約束手形も発行させられました。ZがB社名義で借りて行ったが、B社に入金されていないので、B社長が認めていなかった借金についてでした。(*5)⇨「覚えのない借用証書、手形」
B社長は糖尿病の持病があり、肝臓もよくありませんでした。この監禁のショックで体
調を崩し、B社長は入院することとなりました。しかし、Q金融は、病院まで押しかけ
ました。病院は慌てて、「面会謝絶」としてくれたので、Q金融は病室までは来られま
せん。日中に、度々それらしい人物画病院の前、待合室に現れるような状態でした。
そんな状態に堪えきれず、つてを頼って巡り巡って、私のところに話が来たのでした。
私は、院長の了解を取って、ある日の午後一〇時過ぎに、初めてB社長と会いました。
事情を聞き、直ちに破産宣告申立をすることになりました。
翌日すぐに「受任通知」を発送し、私がB社の代理人となったことを全債権者に知ら
せ、かつ債権届出をしてくれるよう依頼しました。(*6)⇨「受任通知」
Q金融には、私から直接電話して取り立て行為は一切控えて欲しいと伝えました。そして、私と事務員三名で処理にかかり、三日間で申立書を作り、資料をまとめました。大口債権者からの債権届出が事務所に届いたのを見計らい裁判所に破産宣告の申立をしました。受任後一週間内のことでした。
この間、Q金融の社長、専務、部長が私の事務所にやってきました。彼らは非常に紳士
的であり、粗暴な言動は一切ありませんでした。概して、こういった業者は普段は紳士
的です。B社長から全てを聞いていたので、私もそばで聞いていた事務員達も身構えて
いましたが、破産手続の説明や見通しを話したらあっさりと帰って行きました。彼らは、彼らなりにB社からお金が取れない時のために、別にB社とは全く無関係な、Zの
知人を連帯保証人にしてその方の自宅を担保にしていました。そちらからお金を取ろうと思ったのかも知れません。
いずれにせよ、Q金融からのB社長への厳しい取り立ても止みました。
破産手続は、一年半で終了し、B社長はまた同じ仕事に復帰しました。B社という会
社は消滅しましたが、息子達とともに、それまでの取引先との関係を維持し、円満に生
活されています。
この破産の事件で、B社長が負担した費用は、有限会社1社、社長個人の破産で、総額百五十万円くらいでした。