ただ今、とある原稿について、次の締め切りが近くなり、せっせと作成中です。
この仕事は、裁判や示談事件のように、裁判所や相手方から催促がくるわけではなく、ただ期限が示されているだけ。
裁判では、期限が来たら却下・棄却される場合もあるので、それが想定される場合には常に厳守しなければなりません。
しかし、原稿の期限となると、よほど厳しい監視役(小説家などでは編集者)が存在しなければ、どうも甘くなりがちです。
期限は一応のもの、過ぎてしまってもなんとかなるさ、等と。
最近読んだ本の中で、あるお寺の修行僧の話として、どんな修行が一番つらいかというと、お寺の廊下磨きだということが紹介されていました。
汚れがちになるトイレや炊事場の掃除はむしろ楽。
見ている人がいる勤行も楽。
ところが、廊下はたいていいつもきれいであり、掃除も大変ではないから1人でする。
いつもきれいで殆どやってもやらなくても、掃除したかどうかは注意して観察しなければわからない。だから、甘えが出てしまう。手抜きをしたくなる。ひととおり歩いて、目立ったゴミだけを拾って終わりにしたくなる。常に自身の内にある誠実さが問われる、と。
わたしにとっては、原稿書きは廊下磨きに近いのかも知れません。
今回の原稿は特にそうです。
わたしよりも優秀な先輩の中に混じっての原稿。ごく限られたエリアに関する、初学者向けの原稿で、わたしの担当もごく一部です。最後の最後はなんとかなる、などと甘くなります。
そういうわけで、ついぎりぎりまで引っ張ってしまいがちです。
関係者の方にどれだけご迷惑をお掛しているか、と思うとかなり反省。
今回も、これまでも、わたしの原稿などパズルの駒のひとつ、ネジの1本。
しかし、事実はそうであって、そうではない。
小ネジ1本のわたしの原稿も含めた、一切合切を期限までに完成させなければ、仕事にならない、ビジネスが成立しないという場合もある。
ご依頼者、事件関係者と同じく、やはり切実な問題がそこにあったのですね。
こんなことが本当にわかっていなかった。
大変お恥ずかしいです。
がんばって原稿書きを続けます。