高蔵寺と岡崎を結ぶ愛知環状鉄道を使い、岡崎支部に向かう。
ローカル色強く、田園風景にほっとする。
私が子どもの頃、東山辺りは田園だった。
母の実家は星ヶ丘交差点をを東に上った先にあった。
小3の今頃、担任から「理科の授業でカエルの解剖をするので、誰か田舎に親戚がいる子に日曜日にカエルを捕ってきてほしい」と言われ、捕獲部隊に立候補した。
颯爽とした若い男性教師で、あんな大人になりたいと思えるような人だった。
その期待や憧れは後でいくらか裏切られることになるのだが、その伏線となるのが、このカエル解剖授業だった。
仲良しやそうでない友達数名で捕獲部隊を編成し、赤塚町から市バスに乗り、東山方面に。
西山住宅バス停で下車し、母の実家で祖母から捕獲部隊総勢5〜6名がラムネをもらい、一目散に田圃に向かった。
僅か小一時間で、何十匹か捕獲し、部隊の各人のペット用として数匹ずつよけて、大体クラスの2〜3人に1匹が割当られるようにした。
代表の私と副代表の友人とで半分ずつ持参することにした。
月曜日、私は喜び勇んでカエルを持って登校した。
クラスでは副代表が既にカエルを持参し、担任もいた。
私がカエルの袋を持参したら、「何だお前も持ってきたのか。」と言われた。
仲間の友人が、カエルは全て私の母の実家に皆で遊びに行って捕ったもので、私の手柄だとアピールしてくれた。
私は、担任に褒めて貰えると思って照れていた。
「お前は何を考えとるんだ、ええ!?」
返ってきたのは怒鳴り声だった。
「こんなにようけ捕ってきて、どうするつもりだ。カエルが可哀想だろ。馬鹿野郎が。」
クラスは凍りつき、仲間の友人も私から離れていく。
私の頭の中は疑問符だらけだ。
「カエルはこんなにいらん。どうするつもりだ。ええ、どうするんだ!?」
(だって、先生がクラスみんなで解剖するから田舎で捕ってこいと言ったから…)
私は悔しくて下を向いて黙っていた。
(一匹や二匹なら田舎に行かなくても捕まえられる。田舎って言われ、みんなで解剖するて言うから沢山捕ってきたんじゃないですか)
「3匹だけだ。後はお前が持って帰れ!」
(家にはもう10匹はいるんだけど…)
「返事は!?」
「…はい」
悄気る私のそばに復代表はじめ、捕獲部隊が集まり、小声で「俺らも後で手伝うよ。」と言ってくれた。
私は小5までは担任から評価されない、ダメな子だった。
「できん坊主」
小5までの私の呼び名である。
一番思い知らされたのが、小3だった。
田園風景はそんなダークな思い出もたまに呼び起こしてくれる。
小5で恩師であり、人生最大の恩人である阿部先生に出会うまでは、何をやっても認められない子どもだった。
教え育むことが教育なら、私は小5になって初めて教育というものを受けた。
それがわかったのだから、今は小学校時代の全てが感謝。