供述は信用できない、と書きました。
ですから、調書や法廷での供述を取り上げて、何ら客観的証拠の裏付けが無いのにも関わらず、相反する内容の供述を比較して、これこれの理由で甲の供述は信用でき、これこれの理由で乙の供述は信用できない等と認定して、それをもって主要な判決理由にしてしまうのは非常に危険で恐ろしいことだと思います。
ただ、証拠が薄いのに、どっちかに認定しなければならない裁判所の苦労はいかばかりか。心ある人にとっては苦渋の決断でしょう。
養老孟司先生もおっしゃっていましたが、わたしたちは、一部の人をエリートとして「汚れ役」を押しつけ、「汚れ仕事」をさせて平気な顔をしている、批判ばかりしている、といいます。
裁判所は、大変な権力、権威であるのですが、それと同時に、わたしたちは、裁判所に大変な「汚れ仕事」を押し付けていることも忘れてはならないのかもしれませんね。