魚のスズキは、セイゴ→フッコ→スズキ、と名前が変わる出世魚です。
わたしは、小中と、野球部でエースで4番であった、と書きました。
多分、当時住んでいた地区のピッチャーで一番球は速かったと思います。
(高校で、尾張旭の市内の中学のエース、名古屋市守山区内の中学のエース数名がいましたが、球速・球威は申し訳ないけれど「本当にエース?」という感じでした)
小学校のころは、名古屋市民大会で審判をしてた人や、知らないおじさんに名前を確認され、「素質があるね。」と言われていました。
ただ、小学校のころは足が遅かった。クラスで下から3分の1、女の子の何人かよりも遅かった。だからか、そういう言葉を1回かけられただけで終わりました。
小学校6年の市民大会は、0−1で終わりました。
中学3年の市民大会は、0−4で終わりました。途中まで押さえていましたが、5回ころにバント攻勢で内野エラー続出、わたしもフォアボール出して、崩れました。
ともに初戦敗退でした。
(野球が不完全燃焼のまま、野球部のない高校に進み、野球は封印。ハンドボール部に1年半だけいて45度をしたのですが、これでフォームを完全に崩したか、35歳で野球復活したものの、ノーコンに。)
野球は不完全燃焼のままでした。
スズキになれない、フッコにもなれない、年老いたセイゴ。
弁護士会野球、地元野球チームで封印を解いて始めた野球も、そろそろ10年目を迎えます。体力はいささか落ちて来ていますが、それにもまして技術力の不足を感じています。
子ども時代のエースで4番は、つまり当時圧倒的体力に優っていた、体力任せでやっている子が少なくない。そして、よほど周囲に上手な子がいなければ、井の中の蛙、上達しようという熱意がいまいちで力任せ。守備や技術、インサイドプレーを学ぼうとしない。
要するに、潰しが利かない。大人になって、草野球をやっても、体力が落ちればボロが出やすい。基本が不十分だから。そして、わたしはこの10年も似たような具合でした。
今年はつくづく基本練習、基本的技術の不足を痛感しました。
でもね、年をとっても死んでいない。
人間は死んでいない限り成長する。
体力の低下をカバーできる頭ができていく。
草野球だから、プロじゃないんだから、年相応ではあるけれど、その年齢層の中での上達はあるでしょうし、年齢層を超えた草野球選手としてのさらなる上達もあると思います。
来年はがんばろう、と思います。
わたしは、たまに「昔は、エースで4番だった。」「大学時代、極真会系フルコンタクト空手で、埼玉地区オープントーナメント準々決勝まで進み、他流派の初段2名撃破、同門の上位帯者2名を撃破し、最後に2段の優勝者に負けた」という、『事実』を家族に話しますが、「時効ですよ。」と言われます。
そう。
空手は時効になりました。
しかし、草野球はまだ時効にしない。
「来年、見ててよ。」と密かに(ここでオープンに)誓うのでした。。
人は一生が修行。
柔術の道は死ぬまで修行。死ぬ前が一番強い。〜『関節王』(三倉佳境著)
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