最近は、インターネット上で、殆どの情報が入手可能になりました。
情報はとても大事です。情報は、少ないより、多い方が良いです。
しかし、情報は豊富でも、それだけでは価値を産みません。
以前は、「知っただけで効果がある情報」もあったかも知れませんが、今や、「皆が知っている状態」です。
「知ってはいるけれど、次はどうすればいいの?」情報の射程を見極め、活用する作業が必要になります。
情報を、統合解釈し、事象に当て嵌めてこそ、価値を産みます。
専門家の存在意義は、そこにあるのだと思います。
当事務所の顧客には、個人事業者、地場の零細企業から大手企業までいらっしゃいます。
たいていの法律問題に関わる情報も、ネットや書籍で入手可能ですし、実際、顧客の多くは既に様々な情報を入手されています。
にもかかわらず、なぜ弁護士に相談されるかといえば、やはり「統合解釈」と「当て嵌め」による結果、見込みを求めたい、自身のなした「統合解釈」と「当て嵌め」が、訴訟上耐えうるものかどうかを確認したい、という思いからでしょう。
弁護士は、大学での学部教育と、司法試験ないし法科大学院での修練を通じて、「統合解釈」と「当て嵌め」を徹底的に鍛えられています。
法曹有資格者は、情報だけのレベルではなく、その「統合解釈」と「当て嵌め」までができることを、数次に渡る試験で確認され、実務に就いてからも、裁判の結果から学び、各種研修制度で学び、「統合解釈」と「当て嵌め」力を高めるべく、研鑽を行っています。
これまで、途上国での法制度整備のために、少なからぬ弁護士が派遣もされています。
情報社会での専門家の役割は、「統合解釈」と「当て嵌め」を、一般の人にも理解できるように噛み砕いて説明することではないかと思います。
情報を活用し、生活しやすく、より良く活動できるよう、ひいては社会の進歩と発展に寄与できるようにすること。
私は、弁護士が、社会制度の基盤である、法律の分野での専門家として、真に必要な存在であり続けられるためには、考えられる専門知識全てを網羅したデータバンク的存在であることは全く無意味であり、これからは一層、「統合解釈」と「当て嵌め」力を磨くことと、一般社会の知的成熟度が上がり、情報も十分に蔓延していることから、まず相談者、依頼者に納得頂けるだけの「伝える力」、「説明力」をも備えていかねばならないと思っています。
裁判所や敵方弁護士には、共通語がありますし、手続制度がありますので、伝え方に工夫しなくても、ほぼ間違いなく正しく伝わりますが、一般に正しく理解頂くためには、わたしたち以前の時代の法律家のように、「ご心配なく!」「任せて下さい!」「結果を待っていて下さい!」では足りませんし、ある程度、知識がある、少なくとも、法律の内容や裁判例はご存知であることを前提に、見立てを、一般人に理解できる言葉で、場合によっては図解により、丁寧に説明していかねばなりません。
専門家は、専門分野はもちろん、社会の構成員として、社会のためにと願う以上は、社会の一般的な認知の枠組み、相談者や依頼者の認知の枠組みを理解し、誤解のないように、説明する能力が求められていると思います。
「一生が勉強、死ぬ前が一番賢い」
個人的には、そんなささやかな夢を持っていますが、専門家として旗を立てた以上は、死ぬまで勉強です。
専門分野の中身も、進化、発展します。
これに着いて行く。
社会も、進化、発展し、認知の枠組みも変化する。
これに着いて行く。
顧客となる、個々の人間の個性、理解力は様々であるが、ますます顧客の性格・質も多様化、複雑化している。
これに着いて行く。
いろいろと、勉強ばかりです。
でも、ご同輩、先輩諸兄姉、そうするのが楽しいから、専門家稼業をやっているのではありませんか?