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愛知県名古屋市中区丸の内 弁護士加藤英男の日々是精進日記(ツィッター:@BengoshiKH)
by bengoshi_358
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ちょっと難しいことを考えてみる 〜司法修習生給費制廃止問題
(はじめに)
このところ、日弁連ニュースなど弁護士会からの連絡や直接の面識のない弁護士からファツクスやメールが届く。

司法修習生給費制廃止の見直しを求める行動への賛同ないし参加を求める内容だ。

世間はどうか知らないが、この問題については、マスコミや有識者と称する人々の冷ややかな意見が目立つ。弁護士会が会員弁護士から募金して基金を集めてそこから給費を捻出しろという極端な意見もあったのには驚いた。


(問題の本質)
この問題の本質は何処にあるのか。司法修習生とは何者か、司法修習制度とは何なのか、ということから考えるのがよさそうだ。

司法修習生とは、どんな者たちかというと、言うまでもなく、近い将来裁判官、弁護士、検察官になる者たちだ。いずれも法の執行に関わる立場にある者たちだ。
我が国を始めとする法治国家では、全ての国民が法に関わりをもって仕事をし、生活をしている。言うまでもなく、法治国家では、国家の構成のあり方から、国家と国民、国民同士の関係について、法によって規律されている。

法とは、大雑把に言うと、国家と国民との間を、また個人と個人(企業もだろうが省略)の間を規律する取り決めである。それも、その時々の一部多数者の諮意的な執行、解釈、変更を許さない、個人の尊厳を確保するという、憲法の価値を実現する内容のものでなければならない。
そこに、自ずと公平、公正、中立ということが要素となる。
ところが、この法自体に問題があったり、仮に問題がなくても解釈、適用、つまり法の執行が歪曲されたりすれば、個人の人生、企業活動は大きな影響を受ける。
従って、この法の執行現場で法に関わる者に対しては、それなりのスキルとモラルを要求せざるを得ない。
そのために、我が国では、司法試験制度、司法修習制度が置かれ、司法修習を経ない者が法の執行現場に関わることを排除した。公正、公平な法の執行と、個人や企業が、スキルとモラルの低い事件屋に食い物にされることを防止する狙いだ。

司法修習とは、国民や企業の正当な権利、利益を擁護するため、法の正しい執行を維持し、社会秩序を維持する役割を担うに足りるスキルとモラルを習得させるための制度である。


(これまでのやり方)
司法修習生に対しては、裁判所法67条2項では、スキルとモラルの醸成のために修習専念義務が課されている。
要するに、司法修習生となったからには、人の重大な権利義務の帰趨を左右する仕事をする法律の専門家として仕事するに十分なスモルとモラルの修得に努力し、ゆめゆめ遊び呆けたり、アルバイトに勤しんだり、民間企業やお金を援助してくれる人々の紐つきみたいになってはいけない。心を尽くし、思いを尽くし、努力しなさいということだ。
そしてその代わりに、給費、即ち、生活費も出してやろうということになっていた。

修習生の原稿が、判決になり、起訴状になったりすることもあるのだから、労働の対価としての報酬が発生して当然という見解もあるようだが、労働というと修習という意味から離れてしまう。
修習生のスキルとモラルの修得のために、修得専念義務が課され、就労の権利を奪い、その代替に恩恵として付与されるというのが給費制度とみるのが正しいのではないか。


(給費制の廃止と今後の予測)
給費制が廃止された今後、修習生は、専念義務のおかげで就労もできず、生活費は他に頼らねばならない。
多くの修習生は、生活費を借用するか、家族に頼ることになるだろう。
民間金融機関から有利子で借り入れるか、将来の貢献に期待してくれる民間企業を探して支援してもらうか、親のスネをかじるか、配偶者に依存するかということだ。

給費制の廃止の背景には、財政問題があるやに聞く。国家財政に不安がある中、この国難の折柄、やむを得ないことかも知れない。
ただし、そうすることで起こり得る結果については予想し、理解しておかなければならない。

私は、この問題は、単に司法修習制度だけの問題では終わらないと考える。おそらく司法制度の変容の契機となるのではないかと予想する。

端的に言うと、今のような修習制度は続かない。続けられるものではない。
1年間も無給で拘束して修習させることは、大袈裟に言えば修習生の生存権(憲法25条)に関わる問題だ。
修習中は、私が修習をした約17〜8年前でも、こと修習に必要な法律書や判例解説雑誌の全てが支給されていたわけではなく、事情は現在でも同様であろう。

これ以上借金ができず、頼れる者がいない修習生は、生活ができず、教材には不自由し、修習に専念どころではない。

こんなおかしな制度が続くわけがない。
修習専念義務がおかしいのか、給費制廃止がおかしいのか、よく考えねばならない。

財政問題という限りは、現在のような状態で、給費制が復活されるベしという国民の声が高らかに上がるとは思えない。修習専念義務を外すか、訓示規定にして理念として宣言するだけの運用にしてアルバイトをさせられるように工夫するとか、いっそ一斉修習などなくしてしまうか、ということになるはずだと踏んでいる。

現在のまま司法修習制度が廃止されたその時、裁判官や検察官はどうやって採用されることになるだろうか。
これまでのように、プロ野球スカウトのごとく、修習生を物色し調査する教官の手腕に事実上頼った採用方法は取れなくなるだろう。裁判所や検察庁好みの若くて優秀、人柄が良くて有望な修習生を採用することも、難しくなるのではないか。

私は、法曹三者の協働という観点からは、いずれはアメリカのような採用方式にならざるを得ないのではないかと考えている。司法修習生の全てが弁護士となり、一定の経験を積んで、スキルだけでなく、モラルにおいて高いレベルに達した者を弁護士会が推薦する。そして、被推薦者の中から、裁判官経験者、検察官経験者で構成される専門委員会が選任するというように。


(まとめ)
修習専念義務、給費制は、これまでの司法修習制度を支える根幹であつた。そして、司法修習制度は、裁判官、検察官、弁護士をプレーヤーとする司法制度に大きく影響を与えるものである。

だから、これまでの司法修習制度を下支えする給費制を廃止することは、現在の司法修習制度、ひいては司法制度全体を無傷のままで存在することを許さないという気がしてならない。

給費制をこのまま復活させないというのであれば、いずれ司法制度全体の抜本的改革に進んでいくのではないだろうか。

ついでに言えば、司法試験合格者数大増員が今後も継続されるならば、早晩士業種資格制度改革、弁護士資格への一本化も検討課題になるだろう。


<追伸>
もう一度、財政問題も含めて、司法制度のあり方、司法修習制度について、よく考えて、我が国の司法制度、司法修習制度としてどんなものが良いのか、どうしたいのか、グランドデザインから考え直してみた方がよいのではないのでしょうか。。
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by bengoshi_358 | 2011-11-01 16:41 | 日々雑感
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