「書中のつき合い 〜歴史人物の肖像画」富士正晴著 六興出版 ¥980
文学、歴史評論です。
富士正晴先生については、こちら。
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http://www.lib.ibaraki.osaka.jp/fuji/fuji.html
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鴨長明、吉田兼好から始まります。
見方が良い意味で「ひねくれ」ていて、鋭い。
こういう人にわたしは憧れてしまいます。(そういえば、小林秀雄も大好きです)
以下は、さわりのところで面白かったところ。
・(鴨長明の)当時において、身分のひどく高い者の出家は、俗世の制約から脱出して、出家の無責任をてこにして、俗世間を牛耳るとか、仏教世界を自由にするとか、俗人を手玉にとる目的でやったらしいが(思ってみれば宗教とか神聖とかいうものは出世間づらをして、世間を自由にし、お布施をまきあげ、人心をまきあげて、大政治、大産業をやるというのがどうも実情であるらしい。プロテスタントから資本主義が生まれ、それからマルクス主義が生まれ、それから社会主義という資本主義が生まれるということであるらしい。とにかく、宗教は俗世の富を吸い上げて、俗世を支配するのが常のようだ)、身分の低い方はそのような知謀もなく、腕力もないし、元来愚直正直の方だから、丸々諸行無常を信じ込み、やがて諸業無常に身を委ねたくなる。そこに亡びに対する憧れ、野たれ死にに対する憧れすらが出て来る。
・強いて言えば鴨長明は追いつめられての出家、兼好は趣味風流の余裕ある出家と思われてならない。
・長明の『方丈記』は音楽的であるのに対し、兼好の『徒然草』はいろいろな花を散りばめた生け花的なところがあるように思われる。…長明の文章は余り簡単に抜き差しならぬところがあるのに対して、兼好の文章はあれこれ別のをもってきて差し替えても差し支えないようなところがある。