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愛知県名古屋市中区丸の内 弁護士加藤英男の日々是精進日記(ツィッター:@BengoshiKH)
by bengoshi_358
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裁判所に行く途中で見た虹
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平成28年12月27日は、桑名簡易裁判所で調停がありました。




今年最後の、弁護士としての裁判、調停です。
(実は、その後、他の簡易裁判所での司法委員としての出廷があったので、出廷自体はそちらが今年最後)


桑名駅東口に虹が出ていました。


裁判所出廷前に、良い外応(兆し、象徴)だと、思わず撮影しました。



我々弁護士は、依頼者から頼まれて、裁判や調停を通じ、依頼者の権利利益の実現を手助けします。


結果の評価については、いろいろな見方はありますが、厳粛に言えば、やはり「勝ち」「敗け」に分かれます。



我々弁護士は、依頼者を信じ、依頼者のために、依頼者の利益になるよう、少しでも依頼者が希望する結果を得ようと努力します。


勝負事に生きています。


だから、試合に臨むスポーツ選手のように、精一杯準備し、存分に書き尽くし、語り尽くします。


さらに、やり切った上に、験を担いだりします。


依頼者と同じ思いで、「勝ちたい」と思っています。


良い結果を出したいと思っています。


だから、一般に幸運の予兆と言われるような事象に遭遇すると、小躍りしたくなるほど嬉しく感じます。


そういうわけで、昨日の虹も嬉しくて、つい、撮影してしまいました。




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# by bengoshi_358 | 2016-12-28 18:46 | 日々雑感
心と身体の稼働効率を高めるコツ 1
出来事や物事は流れていく。
流していく。

掴んで離さないでいると、そこが痛む。そこで痛む。

受け入れ、流していく。
手先、足先、頭や背中、外へ外へと流して、出ていくのを見、感じるように意識する。

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# by bengoshi_358 | 2016-11-16 12:49 | 備忘録
弁護士の仕事は対立する権利の調整を前提とした「権利の実現」。

監修本、次回作は、「債権回収」がテーマ。

債権回収は、貸金、代金、損害賠償金の請求訴訟をはじめ、弁護士なら、日常的に携る仕事。

過去には、借金整理の本を書いたが、弁護士の仕事としては、債権回収こそが、本来の仕事であるように思われているのではなかろうか。

なぜなら、債権回収は、契約その他により成立した債権を現金化する行為であって、いわば、抽象的権利を具体的に現実化する、もっと言えば、「権利の実現」行為だから。

これに対し、借金整理は、契約その他により成立した債権を、一部または全部を無効化する行為であって、「権利の実現」とは、真逆。

国選刑事事件と同様、借金整理の事件を遂行中、「なんでこんな仕事するの?」と言われることがある。

「約束守らない側をなんで弁護するわけ?」

「悪いのは約束守らない側でしょ?」

「弁護士さん、悪い側を助けるの?」というわけだ。

ただ、借金整理も、広い意味では「権利の実現」行為なのだ。

誰かの権利を正当に実現する過程で、義務者において、健康で文化的に生存する環境が破壊されそうになったとき、他者の権利を一定の条件の下で制限する必要が生じることがある。義務者にも、生存権(憲法25条)があるからである。

そういった背景から、困窮し、露頭に迷いかねない義務者を救済すべく、民事再生では債権を一部カットされ、破産では債権の全額をカットされる。

そうすることで、義務者が「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるように、義務者の生存権を実現できるようにする。

弁護士バッジの絵柄は、ひまわりの中に天秤。

弁護士の仕事は、「権利の実現」行為であり、そこにおいて、衝突する権利と権利の調整が必要となる。

権利の実現手段である法律(実体法)や手続(手続法)の規定には、既に、衝突する権利と権利の調整の理念が盛り込まれている。

憲法の理念を思い出してほしい。

憲法の理念は、個人の尊厳を確保することにあり(憲法13)、そのためには、個人の自由と平等を保障する必要があり、個々人に自由権と平等権が保障されている。

そもそも、憲法において、個々人の権利の衝突とその調整は、予め想定されている。

憲法に定めのある「公共の福祉」による制限というものは、そういう意味として理解されている。

また、そもそもが、憲法の定める自由権は、権利である。権利のおおもとである。

そして、平等権は、各々の相違に基づいて、等しく扱われるように要求できる権利である。

実は、この自由権と平等権は、そもそも対立緊張関係にある。

自由権ばかりが強調されれば(過度な資本主義)、平等権の要求が不可避的に生じる(社会政策的要求・社会主義)。

実際に、憲法は、自由権(資本主義)を原則とし、それによって生じる弊害を最小限に抑えるために、社会権(生存権、教育を受ける権利、労働基本権)をも定めている。

このように、権利と権利のバランス維持は、我が国の憲法がよって立つ、立憲民主主義の目的であり、裁判に関わる裁判所や弁護士の使命でもある。

私自身は、弁護士の仕事がそういうものである以上、債権回収も、借金整理も、両方やるのがいいと思う。双方の立場がより分かるから。

離婚事件でも同様、男性側、女性側の両方の立場でやるのがいいと思う。

片方だけしかやらない、やれないでいると、そのやっている仕事のクォリティもなかなか上がらない。

両方やってこそ、それぞれの仕事がよく分かるようになる。

そう思うから、私は、両方やる。

その延長で、債権回収の監修で、これからいくらか刺激を受けそうなので、今後、バランスのため、借金整理本の新しい著者本を1つ、債権回収の著者本をいくつか書いてみようか、などと不遜にも考えている。

できるだけ早く、著者本もご紹介できるよう、努力したい、…と思う。
(監修本と違って、著者本は相当に体力が要るから)


補足: 借金整理本、と書いたが、次回作は、CMで今だにあおりを入れてる、過払い金請求とか、サラ金の任意整理でなく、企業倒産を中心にしたい。

借金整理といっても、私の場合、毎月1件の企業倒産事件の申立をしていた時期もあり、どちらかというと、それと合わせた関係者の破産、再生と個人の住宅ローン破産を中心にやっていた。

そのまとめをいつかやりたい、と思っていた。


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# by bengoshi_358 | 2016-10-25 16:46 | 日々雑感
監修本第1弾「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)
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法律実務本シリーズの監修を依頼されていたのですが、少し前に原稿チェックが終わった、その第1弾が発売になるそうです。

「署名・捺印の法律問題を徹底理解!」(リーガルスキルサポート研究会・アイバス出版)

この「徹底理解!」シリーズ、今後は、売れ行きにもよるのでしょうが、あと何冊か予定されています。

また、随時ご紹介させて頂きます。




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# by bengoshi_358 | 2016-10-14 13:39 | その他法律関連
求められるしつこさ

昨日は、弁護士は弱腰がふつうなんだ、みたいなことを書いた。

「それだったら、頼む意味ないじゃん!」


そう思われるのもしゃくである。



弱腰と見えるかもしれないけれど、それは、扱う仕事の性質から来るもの。
強引なことはできない、ということ。

その代わり、卓球やテニスのラリーのように、

しとしとと、時にはやや強く降り続く雨のように、


証拠をもとに、しつこく、しつこく追及していくのが、我々の仕事の原則的なスタイル。


声を上げたり、机を叩いたりのパフォーマンスをする同業者は、異例で、異端のポジションにある。




これは、絶対に負けられない。


こんなことは、決して放っては置けない。



そういう事件も多々あるわけで、


そうした時、我々は、裁判官が納得してくれるよう、納得してくれるまで、シャットダウンされるまで、丁寧に、熱意を秘めて、延々と、しつこく、闘い続けていく。


「決してあきらめない」というのが、営業マンの心得だけど、

我々は、クライアントのエージェントであり、営業マンである。


だから、しつこく、がんばるだけ。



「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対にあきらめるな!」(『12番目の天使』オグ・マンディーノ著、坂本貢一訳)


そんな思いを抱いてワープロを叩くのが仕事。



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# by bengoshi_358 | 2016-10-11 19:05 | 日々雑感
なぜ弱腰な弁護士が多いのか?

中小企業、個人事業主からの相談の中で、たまに「弁護士は弱過ぎ。もっと強気にやってもらわんと。○○○士の▲▲先生は、やり手だよ。がーっと強く言って、話まとめてくれたよ。」と言われることがある。

行政相手の、特に裁量の幅が大きな許認可に関わることならば、押しの強さによって、結果が出るまでの時間の長短に多少差が出ることもあるのかも知れない。

されど、我々の関わる法律事務は、最も力技が効かない分野。


法の下の平等を徹底せんとする、法原理機関である裁判所の、職務上は常に理性的で、圧力に決して屈しない裁判官を説得する作業を行う仕事。


これは、限りなくクールに行かねばならない。


弱者救済の熱情をさり気なく示すこともあるが、それは、あくまでもトッピングでしかない。

昔は、裁判官にも余裕があって、スキルの不足を熱情でカバーするタイプの弁護士も十分通用した。


私が駆け出しで、スキルが乏しかった頃、急遽受任した仮処分の事件で、書面や証拠がアバウトであったが、必死の熱意を示すことで、裁判官が、「わかりました。では、今すぐ検討しましょう! 先生、時間、大丈夫ですか?」と、午後5時から8時過ぎまで対応してくれたことがあった。

昨今の裁判官は、昔よりも一層多忙で、事件処理に追われている感じ満載だ。


多くの裁判官は、親切に個別対応などしてはくれず、法律に則った緻密でロジカルな説得作業を時間をかけて丁寧に行なえなければ、余程幸運に恵まれない限り、目的地には到達できない。

(事件当事者が考えているほど、物事は、そう簡単には、客観的な第三者である裁判所に理解されない。丁寧に、きちんと、順序立てて説明していく作業が不可欠)


それに、そもそも、いろいろと強引にやる行き方は、ほぼどんな分野でも通用しなくなってきているのではないだろうか。


かろうじて強引な手法が通用している分野があるとしても(多くの場合は錯覚であり、実際は▲▲先生の巧妙な演出ではないか)、いつかすべてが表に暴き出され、かえって痛い目をみることになるのではないか。

日本は、文化国家であり、法治国家が完成しつつある国家であり、国民からの、国家に対する、公平、公正要求が強い。
その公平、公正要求は、対行政のみならず、私人間において強く働いている。

そして、弁護士法の定めがあり、我々は、その定めに従って活動している(つもりである)。


弁護士法
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。


第2条 弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。

つまるところ、我々弁護士は、弱腰なのではなく、

公平、公正、社会正義実現に直接関与する仕事をしており、

強面になって、強引に力技で相手を丸め込むようなことは、

原理上も実際上も、 できないのである。


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# by bengoshi_358 | 2016-10-10 16:56 | 日々雑感
小さな事件を大切に。

少額の簡裁交通民事事件、依頼者側の過失割合を減らすような事情について積極的に主張立証せず、相手方の主張を否認だけして立証に入ろうとする他の事務所の弁護士に驚愕。


少額の弁特事件で報酬安いからサクサク処理したいのか?
ちゃんと事情聴取したのか?


判例タイムズ特集号の図の下にある、増減事由程度はちゃんと調査して主張するでしょ、ふつうは。

過失を構成する具体的事実は主張事実。
ちゃんと主張立証しようとしないとアカンでしょ。
立証が難しくても、主張はして、立証の努力だけはしないとね。


小さな事件で学ばなかったら、大きな事件でも失敗するんじゃないかな。


弁護士全体の信用に関わるのではないかと、私には珍しく、偉そうなことを思ってしまったけれど、しょせん、他人のことだし、敵方ならラッキーなんだし。

まずは、自分。改めて、心しよう。


私が駆け出しの頃、ハイソな事務所の大先輩から言われた言葉。


「小さな事件を大切に。」


「小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。」と昔の偉い人も言っていたなぁ。


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# by bengoshi_358 | 2016-10-06 19:37 | 日々雑感
弁護士業界における「専門家」
「ご専門は?」と尋ねられて、少し困ることがある。

結論的には、「クライアントの問題解決に一所懸命努力することが専門です。」と答える他ない。


我々は、学者ではなく、現実に起こっている問題を解決することが仕事。
現実に起こっている問題を解決するための知識、情報、能力は、「専門」ではくくれない。
「専門」だけでは、現実の問題を解決できない。


医師の和田秀樹さんが、雑誌のインタビューで書いていたと思うが、医学はすべての学問の集大成で、学問の王だという。
それは、正しいと思う。
私もかつて憧れた世界だ。

ただ、我々も、病気や医療が関わる事件では、医学書を読み漁り、専門医に会ってレクチャーを受けたりする。学問として究める必要はないけれど、クライアントの問題解決に必要な限度で、情報を収集しまくる。

そして、自分なりに理解する。
その上で、自分の理解と、文献情状や鑑定意見書をもって、裁判官を説得にかかる。

このところ、ハラスメント、過重労働などの労働関係事件をいくつも受任したが、そのおかげで、約20冊の医学書、医師向け論文雑誌を読んだ。
専門医の意見も直接お聞きした。

また、廃棄物プラントや、工作機械の債務不履行事件も担当しているが、これらの件では、物理化学が大好きだった少年時代を思い出して、教科書や、専門書を読み、研究者の意見をお聞きした。

かつて憧れた世界、興味がある分野に関わる事件を担当できることは、嬉しいことだ。


弁護士業をやろうと思ったら、すべての学問を参照する、勉強するという覚悟が必要になる。
そうでないと、クライアントが望む問題解決はできない。
クライアントの問題解決のためには、必要に応じて、十分以上の勉強が必要だ。
十分な結果を導き出すためには、裁判官を説得しなければならず、そのためには十分な勉強では不足だ。

だからこそ、ある程度の勉強、研究は当たり前。
さらに進んで、その分野で一定の評価を得た専門書・論文のひとつやふたつ、書いていないと、「実は専門はこれこれで。」とはとても言えない。

少なくとも、私は、とても言えない。
残念だけど、今のところ、私は、ビジネス書に、先輩公認会計士のアシストをした共著の専門実務書を書いてはいるが、弁護士業界で高評価されるような専門書も論文をひとつも書いていないからだ。

ところが、巷間では、いかに「専門家」が多いことか。
専門家は、その分野で一定の評価を得た専門書・論文のひとつやふたつ、書いている人に与えられる称号だという、私の基準からすれば、巷間の「専門家」はいずれも「自称専門家」ということになる。
そして、一般の人には、専門家と「自称専門家」とは、容易に区別できない。
なぜなら、その人が真の専門家か「自称専門家」かを区別するには、その人が所属する業界で傑出した存在と認められているかどうかによるのであって、専門知識がなければそれは分からないからだ。
一般の人、他の業界の人には、その人が「専門家」として宣伝するHPや、マスコミに登場する露出頻度は分かっても、その人の本当の能力とか専門性とかは、残念だけど分からない。
自分で努力して調べてみない限り、分かりっこないと諦めた方がいい。


我々の業界でも、最近、雨後の竹の子のように、「専門家」とか、より控えめに、「○○問題に詳しい弁護士」が登場してきているけれど、実のところは、本物の専門家はそれほど露出されていない。
明らかに経験年数が2〜3年で、「専門家」とか「詳しい」はあり得ない。

弁護士の中で、本物の専門家を探したい場合には、弁護士会館内にある本屋さんで、日弁連研修録を参照されるとよい。
日弁連研修録は、弁護士を教える弁護士講師による講義の記録をまとめて本にしたもの。
地方の弁護士会では、様々な事情や配慮で研修講師が選ばれたりするから、地方の弁護士会の研修録よりは、日弁連研修録があてになる。


離婚、相続、交通事故、借金整理で「専門家」を探す必要はない。

いくらか経験を積んだ弁護士であれば、誰でも扱える事件種だからだ。
最高裁まで争わなければならないような、特殊な争点があれば格別だが、これら事件種で最高裁まで争う事件の割合は、時間稼ぎの場合を除けば極端に少ない。
数パーセントあるかないかだろう。

これら事件種で「専門家」と称するほとんどは、一手に同種事件を引き受けて、定型的に処理したい、法律事務所側の営業上のもの。
クライアントの利益や便宜のためではなく、事務所の利益追求優先の情報活動だろう。

これらの一般的な事件種では、相性とか波長が合うかどうかが大事なように思う。

一般の人が、一般的な事件種で弁護士に事件処理を依頼しようとする場合には、実際に複数の法律事務所を訪ね、自身の目と耳とハートで確かめられるのがよいだろう。


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# by bengoshi_358 | 2016-09-22 17:34 | 日々雑感
「依存症について 〜薬物依存その他」(3)
3.薬物事犯被告人との面談におけるストレス、まれに遭遇する難事件

薬物事犯の国選事件は、若手弁護士にはありがたい仕事ではありますが、やはり、それまでの人生ではまず出会ったことがない、薬物でヨレヨレになってしまった被告人と、少なくとも仕事が続く間は良好な関係を保たねばならないという点では、ストレスがないではありません。

海外の覚せい剤中毒者の顔画像を集めているサイトがあります。

「The horrors of Methamphetamines」 覚せい剤の恐怖

ここに出てくるような被告人らと、薄いプラスチック板や鉄格子を介して対面するのは、なかなかのストレスです。

国選事件着手直後の被告人の多くは、薬物が身体から抜けていない、瞳孔は開いたまま、話すことが時に支離滅裂で、怯えていて、なぜか刑事手続において不当に扱われた被害者だという意識が強い場合もあり、信頼関係を築くのが大変です。


先ほど、「薬物事犯は自白事件ばかり情状弁護だけで済むので楽だ」と申したのですが、非常にまれですが、中には、「自分の意思で薬物を摂取したのではないから、無罪を主張してほしい」という被告人もいて、そういう場合には、非常に苦労することになります。


ある事件では、知人から、悪意をもって覚せい剤を混入したカレーライスを食べさせられたと主張がありました。


また、別の事件では、覚せい剤を常用していたが、「もう止めようと思って捨てた。」ところが、捨てる時に食卓のごはんに粉がかかってしまったのに気づかないまま、食べた途端、気分が高揚して、大声で騒ぎたくなって、隣人に通報されたという主張がありました。


この後の方の事件では、裁判官からはしかめつらされ、傍聴人からは大笑いされ、「あの弁護士、大丈夫か?」とささやかれ、挫けそうになりました。

どちらの事件も、否認事件ということになり、証人尋問をしたり、大変な作業を要しました。

結局、どちらも自分の意思で覚せい剤を使用したことに間違いないとされ、有罪とされました。

覚せい剤の前科前歴が複数あったことや、辻褄が合わない弁明があったことで、有罪の心証をとられたようです。


ほとんどの薬物事犯の被告人は、何度も服役しながらも、懲りずに覚せい剤に手を出し、逮捕、服役を繰り返します。


どの被告人にも共通するのは、①常用者が身近にいたり、売人に自ら接近していること、②それと、何度刑務所に入ってもなかなか薬物乱用を止められないこと、です。





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# by bengoshi_358 | 2016-06-15 18:34 | 講演録
「依存症について 〜薬物依存その他」(1)〜(2)
1.薬物乱用の現状

まずは、「薬物乱用の現状」について、ご紹介します。

少し古いのですが、厚労省のHPに、『薬物乱用の現状と対策』というPDFになっているレポートがダウンロード可能ですので、ご関心のある方はぜひ御覧ください。

厚労省HP


このレポートでは、

「主要国の薬物別生涯経験率」「我が国における麻薬・覚せい剤検挙人員の推移・覚せい剤事犯再乱用者数の推移」「法規制」などが報告されています。

我が国では、薬物乱用者数は、どちらかといえば減少傾向にあるが、再犯率は上昇しているということがわかります。

薬物乱用は、法律によって規制されており、処罰の対象となります。
また、法律によって規制されている薬物を乱用し、処罰されることになれば、労働者の場合、懲戒手続きを経て解雇されるということにもなります。

※企業による懲戒処分は、刑事処分があれば重くなるでしょうが、刑事処分がなくとも、薬物乱用の事実が認められ、具体的に社内秩序を乱すことがあれば、それに相応した社内懲戒処分が下されることになります。


2.若手弁護士と薬物事犯

私は、もう10年以上前に刑事事件を扱うことをやめましたが、特に、駆け出しの若手の頃には、国選刑事事件を毎月1件は受けていました。

当時、若手弁護士の中で、人気だったのが、覚せい剤を始めとする薬物事犯でした。


その理由は、
(1)被害弁償の必要がない
(2)量刑が明快
(3)簡単な情状弁護だけ、ということです。

薬物事犯は、いわゆる「被害者がない犯罪」です。

傷害事件や窃盗事件のように、明らかに被害者が存在する場合には、弁護人となった弁護士は、被害弁償といって、被害者に面談、電話での話合いを求め、損害金や慰謝料を支払い、処分を軽くしてもらえるような『嘆願書』を書いて貰う活動をしなければなりません。

社会経験が乏しく、個人としての経験上、他人から恨まれたりしたことはなく、また、他人に謝罪することもなかった若手弁護士にしてみれば、『被害弁償』を行うことは精神的に大きなストレスになります。

だから、『被害弁償』をしなくてもよい薬物事犯は、それだけで魅力的です。

また、日本の刑事裁判には、量刑相場というものがあって、「このくらいの事件ならば、判決もこのくらい」という目安がはっきりしています。

中でも、薬物事犯では、より明快で、その当時は、1回目は懲役1年6か月・執行猶予3年~5年、2回目は懲役2年、この2回目が執行猶予期間中ならば合計で3年6か月懲役に行くことになっていました。

この結論は、どんな弁護活動を行ってもほぼ変わりはありません。

さらに、薬物事犯の場合、自分の意思による薬物使用を認めた自白事件がほとんどなので、法廷での弁護も、情状弁護といって、「これこれの事情から、やむを得ず薬物を使用したので、なんとか寛大な処分をお願いします」という弁論を行うだけ済むのです。


このように、国選刑事事件の薬物事犯は、定型的な処理になじむので、弁護ミスが生じる可能性は低く、弁護活動も楽なので、若手駆け出しの弁護士向けの仕事ではありました。


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# by bengoshi_358 | 2016-06-15 18:24 | 講演録
2016.5.29 講演録(早録) 〜薬物依存・依存症について

平成28年5月29日(日曜日)
午後2時〜

名古屋市昭和区御器所・れんが家サロン
「昴の会」例会
テーマ:依存症について

3名の講師のうちの1名として、約30分、お話をさせて頂きました。

①薬物依存症者との関わり、

②どうして依存を止められないのか、

③依存症とビジネス(治療ビジネス及び依存を生むビジネス手法)、

④依存症に陥る心理的メカニズム(時間割引率とマシュマロ実験)、

⑤今後の展望らしきもの、       について考えたことをシェアしました。

原稿なしに、自作のジョブズ調の短いフレーズだけを書いたスライドをもとに、国選刑事事件で出会った薬物事犯の被告人との関わりから始め、最後は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の一節に至りました。

精神科医やお役人、依存症に苦しむ人々の支援者といった専門家もみえる中で、全く予定調和を考えないで、剣と槍を投入する覚悟で、挑戦的な問題提起をさせて頂きました。

厳しいご批判もあるかとも思いましたが、長年真摯にこの問題に取り組んでみえる筋金入りの専門家は、限りなく寛大でした。
門外漢の挑戦的な問題提起にも、真摯に耳を傾け、受け止めて頂けました。

これから、原稿起こしをし、また改めて公開させて頂くつもりですが、以下に、私が至った最終的な結論部分をアップしておきます。

※「昴の会」は、専門職の勉強会で、精神医学や労働、経営問題についての研究をしています。私は、入会をお許し頂いてから約1年ですが、いつもわくわくするような知的刺激を頂いています。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

依存症は、高度化した資本主義経済の下で不可避的に生じる構造的問題です。

高度化した資本主義経済は、生活必需品や、特に生活必需品以外の商品を大量に継続的に売らんがために、行動心理学・行動経済学の知見をも動員し、巧妙な宣伝で購買意欲を高め、購買行動に出させ、それを継続させようとします。コーラのCMをサブリミナルで流すような実験も実験だけではないかも知れません。

そして、顧客ロイヤリティを高め、お得意様にし、依存させます。
依存させることで、利益を拡大、維持できるからです。
営業経費を節約、著しく低減させることが可能だからです。

社会全体が、依存を生むシステムになっています。

そして、一定数の人々が、一定の依存から進んで行って、依存症となってしまい、「自分自身ないしは周囲が苦しむ」状態となってしまうのです。

構造的問題なのですから、社会全体で、特に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンら(※専門職も例外ではない)が責任を負うべきです。
報償責任の考え方からもそれが自然です。

また、自身の人生の意味を考えることを止めた人は自分以外の物・人(関係)・こと(過程)に自分を投入(=依存)する予備軍。

自分の人生の意味を考えようとせず、自分の人生の意味を考えることを若い世代に教えなかった人も、依存症予備軍であると同時に、依存を生む枠組みによって利益を得ているすべての企業やビジネスマンと同様、依存症を生みだしている共犯者(幇助者)でもあります。

私も、時に買い物依存だったり、カフェイン依存だったり、「依存症」(それによって自分もしくは自分の周囲が苦しむ状態)の手前にいるなぁと気づくことがあります。

依存症の問題には、第三者はいません。
すべてが、関係者です。
いつ何時誰が当事者となる(糾弾される)かわかりません。
社会構成員全員が関係者なのだと思います。


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# by bengoshi_358 | 2016-05-31 15:11 | その他法律関連
停職中の旅行とSNSへの旅行記事の投稿と懲戒免職処分
停職処分期間中に旅行に行き、SNSに記事を投稿していた職員に対し、懲戒免職処分を行った事案について検討してみます。

ニュース記事で明らかにされている事案の情報は、以下のとおりです。
・ 兼業禁止規定に違反し、6か月の停職処分
・ 旅行に行き、SNSに記事を投稿(1回目)
・ 上司から注意・ 再度、同様の行為(旅行に行き、SNSに記事を投稿?)(2回目)
・ 住民からの批判あり・ 町は、「(地方公務員法33条の)信用失墜行為に当たり、反省も見られない」として、(同法第29条1項により)懲戒免職処分とした



本件は、町の職員に関するものですが、
まずは、民間の場合であればどうかという観点から考えてみましょう。

民間の場合、一般に、懲戒処分が有効とされるためには、
(1)就業規則などに根拠となる規定が定められていることが必要です。

そして、(2)下される懲戒処分が、労働者が行った問題行為と均衡がとれていることが必要です。
要するに、極端に重いものであってはならない、ということです。

さらに、(3)適正手続を踏む必要があります。
懲戒処分は、一種の制裁であり、労働者にとっては大きな不利益処分であるので、公平・公正さが強く求められます。具体的には、予め就業規則などで具体的に定められ、同じ事柄で二度も三度も処分することは許されず、労働者には処分に先立って弁明の機会を与えることが必要になります。

これら、(1)〜(3)を満たさない処分は、無効とされます。


本件では、形式的要件である(1)、(3)がきちんと満たされていることを前提に、
実質的要件である(2)が最も検討されなければならない点です。

(2)は、最終的には、裁判所により、「社会通念上相当として是認できる」かどうか、で判断されます。

具体的には、
①労働者の行為の性質・態様(行為の内容と悪さの程度)、
②結果(企業秩序への影響)、
③情状(過去の処分歴や反省の有無)、
④使用者の対応(他の労働者への処分との均衡その他)などが、判断の要素とされます(水町勇一郎著「労働法(第5版)」p.167)。



では、本件の場合、懲戒免職は、「社会通念上相当として是認できる」と判断されるでしょうか?

本件事案に即して考えてみましょう。

<判断要素:①労働者の行為の性質・態様(行為の内容と悪さの程度)>
①について、労働者の行為は、「6か月の停職期間中の旅行であり、かつ、SNSに旅行記事を投稿したこと」 「上司から注意を受けたにもかかわらず、これらを繰り返したこと」です。
停職期間は、余暇を楽しむ期間ではなく、原因となった問題行為について反省をし、勤務再開のために心身の備えをなすべき期間です。
旅行をし、旅行記録をこれみよがしにSNSに投稿するということは、停職処分に対して、何らの反省のない態度を表明するものであり、組織内の規律秩序に反する行ないです。
さらに、かかる行為に対して、上司から注意を受けたにもかかわらず、同じ行為を繰り返したことも、同様です。

<判断要素:②結果(企業秩序への影響)>
②について、SNS記事を通じて、組織内構成員や町民らに知られ、町民から批判を受けることとなり、組織の信用は大きく傷つき、組織内秩序も大きく傷つけられたものといえます。

<判断要素:③情状(過去の処分歴や反省の有無)>
③について、停職期間中にはふさわしくない行為に及び、その点、上司から注意を受けたにもかかわらず、再度同様の行為に及んだことは、情状として非常に芳しくないものといえます。

<判断要素:④使用者の対応(他の労働者への処分との均衡その他)>
④については、ニュース記事からは明らかになっていません。



本件事案の処分は、民間企業であれば、懲戒解雇。いわば、懲戒処分の中でも、最も重い、最終処分です。

それゆえ、労働者に改善の余地がない、労働者を在籍させていては組織内秩序が保てないほどに組織内秩序が侵害され、あるいは、組織の信用が失墜させられたという場合でなければ、「社会通念上相当として是認できる」とは言い難いです。

仮に、本件事案が民間企業の労働者が対象者であった場合、停職処分の理由、企業の規模、労働者の地位・職種、その他具体的事情によっては、やや厳しすぎる処分であるとの印象も受けます。
しかし、本件事案は、対象者が、勤続10年近い、公務員である町の職員であり、町民の信頼・期待を裏切り、町の信用を大きく傷つけています。
そして、対象者は、上司からの注意にもかかわらず、反省もなく、再度、同様の行為を繰り返しています。

そうしますと、組織の信用・組織内秩序の侵害度合いは重く、情状も軽くはなく、その他記事に現れていない情状、町側の対応状況の詳細によっては、やむを得ない処分と判断される可能性が高いのではないかと思われます。


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# by bengoshi_358 | 2016-05-04 23:11 | 労働法
「職業としての弁護士」 雑誌コラム掲載(H22出稿)
今日のお昼は、いつもの蕎麦屋に出かけ、その後、天気が良いので栄の本屋まで散歩。

もう少しで新年度の始まり。
お正月から3か月経過し、いろいろと計画を練りなおしたりしようかと思います。

6年ほど前に、ある法律雑誌に掲載されたコラムを思い出し、再読してみました。

弁護士登録20年を前に、振り返りをし、再確認したことをしたためたものです。

6年経過しましたが、やはり、「職業としての弁護士」について問われたとしたら、同じように回答させて頂くのではないかと思います。


以下、引用ですが、長いので、ご注意下さい。


<以下、原稿>

 私は、愛知県で弁護士開業し、20年までまだあと数年。弁護士について語るには少し早い気もするが、丁度良い機会なので考えたことを少しだけ書いてみたい。

第1 弁護士を取り巻く環境

 1 先生からセンセイへ

 ずっと以前、弁護士は、難関国家試験を通ったということで、辛うじていくらかの敬意を受けられた。昨今では、弁護士有資格者が激増し、弁護士がマスコミ、ネットにも多く登場し、身近な存在になって底が知られたせいか、弁護士というだけで受けられる敬意はなくなったように思う。先生からセンセイだ。

 もともと弁護士という職業は、その始まりにおいて「三百代言」、「お金さえ出せばどちら側にもつく」と言われつつ、同業先輩諸兄姉の有形無形のご苦労、ご努力により、やっとのことで一定の評価を得られるようにまでなったわけだ。だから、始めを思えばまだずっとましというべきだ。

 日本では、70年代後半頃から豊かな社会が出現し、情報化社会を経て、今やその先に来るという知識社会が形成されつつあり、日本国民全体が高学歴化、知識化し、便利なパソコンソフトのお陰で様々な分野でプロとアマの境目が曖昧になった。他士業の職域もどんどん拡大され、弁護士の独自性が法廷活動と権利義務の発生変更消滅に関わるような交渉や書面作成という、法律事務に集約されてきている。

 企業にも、個人にも、弁護士に全てお任せというのではなく、「弁護士を使う」「必要に応じて適切な弁護士を選ぶ」という姿勢は如実に現れてきている。


 2 事件数の減少傾向

 弁護士の増員と長期低迷する経済のおかげで、各弁護士の抱える事件数も収入も減少傾向にある(と思う)。

 これは、意外に思われるかも知れない(不況時に弁護士は儲かるという俗説があるらしい)が、企業の訴訟控えや以前からあった強制執行申立等一部手続の社内処理化は進み、顧問契約の解消の勢いも止まらず、弁護士に依頼する企業や市民は増えないのに弁護士の数だけ増えたこと等の事情もあり、少なからぬ同業者の実感として各所で伝え聞く。

 若手弁護士はきっと相当に大変だろう。特に登録したばかりの弁護士の中には、法科大学院時代の学費や生活費の借金返済に苦労している者もいるという。来年からは司法修習生の給費廃止となるから、新規登録弁護士の借金問題はさらに深刻化するはず。

 弁護士業界も、他の業界同様、厳しい状況にある。これまで経験したことがなかった氷河期突入となるのかも知れない。



第2 弁護士の仕事内容の質的変化

 先ほど、弁護士の仕事の量的変化に触れたが、全体としての仕事の数は減少しつつも、年々処理の難しい仕事が増加している感じは否めない。質的変化だ。

 1 事件の複雑多様化

 紛争は多岐に渡り、社会の複雑化に伴い、紛争も複雑化多様化してきている。

 私は「普通の企業」や「普通の個人」の「普通の事件」を処理する普通の町弁(マチベン)だ。しかし、普通の企業や普通の個人が、特殊分野についての事件について片方の当事者になることはしばしば起こるようになった。十数年前にほぼ終息した公害事件に始まり、医療、船舶、建築、産廃プラントと様々な事件の代理人になり、しっかり勉強させられた。


 2 通常事件の複雑化

 そして、当事者の片方だけではなく、当事者双方が普通の個人同士の事件であっても、やはり様々な専門的知識が必要になってきている。

 例えば、ごく普通にある離婚事件や男女の紛争。今や、従来からある慰謝料請求に、ハラスメント被害による損害賠償請求。被害発生の機序に関し、精神医学や心理学の知識が必要になることがしばしばある。実際に、専門書を買い込み、自分で勉強した。精神医学会内部でも意見が分かれる事案にも遭遇した。実際に、医師や学者、心理療法士に相談し、意見書を書いて貰って裁判所に提出した事件もこの数年で5~6件。

 古くから言われている、税務や会計、登記については当然のこと、弁護士以外の専門家と連携することは不可欠になってきている。私も、ご多分に漏れず、税理士、公認会計士、司法書士、社会保険労務士等の法律関連士業の友人知人はもちろん、医歯薬心理学系、生物学・物理学の理工系の学者ほか各分野の専門家や調査会社(サーベイヤー、探偵業者)を頼り、連携して、時にはチームで仕事をする。


 3 難事件の集中

 近時、これまで弁護士が扱ってきた仕事のうち何割か(その割合は借金整理事件になるとかなり多い)が、独自又は他士業の力を借りて当事者本人名義で行われるようになってきた。

 その結果、弁護士のところにやって来る事件はどう見ても一筋縄でいかない難事件が多くなり、とりわけ消費者系の事件となると弁護士が抱える事件は難事件ばかりだ。

(注:6年後の現在は、弁護士の広告自由化により、少なからぬ弁護士が、TVやラジオ、ネットで様々な広告を出しています。そのため、地域のごく普通の弁護士事務所には、手広く広告を出している弁護士事務所から断られた方々の飛び込み相談が集まり、より一層難事件が集中してきているようです)


 4 報告・連絡事務負担の増加

 以上に加え、最近特に顕著なのが、依頼先への報告、連絡、相談の頻度が増え、それが質量ともに大きな負担になっていることだ。先にも書いたが、依頼先は、十分に知的レベルが高く、自分なりに調査しているため、ある程度、事件処理の流れや予測し、依頼する前から一定の考えを持っている。だから、全てお任せで良いようにやって下さいということはあり得ず、事件の進行に沿って逐次依頼者から連絡が入り、報告を求められ、相談を受ける。報告、連絡、相談を密にするということは、お互いのためにはむしろ良いことだと思うのだけれども、そのための資料作りに当てねばならない時間は格段に増えている。


 5 まとめ

 要約すると、事件はより複雑になり、責任も重く、要求レベルは高くなり、作業も増加傾向にあるということだ。



第3 それでも弁護士の仕事が好き

 1 弁護士の仕事の魅力

 散々愚痴泣き言を並べ立ててきたが、弁護士をやめたいかと聞かれたら「やめたくはない」と答える。

 私は、弁護士の仕事が好きだ。

 声の大きい者、力が強い者、経済力がある者、容姿が美しい者、即ち持てる者たちが、ただそれだけの理由で勝つということがあってはいけない。正しい者は報われねばならない。事実に、真実にのっとって公平公正に判断されねばならない。

 そんな思いで、我々弁護士の多くはこの道に入ってきた。何度も司法試験で苦杯を舐め、友人らが就職して出世の階段を順調に登って行くのを尻目に、「この道を行かん」とある面で人生を賭けて挑戦し、今に至っている。今の試験制度以前にこの道に入った我々の過去の決断には覚悟があった。

 そして、何年か弁護士として仕事をしてみて、覚悟は確信となった。「これで行く」と。(とあるメジャーリーガーの如く傑出した人物の多くは自信から確信に至るのが常であるが、無能な凡人は当初より自信など持ち得ず決死の覚悟から始まるのだ)

 正義感や道徳観の充足、それ以上に魅力的なのは、マンネリがないこと。日々刺激的であり、毎日が勉強だということ。私の生涯の目標は「死ぬ直前が一番賢いこと」だが、まさにこの仕事はそれを実現してくれる可能性に満ちている。仕事をしている限り、事件を通じて勉強せざるを得ないし、新しい知識獲得と発見がある。それは何よりのメリットだと思う。


 2 最後は好きか嫌いか

 かつて「バカの壁」で、養老孟司先生は、「『汚れ仕事』を引き受けるのが政治家や医者といったエリート」で「それなりの評価と報酬を受けるが、そのことは責任を引き受けることにより容認されてきた」ものの、昨今は社会からエリートがもはやエリートと見られなくなり、エリート側も責任を引き受けなくなったという趣旨のことを書かれていた。

 弁護士も、他人の紛争の後始末、『汚れ仕事』を引き受けることを仕事にしている。恨みを買うこともある。胸ぐらを掴まれたり、軟禁状態に置かれることもある。大先輩方ほどには評価も報酬も保障されなくなってきてはいるのに対し、責任はますます重くなり危険も増えている。

 今や、純粋に好きか嫌いかということで考えるしかない。そして、私は、弁護士の仕事が好きなのだ。


 3 弁護士になろうかと思っている人へ

  法律を学ぶ学生さんや、学生さんを持つ親御さんから、「弁護士の仕事に興味があるのだけれど、どうでしょう」と尋ねられることがよくある。

 そんな時、コムサデギャルソンの創業者でデザイナーの川久保玲さんの言葉をご紹介するところから始める。曰く、「跡継ぎはいないから丁度いいですけれども、自分の身内に跡を継ぎなさいとは言えないですね、この仕事は。それこそおかしくなる寸前まで行きますから、刺激とか楽しいとかっていう言葉で始めると大変です」(松岡正剛著・方法日本「連塾Ⅱ」)

 私は、仕事に没頭し、眼鏡をかけたまま顔を思い切り洗って眼鏡を壊したことが弁護士になってから2回ある。髪の毛がごっそり抜けることなどしばしばある(そのために私の頭は危機的な状態だ)。ここで紹介はできないが、危険な目に遭ったことも実は何度かある。

 繰り返すが、今の世の中、弁護士含め、特定のジャンルに属する職業に就いているからというそれだけの理由で、敬意を受け、収入も高いということはもうあり得ない。情報化社会、知識社会成立でエリート神話は崩壊した。職業に貴賤無しと言われるが、今や文字通り、業種ではなく、業種の中での個々人の努力次第で貴賤が自ずと生まれるものだろう。

 もっとも、弁護士に関しては、もともとが三百代言扱いからスタートしており、エリート神話が成立していたかは疑わしい。そして、その仕事や弁護士を取り巻く環境についてはこれまで述べた通り。

 私も、川久保さんのように、身内に跡を継がせたいなどと決して思わない。

 結局は、月並みだが、まずは好きか嫌いかが大事だろう。向き不向きということもあるけれど、好きならば続けられるし、自分なりの仕事はできるし、そんな仕事を評価してくれる顧客はいつか必ず出て来る。

 だから、まずは法律を勉強してみること、そして面白いと思えることが先決。さらに、法廷傍聴して弁護士の仕事を見る、法廷前でうろうろして弁護士同士、弁護士と依頼者の会話に聞き耳を立ててみる。時間があれば、弁護士ブログやツィッターをフォローして実際の弁護士の仕事や生活状況を見ること(因に、私のツイッターアカウントは@BengoshiKH)。知りたいことは具体的に質問してみること。

 こうして情報を集めた上で、それでもやってみたいと思ったら、法科大学院に入り、司法試験を受けること。合格したら1年とか3年とか年数を決めて死ぬ気で弁護士をやってみること。それでも好きになれないときは、ずるずるやらないで他に転進する。一時登録抹消しても、再登録できないわけはないのだし。

 このくらいのことしか答えられない。

 ただ、私は、弁護士を志ざし、一所懸命頑張っている人を分相応に応援したいと思っている。
 だって、私はやっぱり職業としての弁護士が好きなのだから。(完)
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# by bengoshi_358 | 2016-03-28 16:11 | 弁護士という仕事について
次回テーマ「依存症と法律」の準備
5月に依存症について、人前でお話をします。


お題が「依存症」であり、合計3人の講師がいます。

私は、主に「薬物依存と法律」についてお話をします。


今、少しずつ準備をしていますが、依存症については、なかなか興味深い発見が多いです。



何かをして欲しい、話をして欲しい、説明して欲しいと頼まれて、「めんどうだな。」「嫌だな。」と思うのはごく普通の反応ですし、私もそうでした。

しかし、昨年末に決めた今年の抱負の1つは、「頼まれごとはできるだけ断らない。」です。

その抱負を決めて、初めて口にした、その場にいらした方々からのご依頼での、今年初の講師役。

心を決めて、準備を始めたら、とてもおもしろいです。
ここで少しだけ、シェアさせて頂きます。



依存症とは、どんなものでしょうか?

ウィキペディアによれば、「依存症とは、世界保健機関(WHO)の専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求である渇望が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的、身体的症状を生じる精神的、身体的、行動的な状態のこと。」です。


そして、アメリカ依存学会によれば、「依存症とは、脳内の報酬、動機、記憶、及びそれらに関連する回路における原発性の慢性疾患である。」(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」より)です。



いかがでしょうか。
お気づきになられましたか?

ウィキペディアでは、『状態』なのです。

アメリカ依存学会の定義では、『疾患』です。

『状態』なのか。

『疾患』なのか。


「そんなこと、どっちでもよいではないか!」

そうおっしゃる方は、もう一度、考えてみてください。

『疾患』となると、それは、お医者さんにかかる分野になります。
保険適用があるというお話になり、厚労省の取扱範疇になります。

『状態』であれば、それは、個々人の責任分野であって、それが原因で何か問題を起こしたならば、法務省の取扱範疇になります。


依存症には、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存があります。

(1)物質依存では、薬物、アルコール、タバコ等。
(2)過程依存では、ギャンブル、買い物、インターネット、ゲーム等。
(3)関係依存では、恋愛、ドメスティック・バイオレンス、モラハラ等。

この中で、(1)物質依存の薬物依存では、『状態』説が明確に優位的ではないかと思います。

薬物依存の状態で犯罪を犯して、「病気なんだから、仕方がないではないか。責任無能力ではないか。」というのは通用しないことになっています。


ネットでぐぐってみましょうか。
「依存症」「病気か」等で検索をしてみます。

すると、「依存症は病気です」と書かれた、『疾患』説のサイトがいくらも出てきます。



法律家は、お人好し過ぎてはダメなので、いつも、「誰得?」ということを考えます。
法律家は、性格が悪いです。

法律家は、議論をするのが仕事なので、議論が有意義になるよう、議論の対象を絞込みます。

その議論を絞り込むのに用いるのが、カテゴライズ、範疇化です。
範疇化には、定義です。

法律家は、定義を大切にします。

定義から始め、議論の対象を絞込み、議論を始めます。


しかし、時に、「定義が騙す」ということも知っています。
法律家は、定義を大切にしつつ、「あらゆる定義は価値的である」ということも知っています。

定義は、それ自体、客観的事実のようで、人々の、意図や意欲や意味付け、バイアス、つまり、主観に色付けされた価値が加味されているのです。

争いのない定義は、その定義を支える価値が、普遍的で、万人が、少なくとも、一般人の殆どが争いなく首肯できるようなものだけで構成されているものです。



「依存症は病気です」そう書いているサイトの管理人や、記事の作成者の肩書は、お医者さんだったり、薬剤師さんだったり、医療関係者、周辺の方々であることが多いのです。


人は、自身の得意分野、あるいは自身が関与できる方に引き寄せた定義付けをしたがるものです。

ここは、慎重に検討してみるのが良さそうです。


そもそも、『疾患』とは何でしょうか?


『疾患』、すなわち『病気』と言い換えができますが、『疾患』『病気』とは何でしょうか?


『疾患』『病気』とは、最も争いのない最小の定義付けは、「生体組織の器質的異常、もしくは、機能的異常のこと。」です。


ここで、「生体組織の器質的異常」とは、生体組織における病理的・解剖的な異常により惹起される異常のこと。

「生体組織の機能的異常」とは、解剖学的・病理的な異常が不見当であるにも関わらず、生体組織の働きや能力が低下することで生じる異常のこと。


そして、「生体組織の器質的異常」と、「生体組織の機能的異常」とで共通することといえば、これらには、
(1)客観的検査方法が存在すること、
(2)不随意活動であること、です。


『疾患』『病気』は、例えば、お医者さんにかかるとして、治療を受け、投薬されることになるには、客観的検査によって、『疾患』『病気』を具体的に特定しなければなりません。

『疾患』『病気』と治療方法は、明確に関連付けられており、関連しない治療は、有害無益であり、また、保険適用できなくなりかねません。

そのために、客観的検査方法が存在しています。

また、『疾患』『病気』であると言えるためには、自発的意思によらない、自身でコントロール不可能であることが必要でしょう(ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」参照)。


依存症ではどうでしょうか。


「生体組織の器質的異常」や「生体組織の機能的異常」が認められるのでしょうか。

(1)客観的検査方法は存在するのでしょうか、(2)不随意活動なのでしょうか。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」によれば、
どうやら、(1)客観的検査方法の存在、(2)不随意活動性については、疑問符がついたままのようです。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」(デイミア・トンプソン著、中里京子訳)は、依存症サバイバー、克服者が原著者であり、示唆に富んだ本です。

お医者さんが書かれた、『疾患』説の本も読みましたが、この本がきっかけで、性格の悪い法律家らしく、ニュートラルで、幅広く、様々な文献に当たっていこうと思うようになりました。


ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」では、『疾患』説ではなく、どうやら『状態』説で一貫して書かれています。

『疾患』説の良い所は、依存症で苦しむ人に対して、「あなたが悪いのではない。病気なのだから、仕方がない。あなたに必要なのは、意思を強くすることではなく、治療なのだ。」と慰めてくれることです。

『状態』説の良い所は、一般人に対して、「依存症は、人が偶然かかる病気だったり、特別の人がかかる病気なのではなく、誰でもがなりうる状態であって、依存させることで多くのビジネスが成り立っている現代社会では、あなたも、わたしもなりうる危険がある。」と教えてくれることです。


私は、『疾患』説が正しくない、『状態』説が正しい、と言うつもりはありません。

ただ、基本的には、『状態』であって、『疾患』となっている患者さんもいるのではないかという気がしています。

個々の依存症で苦しまれている具体的な人によっては、『状態』から『疾患』に転化していることもあるのではないかと考えています。


それよりも、関心があるのは、やはり、「依存症にならないためにどうしたらよいか。」ということであり、「依存症を克服するためにはどうしたらよいのか。」ということです。



ダイヤモンド社刊行「依存症ビジネス」には、「依存症の人々の最たる特徴は、もっとも親密な一次的関係を、人とではなく物と築くこと」(p.18)とあります。

そして、以前、私が読んだ本の中に、「アルコール依存症を克服した人々の多くは、克服の過程で、あるいは、克服後に、利他的、スピリチュアルになっていた。」という一節がありました。



人との関係性を築けない人。

人との関係性が壊れてしまった人。


そういう人との関係が希薄になってしまった人が、(1)物質依存、(2)過程依存、(3)関係依存に陥ってしまうであろうことは想像に難くありません。


とするならば、古くから、断酒会なので執られていた、依存からの離脱メソッドは、やはり有効性があったのだと思わされます。


現代では、その離脱メソッドを用いて、セレブやお金持ちの依存者から法外な報酬を取っている業者がいるという指摘もありますが、「他者との良好な関係性を形成、維持することが、依存症を克服する、重要な鍵になる。」ということは、間違いなさそうに思えています。


さて、私のお話では、どこまで研究して、どこまで触れるか。

まずは、あと1~2か月、目一杯広げて、最後の1~2週間で、絞るようにとしたいです。
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# by bengoshi_358 | 2016-03-07 17:50 | その他法律関連
次のテーマ 〜 依存症
「うつ病」についての講演を行って、「うつ病」についての勉強も一区切り。春頃に、臨床心理士の先生方とコラボして、勉強会をリードすることになりそうです。テーマは、「Addiction 〜依存症」です。メイン講師は臨床心理士の先生で、私は、法的な側面についての補足で終わると思うのですが、…ここは、やはり生来の好奇心で、ひととおり勉強しておきたいと思っています。講師側に立つ以上は責任を自覚しないといけません。知らないでは、それが顔に出てしまって講師側メンバーとしては情けないですし、頷くのもうそ臭くなります。「備えよ常に」の精神から、やっぱり、備えて勉強しておくべし、です。

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# by bengoshi_358 | 2016-01-20 11:29 | その他法律関連
うつ病に関する講演録 その2
3.「うつ病」を取り巻く問題状況
ア.「うつ病」患者は増加している。
イ.心療内科施設数は増加している。
ウ.抗うつ薬市場規模は拡大している。
これらには何らかの関係がある、としか思えない。
このことを端的に指摘したのが、野田正彰著「うつに非ず」(講談社)です。
この本をきっかけに、次から次へと、ビジネス書、ポピュラーサイエンス書、医師向け専門書を約20冊読み進みました。
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 そして、「本当にそうなのか?」と思い、確認するべく、自分でも「うつ病」についてデータを調べてみると、厚労省のHPなどに私の欲しかったデータが殆ど公開されていました。
・うつ病を含む気分障害外来患者数

・心療内科施設数


・      抗うつ薬市場規模の拡大
※これは、株式会社シーマ・サイエンスジャーナルが、<ai Report サンプル【 ai Report 2011 10章 抗うつ剤市場 】> という題名でサンプルとして公開して下さっているPDFで確認できます。

そして、自分自身で、
①「うつ病」患者数の増加、
②「心療内科」施設数の増加、
③抗うつ薬市場拡大という事実、
の元データに触れることができたのです。


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これら①〜③をグラフにしてみたのですが、ほぼ重なります。
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4.何が問題なのか?
 医師や臨床心理士らの最近の調査研究によると、
(1)「うつ病」と診断されるものの多くは、いわゆる「新型うつ病」であり、実は「双極性障害」であること、
(2)「新型うつ病」に「うつ病」治療薬を投与するミスマッチが病気の難治化、自殺リスクを高めること、
(3)新型抗うつ薬、急性期に投与される睡眠薬のベンゾジアゼピンも奇異行動や自殺を招きやすいこと、が判明しました。
(新型抗うつ薬については、英国精神科認定医、カーディフ大学精神医学部ウエールズ副部門教授デヴィッド・ヒーリーの著書が詳しい)
(ベンゾジアゼピンについては、ニューカッスル・アポン・タイン大学精神薬理学名誉教授ヘザー・アシュトンの論文、著書が詳し)※両薬剤とも、海外では訴訟になっている

抗うつ薬は、読んで字の如し、「抑うつ状態に対抗して、気分をアップさせる」薬です。
本来の「うつ病」では、気分は下がったまま。
そのままでは、日常生活が送れないし、厭世的な気分になり、自殺念慮は深くなってしまいかねない。
眠れない。
そのため、精神状態はますます悪くなる。
だから、「気分をアップさせる」薬を飲ませるのです。
抗うつ薬、特に新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬は、多幸感をもたらし、非常に効果が高いといわれています。
気分は下がったままで、このままでは危ない。
だから、「気分をアップさせる」薬、中でも良く効く新型抗うつ薬と呼ばれるSSRI、SNRI系の薬が用いられるわけです。
但し、新型抗うつ薬は、効き過ぎ・過効能、賦活作用が問題となり、依存性が高く、かつ、奇異反応を引き起こすことがあるといいます。

それから、睡眠薬のベンゾジアゼピン。
こちらも、熟睡感、多幸感がもたらされる、非常に良く効く睡眠薬です。
不眠が続くと、やはり良からぬことを考えてしまいます。
とにかく、眠らせねばらない。
そんな急患に用いられる薬です。
ただ、ベンゾジアゼピンも、依存性や奇異反応を招く危険が高いといわれいます。

新型抗うつ薬にせよ、ベンゾジアゼピンにせよ、急性期の「うつ病」患者には、自殺リスクを軽減するために投与するのは有用です。

しかし、本来の「うつ病」=単極うつではない「新型うつ病」患者に、これらを投与することは、有害です。

「新型うつ病」患者は、抑うつと、上機嫌・軽い興奮をいったり来たりしています。

好きではない仕事で落ち込む。
嫌なことがあったら落ち込む。(←この時点で、本来の「うつ病」とは違うことがわかる。本来の「うつ病」では、嫌なことがなくても、たとえ良いことがあっても落ち込んだまま)
しかし、趣味や、やりがいのある仕事では上機嫌。
批判されたり、意見されて落ち込むけれど、何かのきっかけで攻撃的になったりする。

上機嫌だったり、怒っているときは、本人も、周囲も、誰も病気とは気づかないで、落ち込んだときに、本人は辛いので、病院に行きます。
そこで、抗うつ薬、場合によったら、新型抗うつ薬を処方されます。
抗うつ薬はよく効きます。
幸せな気分になり、また、次に落ち込んだ時に、通院します。
本来は、上下する気分の安定を図らねばならないはずなのに、落ち込んだときにだけブーストする薬を服用する。
ところが、その薬には、依存性もあり、かえって気分不安定を悪化させる可能性があるのです。
そして、常時落ち込んでいる、本来の「うつ病」患者ではないのですから、抗うつ薬の効き過ぎを起こしやすいわけです。

気分の上下サイクルで、気分が上昇し始めたときに、「まだ気分が少しすぐれないので、抗うつ薬を飲もう」ということをすれば、上方に気分・感情が振りきれてしまうわけです。

ネットで、新型抗うつ薬、ベンゾジアゼピンと、自殺や犯罪との関連を検索すると、いくらも情報が得られます。

(1)
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(2)
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(3)
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5.終わりに

ここまで学び、長年の疑問が解けました。

わたしは、法廷で、数々の「うつ病」患者の方々と出会いました。
「うつ病」と闘い、苦しいのに、辛いのに、法廷まで出てきて証言して下さる患者さんたちに、時には相手方関係者に、立場が違えど、敬意を感じていました。

ところが、敬意と配慮をもって接しようとするのですが、その次の瞬間、普通の事件関係者以上の割合で、興奮し、感情的に、むき出しの敵意をぶつけて来られる方が多く、いつも釈然としない物を心に溜め込んでいました。

ああ、そうだ、あの方たちは、「うつ病」ではないのだ。
もしかしたら、「新型うつ」なのだ。

今はそうわかります。

本来の「うつ病」ならば、自罰的で、他罰的にならず、興奮することもない。
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恐ろしいのは、「うつ病」と「新型うつ病」とでは、原因も、病態も、治療法も全く違うことです。

「うつ」はココロの風邪、などといって、気軽に内科や婦人科で診察を受け、抗うつ薬を処方されて安心してしまうと、かえって病状は悪化していき、さらに問題は根深くなるということです。

しかも、この悪循環は、先ほどの、グラフでみたとおりの構造的な問題を孕んでいるということです。

とある自治体では、不眠→うつ病→精神科医という自殺防止キャンペーンを行いましたが、キャンペーン実施後の成果は芳しくないといいます。
この点は、冒頭でご紹介した、野田さんの著書に詳しく、また、同著書で紹介された医師・保健衛生コンサルタント櫻澤博文(産業医大医学部卒)さんによる「自殺予防事業を考える」と題するPDFがウエブ上で公開されています。

「うつ病」と「新型うつ病」を峻別し、「うつ病」の確定診断を経ずに、漫然と抗うつ薬や睡眠薬を服用し続けることは危険です。
「うつ病」と「新型うつ病」、この「新型うつ病」に多くの割合を占める双極性障害(Ⅱ型)は、確定診断を得られるまでに期間を要し、「うつ病」と誤診され続けて、正しく双極性障害障害と診断されるまでに数年かかるケースが少なくないそうです。

患者さんは、通常、辛い、抑うつしか主張しません。
しかし、家族や周囲の目から見て、「好きなことはできる」「趣味がある」「時に攻撃的になる」といった特徴があったならば、専門の精神科医にかかり、厳密な診断を得るようにされるべきです。

ノーモア・ミスマッチ。
「うつ病」患者も辛いです。
また、「新型うつ病」患者も辛いです。

「うつ病」は、適切に治療すれば寛解しやすいといわれています。
また、「新型うつ病」も適切な治療で、安定させられる病気です。

辛い抑うつの症状だけをみて、見誤ることにないようにと願うばかりです。



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# by bengoshi_358 | 2016-01-15 19:37 | その他法律関連
うつ病に関する講演録 その1
1.弁護士の仕事について
 弁護士の仕事は、突き詰めれば、『個人・企業間の権利自由の衝突』を調整することにあり、その最たるものは、裁判であり、その中でも、損害賠償請求訴訟が中心です。
損害賠償請求訴訟は、損害の公平な填補が図られるようなしくみになっています。
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2.「うつ病」と裁判(電通事件より)
 損害賠償請求訴訟のなかで、最近目立つのが、従業員のうつ病の責任を勤務先会社の問う、という事件です。過重労働があり、うつ病と診断されてしまえば、直ちに会社の責任が肯定されてしまう、という傾向にあります。
電通事件は、気の毒にも、真面目な将来ある若者がついには自ら命を絶つという悲しい事件でした。
かなり無理な勤務状況で、会社側の責任が認められても仕方ない事件であり、そのとおりの判決が下されました。
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『明らかな過重労働があるにもかかわらず、会社として何ら配慮もせず、漫然稼動させていた』という事情があれば、会社側が責任を問われてもやむを得ないと思います。

しかしながら、いくつか事件を担当すると、そもそも「本当にうつ病か?」「本当に会社に責任があるのか?」という事件に遭遇します。
一定の残業はあっても過重労働は存在しない。
業務上の指導はあってもハラスメントもない。
そして、「うつ病」の主張があるのですが、不思議なことに、趣味など仕事以外の活動は案外活発にされていたりするのです。
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# by bengoshi_358 | 2016-01-15 19:09 | その他法律関連
平成27年11月22日(日)名古屋・金山名古屋都市センター「うつ病に関する講演会」開催
再度のご案内ですが、

11月22日(日曜)午後に、金山・名古屋都市センター14階会議室にて、弁護士の立場から、「うつ病」について1時間半ほど、お話をさせて頂くこととなりました。

まだ、原稿は確定していませんが、概ね、下記のような内容でお話します。

<「うつ病」について>

1.厚労省の統計資料に基づく客観的データ
・「うつ病」患者の増加
 「うつ病」を含む気分障害患者は、平成8年頃に4万人弱だったのが、平成14年には8万人強へと倍増しています。
伝染病でもないのに、どうしてそんなに増加するのでしょうか?

・「心療内科」の増加
  いわゆる専門の精神科ではなく、もともとは内科であったり産婦人科であったりする医師のうち、「うつ病」なども診療するという、「心療内科」施設数は、平成8年には117施設であったのが、平成9年には185施設、平成25年には627施設と、5倍強に増加しています。

・「抗うつ薬」市場の拡大
  日本における抗うつ薬の市場規模は,平成10年(1998年)には,年間145億円であったものが、それ以降急速に拡大し、平成22年には年間1000億円の規模と、10倍になっています。

2.データから読み取れること
 <「うつ病」患者の増加=「心療内科」の増加=「抗うつ薬」市場規模の拡大>は、上昇カーブと、上昇時期が概ね整合しており、相互の関連を疑わざるを得ません。
つまり、「うつ病」患者を含む気分障害患者患者の増加は、病気本来の性質によるものではなく、患者をとりまく社会環境にも原因がある、と言えそうです。

3.データをもとにさらに検討する
・「うつ病」とは、どんな病気なのか?

・「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気にはどんなものがあるか?

・「うつ病」と「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気の治療は同じでよいのか?

・「うつ病」周辺、「うつ病」類似の病気の患者に、「うつ病」の治療を続けるとどうなるか? 

・本来的な「うつ病」は、適切な治療により、寛解、治癒する病気であるはずなのに、なぜなかなか治らない患者が多いのか?

・新型「抗うつ薬」(SSRIなど)の効能と弊害が問題とされているが、どういうことなのか?

・薬効の高いベンゾジアゼピン系の睡眠薬の弊害が問題とされているが、どういうことなのか?

・処方される適量でも依存性や奇異反応が起こるというけれど、それはどういうことなのか?

4.難治性「うつ病」、症状の深刻化、最悪の事態を回避するためにどうしたらよいのか

5.「うつ病」は裁判でどう扱われているのか
  (一般人を対象としていますので、ここに重点が行くかも知れませんが、私の弁護士であるにも関わらず、科学関係の団体主催の講座でお話させて頂ける理由、USPは、上記1.〜4.だと思います)

※ご存知ない方が少なくないかと思いますので、ここで少しだけ内容の一部をお知らせしておきます。

「うつ病」 ≠ 「新型うつ病」(「躁うつ病」が主要という有力説あり)

「うつ病」= 抑うつ状態。楽しいことがあっても、楽しめない。自罰的。
「新型うつ病」=抑うつ状態と躁状態もある。楽しいこと、自分の好きなことはできる。他罰的。

「うつ病」と「新型うつ病」、特に双極性障害とでは、病気の原因も、治療も異なっており、ミスマッチがあると、治癒しないで悪化する。

参考:厚労省HP
双極性障害について
「この病気は精神疾患の中でも最も脳やゲノムなどの身体的な側面が強い病気だと考えられており、ストレスが原因となるような「こころ」の病気ではありません。」(← 労災民事事件では原告被告とも、主張の仕方においては、いささか工夫が必要になります)

非常によく効く、「新型抗うつ薬」、「ベンゾジアゼピン系睡眠薬」には問題も多く報告されており、今日では、医学界の中でも、取扱い注意と強く意識されている。

最悪の事態は、他者からは唐突に起こるが、一定の心理プロセスをたどってそこに至り、そこに至るまでに、いくつかのサインも出ている。

第1部は、一般社団法人・生命科学文化推進機構の理事長であられる、早川あけみ先生が、「うつ病」を含む精神医学について、科学的なご説明をして下さいます。

私は、「うつ病」に関わる裁判事件を10数年前から、何件も受任し続けています。

そこで、いろんな医師や専門家に相談し、医学書やポピュラー・サイエンス本を20冊強読みました。

また、精神科医や、臨床心理士による講演会や勉強会に参加し、一部の講師にご相談したりしてきました。

早川あけみ先生も、そんなリサーチ活動の中で面識を頂いた方です。

そして、私のリサーチに大変興味を持って頂いて、「今度、コラボしましょう!」とお励ましを頂きました。

私は、てっきり冗談、お世辞であろうかと思っておりましたが、現実になってしまいました。

以前もご案内したのですが、
今回、他に予定していた講師が参加できなくなったことなどもあり、「うつ病」という単一テーマに絞られたこともあり、小会議室での開催となりました。

人数の関係もありますので、もし、関心がおありの方がいらっしゃいましたら、早めにお申込みを頂けますと幸いです。

今週末か来週には、中日新聞への広告もされるそうです。

私の名前では人は集まりませんが、早川先生のわかりやすくてためになるお話には定評がありますので、来週半ばには定員がきてしまうかも知れません。
講師特権(?)もありますので、直接、私宛に参加下さる旨のご連絡を頂けますと、受講料減額もできると思いますので、ぜひ、お早めに私まで、ご連絡下さいませ。m(_ _)m

「うつ病」の問題は他人ごとではありません。
社会一般に蔓延する深刻な病気です。

「うつ病」によって長く辛い状態に置かれる人が減って行くように、悲しい事件や事故が無くなるようにと心から願っています。

そのためには、広く情報を得て、自分の頭で考え、身体で感じ、自分のできる小さなことを行っていくしかないと思います。
今回、無謀にも、講師の1人となることをお受けしてしまったのも、私にとっては、そういう小さな行いのひとつです。


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# by bengoshi_358 | 2015-11-13 17:03 | その他法律関連
本当に 八方塞がり か?
私は、格闘技が好きです。

あるとき、格闘技の練習で、寝技で、関節を極められ、押さえ込まれました。
私が指導者を押さえ込んだとき、指導者は、するするっと抜けてしまったので、私も同じようにやろうとしますが、ますます固まってしまって、びくともしません。

「加藤さん、焦らなくていいですよ。本当にどこも動きませんか?」

え?

「どこか動かすことができるところを見つけてください。」
「そして、外側ではなくて、内側、身体の中から動かすつもりで、そこを動かしてみてください。」

そのとおりにしてみました。
すると、ぎこちなかったけれど、なんとか抜けることができました。

「そのうち、もっと早く抜けることができるようになりますよ。」、指導者はにこにこ笑っていました。


八方塞がりのように思えても、案外、どこなに突破口はあるものです。

『どこか動かすことができるところ』
『(自分の)身体の中から動かす』
これは、普段の生活上の問題があって、行き詰まっているように思えるときに、思い出すといい、キーワードかも知れません。

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たまに訪ねてみる、幼いころの遊び場。
新年度の始まりに、立ち寄ってみました。
心のふるさとがほとんど変わらず、そのまま残っていて嬉しかったです。
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# by bengoshi_358 | 2015-04-02 16:12 | 日々雑感
情報社会と専門家の役割と必要な付随的能力
最近は、インターネット上で、殆どの情報が入手可能になりました。

情報はとても大事です。情報は、少ないより、多い方が良いです。
しかし、情報は豊富でも、それだけでは価値を産みません。

以前は、「知っただけで効果がある情報」もあったかも知れませんが、今や、「皆が知っている状態」です。

「知ってはいるけれど、次はどうすればいいの?」情報の射程を見極め、活用する作業が必要になります。

情報を、統合解釈し、事象に当て嵌めてこそ、価値を産みます。
専門家の存在意義は、そこにあるのだと思います。

当事務所の顧客には、個人事業者、地場の零細企業から大手企業までいらっしゃいます。
たいていの法律問題に関わる情報も、ネットや書籍で入手可能ですし、実際、顧客の多くは既に様々な情報を入手されています。

にもかかわらず、なぜ弁護士に相談されるかといえば、やはり「統合解釈」と「当て嵌め」による結果、見込みを求めたい、自身のなした「統合解釈」と「当て嵌め」が、訴訟上耐えうるものかどうかを確認したい、という思いからでしょう。

弁護士は、大学での学部教育と、司法試験ないし法科大学院での修練を通じて、「統合解釈」と「当て嵌め」を徹底的に鍛えられています。
法曹有資格者は、情報だけのレベルではなく、その「統合解釈」と「当て嵌め」までができることを、数次に渡る試験で確認され、実務に就いてからも、裁判の結果から学び、各種研修制度で学び、「統合解釈」と「当て嵌め」力を高めるべく、研鑽を行っています。

これまで、途上国での法制度整備のために、少なからぬ弁護士が派遣もされています。

情報社会での専門家の役割は、「統合解釈」と「当て嵌め」を、一般の人にも理解できるように噛み砕いて説明することではないかと思います。

情報を活用し、生活しやすく、より良く活動できるよう、ひいては社会の進歩と発展に寄与できるようにすること。


私は、弁護士が、社会制度の基盤である、法律の分野での専門家として、真に必要な存在であり続けられるためには、考えられる専門知識全てを網羅したデータバンク的存在であることは全く無意味であり、これからは一層、「統合解釈」と「当て嵌め」力を磨くことと、一般社会の知的成熟度が上がり、情報も十分に蔓延していることから、まず相談者、依頼者に納得頂けるだけの「伝える力」、「説明力」をも備えていかねばならないと思っています。

裁判所や敵方弁護士には、共通語がありますし、手続制度がありますので、伝え方に工夫しなくても、ほぼ間違いなく正しく伝わりますが、一般に正しく理解頂くためには、わたしたち以前の時代の法律家のように、「ご心配なく!」「任せて下さい!」「結果を待っていて下さい!」では足りませんし、ある程度、知識がある、少なくとも、法律の内容や裁判例はご存知であることを前提に、見立てを、一般人に理解できる言葉で、場合によっては図解により、丁寧に説明していかねばなりません。

専門家は、専門分野はもちろん、社会の構成員として、社会のためにと願う以上は、社会の一般的な認知の枠組み、相談者や依頼者の認知の枠組みを理解し、誤解のないように、説明する能力が求められていると思います。


「一生が勉強、死ぬ前が一番賢い」
個人的には、そんなささやかな夢を持っていますが、専門家として旗を立てた以上は、死ぬまで勉強です。

専門分野の中身も、進化、発展します。
これに着いて行く。

社会も、進化、発展し、認知の枠組みも変化する。
これに着いて行く。

顧客となる、個々の人間の個性、理解力は様々であるが、ますます顧客の性格・質も多様化、複雑化している。
これに着いて行く。

いろいろと、勉強ばかりです。
でも、ご同輩、先輩諸兄姉、そうするのが楽しいから、専門家稼業をやっているのではありませんか?
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# by bengoshi_358 | 2015-03-02 11:07 | 日々雑感
民法416条について 〜通常損害・特別の事情による損害の内容とその効果
昨年末ころから、民事損害賠償論について考えていました。

私は、実務家であり、今は刑事事件は扱いませんが、勉強中は刑法も大好きでした。

刑法では、犯罪者とされると、自由を拘束され、名誉を奪われるという大変な不利益があるので、どんなことをしたら、どんな罪に該当し、どんな刑罰を科されるのか、予め明確にすること、つまり予測可能性が大切です。
そうでないと、行動の自由が保障されないからです。
憲法では、人権、人としての思想信条の自由と行動の自由をも保障しています。

では、民法では違うのか。
やっぱり、どんなときに損害賠償請求を受け、どの範囲で損害賠償義務があり、一体いくら支払わなければならないのか、予め明確にされないと、やっぱり、安心して経済活動できないのではないか、行動できないのではないか、と思います。

民法でも、刑法と同じように、やっぱり予測可能性は守られなければなりません。

しかし、それにしては、民法の不法行為論、損害賠償論は、刑法ほどにはしっかり議論されていないように、司法試験勉強中は感じていました。

平井宜雄先生の保護範囲説以降、損害賠償論の議論は進んでいます。
私は、田山輝明先生の基本書、参考書が好きですが、田山先生も、平井先生の立場を受けて、論を展開されています。
最近では、刑法の曽根威彦先生も論文を書かれています。

どれも、とても参考になります。

私は、偉大な先生方の書かれたものを読み、感動しつつも、もう少し、踏み込んでもいいのではないか、はっきりさせてしまってもよいのではないかという感想を持っていました。

それは、この十数年関わってきた、いくつかの深刻な損害賠償請求事件、大気汚染公害事件や企業間取引での損害賠償請求事件における、共同不法行為・債務不履行の競合、特別事情による損害の拡大、拡大損害の発生と個々の当事者(行為者、企業)の負うべき損害ないし賠償義務の範囲について、頭を悩ませるうちに、やはり明確な行為基準になるような、立法、立法がすぐにはできなくても、予測可能性を担保できるような、解釈論が示されることは不可避ではないかと確信しました。

そして、最近、私が関わっている事件のいくつかについて、裁判例を調査検討するうちに、裁判例に示される、個々具体的な事案での妥当な結論を導ける、解釈論らしきものを思いつきました。

刑法好きの私らしく、刑法における実行行為論や因果関係論を、民法の損害賠償論に移植しただけ、といわれればそれまでですが、刑法では徹底できなかった、客観的相当因果関係論(純客観説)が、民法では、公平妥当な結果を導くために利益調整をする、416条2項の存在により、徹底できるということで、刑法の通説・有力説を移植したわけではありません。


浅学非才で、頭の血の巡りも良い方ではありませんが、約20年のこれまでの実務経験から、「このように考えたら、妥当な結論が安定的に導け(多くの裁判例の結論を合理的に説明でき)、当事者間の公平も保てるのではないか」といえそうな考えを思いつきましたので(もっとも、田山先生の基本書と「特別事情による損害」の当てはめ部分が違うだけ ~されど、2項「特別事情による損害」と1項の損害の区別基準を一応は打ち立てています ~これは刑法の実行行為論を参考にしています)、ツイッターでシェアさせて頂きました。

以下に、再掲します。


【416条第1項の意味】「これに『よって』通常生ずべき損害の賠償をさせる」とあり、『よって』とは、因果関係を意味する。 ここでの因果関係は、事実的因果関係である。 『これ(=債務不履行)』と『通常生ずべき損害』との事実的客観的な結びつきがあること、関連あることを要求する。

事実的因果関係という、客観的に存在するか、しないか、を求めるものであると同時に、それが法的判断であることから、その判断は、①当事者の主観的事情の如何にかかわらず、②事後的に、純客観的になされなければならない。

刑法上の因果関係論における純客観説の判断構造と同様に、「当の債務不履行から、当の結果が発生することが①客観的、科学的見地から相当といえる場合には因果関係有りとし、②その判断の基礎とすべき事情は、行為当時から結果発生までに客観的に存在した事情の一切とする」というべきである。

事実的因果関係の問題であるから、その存否は、当事者の主観的事情とは無縁である。たとえ、当事者が認識していても、していなくても、意欲しても、意欲しなくても、存在するものは存在するし、存在しないものは存在しない。 「目をつぶっても世界は消えない」。

同様に、基礎とすべき事情は、およそ当の結果に原因力を及ぼす事柄であれば、行為時に存在したものに限られず、結果発生までの間に生じたものは考慮に入れざるを得ない。このように解しても、責任範囲は、416条2項により合理的に画されるのであって、債務者に不測の損害を与えることにはならない。

416条1項は、債務不履行と、事実的因果関係の存在が認められる「通常生ずべき損害」の範囲において責任を認めるということを定めており、当該損害を発生せしめた事情についての「予見可能性」の有無を検討するまでもなく、債務者に対して当然に責任を負わせるということを定めたものである。

問題は、「通常生ずべき損害」とは何か、ということであるが、素直に考えれば、「通常生ずべき損害」とは、「当該債務不履行それ自体が債務不履行時に具有する危険性が現実化したものといえる損害」である、ということができよう。

多くの学者は、「通常生ずべき損害は、契約類型ごとに判断するほかない」とし、「文字通り通常生ずる損害である」という(内田Ⅲ、p.158など)が、抽象的ではあるも、一応、上記の様に規範的に定義付けておくのが、個々の具体的事案についての具体的適用上、便宜であり、予測可能性を担保できる。

【416条第2項の意味】 「当該債務不履行それ自体が債務不履行時に具有する危険性が現実化したものといえる損害」を超えた損害が発生した場合、その損害は、当該債務不履行それ自体からは発生しえないのであって、「特別の事情」が存在したからこそ、発生したものである。

そして、そのような「特別の事情によって生じた損害」が発生した場合においても、「当事者」が「特別の事情」を予見できたときには、「特別の事情によって生じた損害」についても、債務者は責任を負う、ということを、416条2項は定めたものである。

民法の大原則である、意思自治の原則(=人は自らの意思に基いてのみ拘束される)のコロラリーである過失責任主義からして、予見可能性をもって責任範囲を画するということを宣言したものと解すべきである。

なお、予見可能性の主体である「当事者」の意味と「予見可能性の判断時期」この問題は、以上に述べたことは関連しない。『契約を破る自由』(内田貴Ⅲp.160)を承認するか、契約をした以上、契約は守るべしという原則を大切にするか、いずれの立場によるかで決せられる。

…以上(以下、裁判例の分析、事例への当てはめ例などの予定ですが、いつかどこかでまとめて発表できるようにしたいです)



長文になってすみません。
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# by bengoshi_358 | 2015-02-14 11:32 | その他法律関連
破産、再生を考えられている方は必ず弁護士に相談ください。
これから、消費税の納付期限を控え、破産や再生を考えられている方もいらっしゃるかと思います。

破産、再生の手続開始申立をするに当たっては、「やってはいけないこと」がいくつもあります。

逆に、「これは許される」というものもあります。


弁護士に相談なしに、「やってはいけないこと」をしてしまったり、「これは許される」と知らないで余計な苦労をしたりされる例があります。

お近くの弁護士会、法律事務所で、ご相談されるのが安心です。
その際、弁護士には守秘義務がありますので、隠し事はしないで、洗いざらいお話になり、「やってはいけないこと」、「これは許される」ことを、具体的にお尋ねになるのがよいと思います。
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# by bengoshi_358 | 2015-02-11 12:47 | 破産法
信頼できる他の専門家のHP「おおす人」
「おおす人」

匿名ブログですが、私がリアルに知る弁護士のブログ。
消費者系事件の専門家で、著書は共著が多数あります。

消費者系の事件で、私が立場上お受けできない事件(少し前まで、証券会社の説明義務違反事件の被告会社側代理人をやっていたので、被害者側ではお受けしていません)や、高度な理論的な問題を含んだ事件を、そのままブログ主弁護士にお願いしたりしています。

長年にわたって存じ上げていますが、歩く法律事典のような方で、判例集を読むのが趣味という方。
弁護士でもなかなかここまで突き詰めて検討する人はいません。

イミタチオ・クリスティならぬ、イミタチオ・「おおす人」先生と心したいと思います。

「おおす人」は、やや専門的な論文集のような趣もありますので、一般の方だけでなく、同業者の方々にもきっと参考になることでしょう。


たまに、週刊誌で、「医師がかかりつけにしたい、本当に腕のいい医師」とかいった特集がありますね。
弁護士でも、ビジネス系弁護士トップ300とかいう単行本等は、毎年出ているようですが、「弁護士が自分の私的な事件を依頼したい、本当に腕のいい弁護士」という記事は見たことがありません。
弁護士にも、私的な事件はあります。
自分自身、家族、親類、親しい友人、お世話になった人々まで含めたら、「私的」事件の枠、数は広がります。


「消費者被害」(投資被害、特定商取引法違反、詐欺商法、etc)
「金融業者」
「借金整理」(注:過去に、私も一般向けのビジネス書を出版していますが、「おおす人」先生の赤ひげ的な仕事ぶりにも影響され、専門家に高額報酬を支払わなくても自分でできますよ、というトーンでした。しかし、確実に、一般人では無理な事件、普通の弁護士では面倒だったり、危ない事件もあります)

私的な事件が、上記のキーワードでヒットする事件の中で、とびっきり難しい事件だったなら、私は、迷わず、「おおす人」先生に依頼します。





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# by bengoshi_358 | 2014-04-25 17:41 | 信頼できる他の専門家のHP紹介
破産、再生事件の思い出
親しい仲間と話す。

弁護士業、ほぼ20周年ということで、過去を振り返る。

過去一番忙しかった時は、毎月1件、会社倒産案件の依頼があった。
偉い先生方から使い勝手がよい後輩と見られて、事件や顧問先を紹介されたり、そろそろ自分の関係で依頼が入るようになった頃。

立ち上がり速度と身体を張って依頼人を守ることが売りだった。

警察に救出されたのはわずか2回だが、大勢の怒り狂う債権者や従業員らを前に説明会を行い、非難に怒号、強面に鼻先数センチに詰め寄られたことは数知れず。そういう現場に好んで飛び込んでいた。

最近、10年程前に私に罵声を浴びせ引き下がらなかった債権者から、「何かあったらお願いしようと思って名刺はずっと持っていた。」と、倒産案件ではない事件の依頼が入った。
その方に話し話したが、「もう、あの頃のような立ち回りはできない」な、ということ。

ここからは話さずにおいたが、元気、気力の不足以上に、知識経験も今より増した今、そうなる局面を未然に回避できるケースの方が多いのではないかと思っている。

とは言っても、あのいつ何が起こるか分からない、導火線に火がついているような、あのきな臭さ。
ちょっぴり、かなり、懐かしい。
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# by bengoshi_358 | 2014-02-27 11:50 | 日々雑感
新HP・準備中(遅々として進まず)
新しいHPの準備中ですが、なかなか進みません。
手作り感がある方がよいかと思い、自作トライ中です。
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# by bengoshi_358 | 2013-10-24 12:25 | こちらもよろしく
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